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続・持続可能的計画経済論(連載第4回)

2019-10-17 | 〆続・持続可能的計画経済論

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

第1章 環境と経済の関係性

(3)古典派環境経済学の限界  
 環境予測という観点は、近年、古典派経済学においてもこれを無視することは退行的とみなされかねず、いくらかなりとも前進的な古典派経済学ならば、環境予測を取り込んだ経済学理論―古典派環境経済学―に赴かざるを得ない。  
 そうした古典派環境経済学理論の最大の特徴は、市場経済を自明のものとすることである。従って、例えば気候変動の主要因とみなされる二酸化炭素の規制対策にしても、排出権取引のようなランダムな市場原理に委ねようとする。  
 しかし、近年の環境予測では地球の平均気温の具体的な数値目標を示して対策を求めるようになっている。例えば、目下最新の気候変動枠組み条約であるパリ協定では、産業革命前と比べた世界の平均気温上昇を「2度未満」に抑えるとともに、平均気温上昇「1.5度以内」を目指すべきものとされる。
 排出権取引はあたかも需給調節を市場のランダムな取引に委ねる市場経済手法の環境版と言える構想であるが、このような無計画な方法では具体的な数値目標の達成は不可能であり、排出権という新商品を作り出すだけである。  
 古典派環境経済学の中でも、もう一歩進んだ理論にあっては、環境税のような間接的な生産規制の導入に踏む込もうとする。しかし、資本主義を前提とする限りは、資本企業の利潤を著しく低下させるような高税率を課すことはあり得ず、多くの資本企業は微温的な環境税を負担してでも、従来の生産体制を維持するだろう。
 その点、2006年に英国の経済学者ニコラス・スターンが英国政府の諮問に答えて提出した「スターン報告」は、環境予測モデルに基づき、エネルギー体系・技術全般の変革を提唱するもので、古典派環境経済学理論としては踏み込んだ内容となっている。
 その踏み込んだ内容ゆえに、政府答申を超えて国際的な指導文書としての影響力を持つ。同時に、環境経済学分野から初めてノーベル経済学賞(2018年度)を受賞したウィリアム・ノードハウスをはじめ、伝統的な環境経済学者からは多くの批判が向けられているが、ここでの問題関心からすれば、「スターン報告」は古典派の枠組みゆえに、少なくとも三つの限界を持つ。  
 まずは、大枠として、気候変動問題に関する政府諮問への答申という性格上やむを得ないことではあるが、環境問題の主題が気候変動に限局され、気候変動問題に還元できない生物多様性や有害産業廃棄物などの諸問題には及んでいないことである。
 その気候変動対策としても、導出される対策がエネルギー体系・技術の変革に限局され、生産の量的・質的管理には踏み込まないことである。これは計画経済を論外とする市場経済ベースの古典派経済学である限り、必然的な帰結である。  
 さらに、それが手法とする費用‐便益効果論の限界である。本質的に資本主義の利潤計算技法である費用‐便益効果では当然ながら、利潤を低下させる高コストな対策は排除されてしまう。また、それは環境倫理よりも経済計算、特に資本主義における最重要のマクロ経済指標であるGDPへの影響を優先する論理である。  
 古典派としてはかなり前進的な内容の「スターン報告」ですら、こうした限界を抱えるのは、まさに古典派環境経済学そのものの限界性の現れにほかならない。資本主義市場経済を前提とする限り、経済と環境を交差的に結合することはできない。


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