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「女」の世界歴史(連載第46回)

2016-08-29 | 〆「女」の世界歴史

第四章 近代化と女権

(5)同性愛の近代的抑圧
 近世以前の同性愛は相当公然と容認されていた中国を除けば、洋の東西を問わず、罪悪視されつつも慣習的に容認されるという両義的な形で存在していたが、近世になると法制度・法治国家の整備に伴い、同性愛行為が性犯罪として法的な処罰対象とされるようになってきた。
 その際、キリスト‐イスラーム教の世界では、聖書にも登場する道徳的に退廃した街ソドムに由来するソドミー(アラビア語ではリワート)という犯罪概念が当てられた。この概念は同性愛行為そのものよりも広く「不自然」とみなされる性的行為全般を指す。ここでの「自然/不自然」の判断基準は、神が祝福する男女間の生殖に関わるかどうかに置かれていたから、生殖に関わらない同性間の性行為が「不自然」と認識されることは当然であった。
 ところで、ソドミー罪を厳格に適用するなら、女性間の同性愛行為も処罰対象に含まれ得るはずのところ、女性の同性愛行為が処罰された例は少なく、事実上黙認されていたと見られる。その理由は定かでないが、女性間の同性愛はある意味で同性同志の深い友情の延長として捉えることも可能だからかもしれない。
 こうした啓典宗教の影響による同性愛行為の取り締まりは、歴史的に同性愛に寛容だった中国にも及び、清朝は17世紀に処罰規定を導入している。その経緯は必ずしも明確でないが、前代の明末以来、来朝した宣教師を通じてキリスト教的価値観の影響を受けたことが考えられる。
 また近世までは「男色」の文化が半ば公然と存在していた日本でも、近代化によりキリスト教的価値観が流入すると、その影響からソドミー罪の概念も移入され、明治5年には「鶏姦罪」が規定されたが、これは後の本格的な刑法典には継承されず、日本では同性愛行為を直接に罰する規定は以後も存在しない。ただし、そのことは「男色文化」が従来どおり維持されたことを意味せず、「男色」は前近代の悪弊とみなされ、道徳的には同性愛を罪悪視する価値観が社会に広く定着していったことに変わりはない。
 ソドミー罪の取り締まりがフランス革命前の欧州で最も厳格だったのは、第二回無総督時代と呼ばれる18世紀前半のオランダであった。そのすべてが同性愛者とは限らないが、1730年には200人を越える男性が訴追され、60人近くが死刑判決を受けた。オランダは元来、自由主義的であったが、この時代は指導者を欠き、大衆のモラルパニックが起きやすかったと見られる。
 フランスでは18世紀のブルジョワ革命を機にソドミー罪は廃止されたが、同性愛行為が一切自由化されたわけではなく、欧州全体では比較的リベラルながらも、「社会道徳に反する罪」など別の名目で処罰されることは続けられた。ただし、フランス革命におけるソドミー罪廃止自体の影響は広く大陸ヨーロッパ諸国に及び、1858年には、イスラーム系ながらトルコでも西欧化改革(タンジマート)の一環として、同性愛行為の非処罰化が行なわれている。
 フランス革命の影響が直接には及ばなかったイギリスでは、ヘンリー8世が16世紀に制定した旧法が「個人に対する犯罪法」という近代的な法律に姿を変えつつ、同性愛行為が処罰され続けた。その最も著名な犠牲者は、劇作家のオスカー・ワイルドであった。彼は1895年、愛人男性の父親と法的トラブルを起こしたことをきっかけに同性愛行為で刑事訴追を受け、2年間収監される憂き目を見たのだった。
 また保守的なドイツでは、1871年のドイツ帝国創設時に制定された刑法典に男性同性愛行為を処罰する規定(175条)が置かれた。これに対し、97年、医師で性科学の草分けでもあるマグヌス・ヒルシュフェルトを中心とする「科学的人道主義委員会」が設立され、科学的な見地から同性愛者の権利を擁護し、175条の撤廃を求める運動を展開した。
 この運動は近代的な同性愛者解放運動の先駆けと目され、啓発的な役割は果たしたものの、内外の多くの知識人の署名も集めた同性愛処罰規定撤廃という最大の目的は達成されないまま、反同性愛の立場を採ったナチスの政権獲得により、解散に追い込まれた。
 ちなみに、初期のナチスは突撃隊幕僚長として政権獲得にも貢献したエルンスト・レームという公然たる同性愛者の幹部を擁していたが、ヒトラーと対立した彼は間もなく粛清されてしまった。ナチスドイツでは同性愛者は社会的逸脱者として厳罰・抹殺の対象とされ、多くの犠牲者を出すことになった。
 ナチスドイツにおける同性愛者の受難は同性愛処罰政策の極点であったが、欧州でも同性愛処罰は次第に緩和されつつも、おおむね20世紀半ば頃までは継続されていくのである。かくて、近代は女性の権利に関しては新たな道が拓かれる黎明期となったが、同じことは同性愛者には起きなかったのである。


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