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貨幣経済史黒書(連載第21回)

2018-12-09 | 〆貨幣経済史黒書

File20:世界恐慌序曲―20世紀初頭のアメリカ恐慌

 19世紀末大不況が1893年恐慌というクライマックスをはさんでおおむね1896年頃にいったん収束してから、1929年のアメリカ発世界大恐慌の勃発に至るまで、およそ30年のスパンがあるが、この間、アメリカでは1929年の破局を予示する序曲となるような二つの恐慌が継起している。
 まず20世紀初年の1901年、同世紀最初のニューヨーク発恐慌が発生した。これは19世紀後半以来、アメリカ資本主義の高度成長を支えてきた鉄道事業を舞台としていた。すなわち、ユニオン・パシフィック鉄道とノーザン・パシフィック鉄道によるシカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道の敵対的買収をめぐる株価暴落である。
 アメリカでは19世紀末大不況渦中の1890年、今日まで効力を維持している著名なシャーマン反トラスト法が制定され、独占禁止法制が導入されていたが、当時の成長基盤産業である鉄道業界への適用は甘く、鉄道トラストは常態化していた。
 そうした中、モルガン財閥をパトロンとするユニオン・パシフィック鉄道とロックフェラー財閥をパトロンとするノーザン・パシフィック鉄道が競争的にシカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道の株式買収を図る中で展開された投機的な空売りが要因となって、ユニオン株の大規模な暴落が生じたのであった。
 これはこの時代における資本主義経済を特徴付けた「独占資本主義」を背景とする寡占化をめぐる攻防戦の中で起きた現象であったが、それ自体としては一時的な現象に終わった。とはいえ、その時点でのニューヨーク証取史上最大規模の突発的な市場暴落という点では、1929年を予示するような20世紀初年の経済事変であった。
 次いで1907年の恐慌である。これも敵対的買収を契機としたという点では、1901年恐慌と共通項がある。しかし今度は、ユナイテッド銅社という新興の鉱山会社を舞台とするものであった。すなわち、同社経営者の親族による買収工作が失敗に終わったのであった。
 それを契機にユナイテッド社株は暴落、買収を仲介していた証券会社の経営破綻に続き、ユナイテッド銅社経営者が関連する銀行や信託会社の連鎖破綻を招いた。特にこの時代、急速に発達していた信託会社の連鎖倒産危機は深刻であった。
 これに対して連邦政府は十分対応できず、1901年恐慌当時の黒幕だったモルガン財閥家長のジョン・モルガンが個人的に介入し、信託会社や閉鎖危機に直面したニューヨーク証取への市中銀行からの資金提供を仲介、危機をひとまず回避するありさまであった。
 この1907年恐慌は、ニューヨーク証取を舞台に証券会社や信託会社、銀行といった複雑化する金融界全体が破綻危機に立たされた点で、1929年を予示させるものであったが、この時は政府の介入よりもモルガンの他、巨額預金で銀行を救援したロックフェラーらの財閥の個人的協力でおさめるというアメリカ的対応策で破局を回避できたのである。
 しかし、1907年には恐慌発生前から景気後退が生じていた状況での突発的な恐慌であったから、経済への打撃は大きく、工業生産は落ち込み、企業倒産、失業率の増大といったこれまた1929年を予示するようなマイナス現象が生じた。
 救いは、この時の成果として、アメリカでは歴史的にタブーとされてきた中央銀行制度の設立を促したことであった。すなわち、連邦準備制度である。中央銀行ないしそれを象徴する名称でなく、「準備制度」の名称を用いた点、集権的な中央銀行ではなく、あくまでも危機対応機関であるという趣意が滲み出ているが、ひとまず恐慌期に市中銀行を救済するシステムは用意されたことになる。
 しかし、1901年及び1907年の両恐慌を通じて、恐慌の引き金となった不透明な証券取引を監督・規制する連邦法令やその執行機関を設立する動きは起きなかった。このことは、1929年の大恐慌を防止できなかったことの直接要因とまで言えないとしても、重要な背景要因となっただろう。


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