ザ・コミュニスト

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近代革命の社会力学(連載第460回)

2022-07-18 | 〆近代革命の社会力学

六十六 アラブ連続民衆革命:アラブの春

(4)エジプト革命

〈4‐1〉ムバーラク体制の安定と閉塞
 エジプトでは、1981年10月にサーダート大統領が閲兵中、イスラーム主義者の兵士によって暗殺された後、副大統領だったホスニ・ムバーラクが大統領に昇格し、速やかにサーダート政権を継承した。
 ムバラクは、世代的にはナーセルやサーダートに次ぐ革命第二世代に当たり、1952年共和革命時にはまだ若手の空軍士官に過ぎなかったが、ナーセル政権末期に若くして空軍参謀総長に就任、1973年第四次中東戦争では空軍総司令官として勝利を導く立役者となり、翌年、副大統領に抜擢された。
 こうした経歴からも、ムバーラクはサーダート子飼いであり、その路線を継承することは予定されていたと言えるが、サーダート暗殺がイスラーム過激者組織に所属する兵士によって実行されたことに鑑み、大統領就任直後から非常事態宣言を発動し、これを解除せず常態化することで、政治的な抑圧体制を強化した。
 その間、形式上は複数政党制によりながらも、サーダート時代に翼賛政党として結成された国民民主党が常に絶対多数を獲得しつつ、大統領選挙は議会によって単独の大統領候補に指名されたムバーラクへの信任投票に矮小化する非民主的な方式で多選を重ね、エジプト現代史上最長期政権を継続した。
 このような技術的に仕組まれた政治的安定のもと、外交上は親西側路線を基調に、イスラエルは引き続き承認しつつも距離を置くバランス策で、国内の反イスラエル派に譲歩するという巧みな政策を展開した。
 経済的には、サーダート政権下で開始されていた経済自由化政策を推進し、外貨導入による経済成長にも成功していたが、そうした中東版新自由主義政策は必然の結果として経済的な格差拡大を招くとともに、長期政権下でムバーラクとその親族・取り巻きの不正蓄財や汚職を亢進させていった。
 革命勃発時の2011年には31年目に入っていたムバーラク体制は安定しながらも、政治的抑圧と経済的不平等が亢進した閉塞状況に陥っていたうえに、80歳を越えたムバーラクの健康不安も重なり、揺らぎも見え始めていた。


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