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貨幣経済史黒書(連載第13回)

2018-09-23 | 〆貨幣経済史黒書

File12:1825年恐慌―初の近代恐慌

 恐慌の歴史上、初の近代恐慌、そして以後、今日まで続く景気循環史の出発点となった恐慌は1825年恐慌であった。この恐慌は、他の欧米諸国が革命に明け暮れていた18世紀中に産業革命を終え、いち早く資本主義経済体制を始動させていたイギリスを基点に生起した。
 この恐慌は、教科書的な意味での過剰生産恐慌の初例として引用されることも多い。事実、その背景には、国内のみならず、ラテンアメリカ諸国への市場拡大に伴う全般的過剰生産という状況があった。けれども、この恐慌も、貨幣経済下特有の金融恐慌という性格を強く帯びていた。
 時は世紀の変わり目に欧州を揺るがせたナポレオン戦争の終結後、特需を生んだ戦時経済から平時経済への移行期に当たっており、イングランド銀行を中心に積極的な金融膨張政策が採られたことで、ラテンアメリカへの投機的投資や株式バブルが誘発されていたのであった。
 他方、18世紀末からイギリスでは銀行、特に地方銀行の設立ブームが起きていた。これら地銀は今日の資本主義経済体制下でも地場産業や小規模産業を金融的に支える不可欠の土台となっているが、地銀は産業革命期の投資ブームをも支えていた。しかし黎明期の地銀は規律も甘く、不良債権を生じやすい傾向にあった。
 証券市場の崩壊を契機に始まった1825年恐慌は、まずこれら銀行の破綻として表面化し、恐慌渦中でロンドンの都市銀行6行に地銀60行が経営破綻するという事態となったのである。当時まだ中央銀行として確立されていなかったイングランド銀行でさえ危うくなったが、フランス銀行からの緊急的な金の注入で辛くも救済されるありさまであった。
 恐慌の影響は銀行以外の一般産業界にも及び、特にナポレオン戦争当時の戦時政策として停止していた金本位制を復旧させたことでマネーサプライの収縮がもたらされたこと、経営危機に陥った銀行の貸し渋りが広がったことで、恐慌の年から翌年にかけ、ブームとなっていた出版業を中心に破産企業が増大した。
 かくして、1825年恐慌は初の近代的な恐慌として現象したわけであるが、こうした恐慌現象の常として、その発生要因は複雑で、精確な究明は困難である。そうした不可解さは銀行のような金融機関の発達により貨幣経済が複雑化し、しかも海外投資により海を越えた貨幣経済も常態化していく近代的貨幣経済の恐ろしさであり、まさしく恐慌と呼ばれるにふさわしい現象なのである。
 「神の見えざる手」ならぬ「人の見えざる手」が様々な投機的思惑を伴って複雑に絡み合う近代的資本主義経済体制の不透明さこそが、恐慌現象の真の恐怖である。
 ただ、19世紀前半のこの時期の国際経済はいまだ地球全域のグローバルなレベルには達していなかったことから、1825年恐慌の深刻な余波はドイツやオランダなどイギリス近隣に限局されており、世界恐慌と言える本格的なグローバル恐慌はさらに100年待つ必要があった。

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