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「女」の世界歴史(連載第7回)

2016-01-26 | 〆「女」の世界歴史

第一章 古代国家と女性

(2)古代ギリシャ・ローマの女権

②巫女の宗教‐政治
 古代ギリシャ及びローマでは、公式的には女性は法的権利を制限され、政治の場から排除されていたが、一つ例外があった。巫女である。古代ギリシャの場合は、全ポリス共通の中央神殿でもあったデルポイのアポロン神殿の神託を伝える巫女ピューティアは格別の権威と特権を持った。
 ピューティアの選抜方法について詳細はわかっていないが、世襲ではなく、デルポイ出身女子の中からその身分や教養程度にかかわりなく、適性や人格によって選抜されたと言われる。ある種の能力主義だったようである。
 ひとたびピューティアに就任すれば、財産の所有や公的行事への参加、住宅の提供、免税など女性としては異例の特権が与えられた。その限りでは、古代ギリシャにおける最上層階級に属したとも言える。それはしかし、ポリスの命運にも関わる神託を伝えるという重責の代償を伴っていた。
 神託のお告げ自体はピューティアの憑依を介した宗教的なプロセスではあったが、その内容はしばしば政治性も帯び、神託の受託が政治過程にも組み込まれていたため、各ポリスの有力者は有利な神託を引き出すための情報工作まで行なったと言われ、ピューティアは一介の巫女を越えたある種の政治的な機能を果たしていた。
 古代ローマでこれに相当し、しかもはるかに組織的で政治性が強かったのは、ウェスタの巫女団である。ウェスタはギリシャの護国神でもあったヘスティアの対応神とされる。従って、ローマでもウェスタは護国神として崇敬された。
 ただ、ギリシャにおけるヘスティアの護国神としての地位は象徴的なもので、汎ギリシャ的な枢要性を持ったのは、上述のようにデルポイのアポロン神殿の巫女であったのに対し、ローマではウェスタ神に仕える巫女団が宗教‐政治的に実力を持った。
 広くローマ自由民の女子から30年任期で選抜されたウェスタ巫女には厳格な処女性が義務付けられ、禁欲の戒律違反は死罪に相当した。そうした制約の反面、ウェスタ巫女は財産所有、投票、重要行事への出席のような女性としては格別の特権を与えられ、またしばしば政治的な決定に際しても意見を徴されるなど、政治的な役割を負い、ある種の恩赦の権限すら持ったようである。
 ウェスタ巫女団が果たした最も代表的な政治的役割として、後のローマ帝政の祖となる若きカエサルがスッラにより予防的に粛清されようとした時、ウェスタ巫女団の助命嘆願を受け入れて免じた一件がある。この嘆願運動にはスッラの支持者を含む多くの俗人たちも加わっていたが、権威あるウェスタ巫女団の口添えが効いたことは間違いなく、当時独裁官だったスッラですらウェスタ巫女団の意思には公然と逆らえなかったことを示している。
 もしこの時まだ政治活動を始めていなかったカエサルが粛清されていれば、その後のローマの歴史が大きく変わっていたことは間違いなく、カエサルの命を救ったウェスタ巫女団は後から見れば歴史を作る役割を果たしたことになる。
 しかし、ウェスタ巫女団が権威を持ったのは主として共和政時代であり、皮肉にも、彼女たちが救ったカエサルが道筋をつけた帝政が始まると、次第に皇帝が超越的な存在となり、さらにキリスト教の国教化に伴い、ウェスタ巫女団も紀元394年には解散されたのである。

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