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「女」の世界歴史(連載第6回)

2016-01-25 | 〆「女」の世界歴史

第一章 古代国家と女性

(2)古代ギリシャ・ローマの女権

①古代ギリシャの女性排除
 古代ギリシャは同時代の世界において最も先進的な文明世界を形成していたことはたしかだが、こと女性の扱いに関しては芳しい記録を持たない。ただ、元来ギリシャ人は国家を家庭の集合体として観念したので、家庭の守護神である炉の女神ヘスティアは同時に国家の守護神でもあった。こうした女神崇拝は遠い過去、家政を仕切った女性の地位の高さを反映した痕跡かもしれないが、古拙期を過ぎ、古典期都市国家ポリスにおける女性の地位はすでに低下していた。
 もっとも、古代ギリシャはポリスごとに異なる文化・慣習を持つ多様体であったので、しばしば対照される代表的な都市国家アテナイとスパルタとでは女性の地位にもかなりの相違が見られた。
 まず民主制の手本としてしばしば参照されるアテナイにおける女性の地位は極めて低かった。女性は法人格を与えられず、家父長が支配する家の属員にすぎなかった。基本的な財産権もなく、従って市民権もないため、奴隷や未成年者同様、名高い直接民主制の民会に参加する権利も与えられなかった。アテナイの「民主主義」とは成人男性による成人男性のための成人男性の差別的民主主義であった。
 こうした徹底した女性排除を逆手にとって喜劇に仕立てたのが、劇作家アリストパネスの『女の民会』である。この作品の中では、通常男性しか参加できない民会に女性たちが男装して参加し、アテナイの統治権を女性に与えることを決議する。
 しかも、この女権体制は私有財産の廃止と共同ファンドの創設を旨としたある種の共産国家でもおり、またすべての男性は醜い女性を優先するという条件付きでアテナイのどの女性とも性関係を持つことができるという皮肉な性的平等が示される。この社会転倒的な喜劇作品は、裏を返せば当時のアテナイの女性排除の制度を象徴的に表わしてもいる。
 自身は男性であったアリストパネスの「女性シリーズ」喜劇には、もう一つ『女の平和』という戦争を題材にした作品がある。これは当時長期化していたアテナイ‐スパルタ間のペロポネソス戦争を終結させるため、両ポリスの女性たちが集団でセックスストライキを起こすという話である。
 ここにも登場するスパルタはスパルタ主義教育の名でも知られる軍国主義ポリスであったが、意外にもスパルタにおける女性の地位はアテナイよりもはるかに勝っていた。スパルタの女性たちは、軍国を支える兵士の母として尊重され、軍事活動に従事する男性に代わって財産を管理し、所有することもできた。
 とはいえ、スパルタ女性の地位もあくまで「軍国の母」としての尊重の結果であって、政治的な権利は保障されていなかったことに変わりなく、総じて古代ギリシャでは政治家または政治的実力者として記録に残る女性は存在しない。この点、アテナイの歴史家トゥキディデスがいみじくも記した言葉「(女性たちにとって)最大の栄光は、良くも悪くも、男性たちの間でほとんど話題にもならないことだ」は、古代ギリシャ女性の地位を物語っている。

補説:古代ギリシャの少年愛
 古代ギリシャにおける高度に論争的なテーマとして、「少年愛」がある。古代ギリシャでは成人男性市民の義務として少年愛が課せられていたとされる。これは、同性愛の公然制度化と見ることもできるが、プラトンが特に強調したように、成人男性が愛する少年を精神的に育成するという点に力点があるもので、肉体的な同性愛関係そのものではなかったと理解されている。
 実際、多くの場合、それは精神的な友愛の関係にとどまっていたであろうが、肉体関係も否定されてはいなかったらしく、精神主義の建て前と現実には齟齬があったと考えられる。その限りで、古代ギリシャでは女性が排除される一方で、男性同性愛者は排除されず、むしろ少年愛を実践する成人男性は義務を果たす模範市民とさえみなされていたのである。
 古代ギリシャの都市国家は、スパルタに限らず、すべて戦士を社会の中核として発達した軍国であったので、戦士の給源となる男性が社会を主導し、反面女性が排除されがちであったが、一方で男性を良き戦士=市民に育成するためのある種教育的な意義から、少年愛の制度化が生じたのだと言えるかもしれない。
 反対に、成人女性の少女愛については知られていない。ただ、時代的にアテナイの民主制樹立より100年ほど遡る女性詩人サッポーは出身地レズボス島に少女のための一種の女学校を作り、少女への愛を歌ったと解釈される愛の詩を多く残したことから、女性同性愛の象徴のように語り継がれた。
 彼女は半ば伝説化された人物であり、現実のサッポーは既婚者で、娘もいたとされるが、大胆に推測すれば、サッポーは男性の少年愛に相当するような方法で女子の育成を構想していたのかもしれない。

※当ブログの過去の連載記事等では、アテナイを「アテネ」と表記しているが、本連載では正確を期し、古代都市国家時代の名称に近い「アテナイ」と表記する。

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