自遊日記

定年後の備忘録

萩・津和野・岩国の旅(高杉晋作 誕生地)

2014-11-03 12:45:35 | 国内旅行

高杉晋作の生家にやってきました。

晋作の父は、家禄200石を受けていた高杉小忠太春樹。

もともと500坪の敷地があったそうですが、現在公開されているのは

その南半分です。

 

 

 

 

入って入口を振り返った図です。

 

 

 

家屋の一部が保存さてています。

 

 

 

裏庭には、初湯の井戸がありました。 

 

 

 

庭の鎮守堂。 

 

 

 晋作の生家近くの円政寺。

高杉晋作や伊藤博文が幼少の頃、ここで遊んだり勉強したりしたそうです。

晋作は小さい頃病弱だったので、お母さんがここで健康祈願をよくした由。

伊藤博文から「動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し」と評された風雲児ですが

幼い頃のエピソードを聞くと、少し親近感が湧きます。

 

 

生家の近くに「晋作広場」 があり凛々しい姿の晋作に会えます。

晋作が松下村塾に通っていた20歳ごろをイメージして作られているそうです。

 

生家でもらった資料によりますと・・・

安政4年晋作は松下村塾に入門、たちまち頭角をあらわし久坂玄瑞と並び

「松門の竜虎」と称された。

文久2年藩命により上海へ。そこで欧米列強の支配を受ける中国の実情を見て帰国。

文久3年「奇兵隊」を組織し総督を命ぜられる。日本初の身分を問わない軍団です。

禁門の変後、藩論が保守に傾きかけたが晋作は「奇兵隊」を活用し保守派を一掃

藩論を討幕に統一する。

以後紆余曲折を経て、最後は労咳のため他界。享年29歳。

早すぎる死でした。

 

ちなみに辞世の句は・・・

面白き こともなき世を面白く  住みなすものは 心なりけり

 

晋作が上の句を作り 下の句は勤王の歌人といわれた望東尼が作ったようです。