監督 ニコラウス・ゲイハルター
いよいよ2007年も最後の映画鑑賞となりました。
今年最後に見るのはドキュメンタリー映画「いのちの食べかた」
見る劇場が初めて見にいく十三の第七藝術劇場。
ここは中々個性的な作品を上映している劇場ですが、今までなかなか行く機会がなかったんです。
しかも十三で映画と言えば子供の頃に親に連れていってもらって十三弥生座という名画座で「チャップリンのキッド」「ドラゴンへの道」「デアボリカ」の3本立てを見て以来ですね。
そしてこの作品で久々に足を踏み入れることになりました。
ちなみにここ十三はかのスティーブン・セガールが道場を開いていた土地でもあります。
(あらすじ)
誰もが毎日のように食べている大量の食品は、どのような過程をへて消費者の手に届くのか? 現代人の命を支えながらも、ほとんど知られていない食料生産の現場に密着。
ベルトコンベヤーに注ぎ込まれるヒヨコの群れ、自動車工場のように無駄なく解体される牛など、大規模な機械化により生産・管理された現場の実態が映し出される。
この映画は秋の大阪ヨーロッパ映画祭で1日だけ公開された作品ですが、その頃から興味がありました。
普段当たり前のように食べてる牛肉や豚肉、鳥や魚・・・我々の口に入るまでは生きていたこの生き物がどう言う風に生産され管理されやがて我々のお腹の中に入っていくのか・・・漠然と判ってても実際に現場や実情などはなかなか知ることもない。
そんな心のどこかに持っていた疑問や興味に答えてくれそうな作品だと思いました。
しかしいざ蓋を開けて見るとこの映画はナレーションは一切なし、しかも音楽もなし・・・場面に対して何の説明もない・・・淡々と見せてくれる収穫される果物や野菜、そしてさばかれる豚や牛・・・音楽に替わり聞こえてくるのはその現場の空気の音・・・無機質なまでの解体工場での機械の音や空調の音は下手な音楽よりもより臨場感が見てるものに伝わります。
左右対称なシンメトリーな画角で描かれる映像は実に美しく、また人物を真ん中に配置し、正面から捉えた人物の描写はまさに観客に正面からこの現場に向き合わせてくれてるかのようです。
ピッチングマシンのような機械でポンポンと弾かれていくひよこ、回転するローラーのようなもので機械に取り込まれていくニワトリ・・・事務的に淡々と解体される豚や牛・・・それはもう生き物というよりモノとしての感覚ですね。
見る人が見れば不快に感じるかもしれないけど、でもその作業する人たちに取っては仕事であり、日常当たり前の光景なんですね。
ただその日常の光景を大半の人々は知らないから余計にある意味ショックであり、新鮮でもあります。
見慣れない人からすればある意味衝撃映像だったりするんですね。
ベルトコンベア-で運ばれる豚が機械の中に入るや否や反対からグッタリとして出てくる。
そのまま逆さ釣りにされ機械で腹を裂かれ内蔵が飛び出てくる・・・その後さらに別のセクションでは豚の足を大きなハサミで切り落としていく人がいて、完全に合理的な分業システムに見てて呆気に取られるほど簡単に出際よく作業が進んでいきます。
更に牛の場合は短い棒のようなモノを頭に当てると一撃で牛が崩れ落ちます。
そのまま釣るされ、ナイフで切り込みを入れられるや大量の血と体液が流れ落ちる!
そして機械で皮を巻き取るように剥がされていく・・・音楽もナレーションもない分、ある意味、見る側にいろんなことを考えさせられる。
生き物の命を食べることは自分自身が生きるために必要不可欠なことと言う当たり前に思ってたことを改めて考えさせられますね。
命を頂いて我々は生かされてる(食べられる生き物も何かしらの命を頂いて生きてたんだけどね)という宗教法話を聞いたことがありますが、この作品はそこまで崇高なことさえも感じてしまいます。
“食”の安全が何かと議論された今年にタイムリーな公開となりましたが、そんな今だからこそ見ておきたい作品です。
映画終って劇場の外に出ると目の前に吉野家が・・・松屋が、マクドが・・・命の加工品が今日も当たり前のようにあります。
これが現実だし、また必要なものなんですね~そんなことを再認識させてくれる良質なドキュメンタリー映画でした。
☆☆☆☆ 2007.12.29(土) 第七藝術劇場 10:30 4列目 左端
いよいよ2007年も最後の映画鑑賞となりました。
今年最後に見るのはドキュメンタリー映画「いのちの食べかた」
見る劇場が初めて見にいく十三の第七藝術劇場。
ここは中々個性的な作品を上映している劇場ですが、今までなかなか行く機会がなかったんです。
しかも十三で映画と言えば子供の頃に親に連れていってもらって十三弥生座という名画座で「チャップリンのキッド」「ドラゴンへの道」「デアボリカ」の3本立てを見て以来ですね。
そしてこの作品で久々に足を踏み入れることになりました。
ちなみにここ十三はかのスティーブン・セガールが道場を開いていた土地でもあります。
(あらすじ)
誰もが毎日のように食べている大量の食品は、どのような過程をへて消費者の手に届くのか? 現代人の命を支えながらも、ほとんど知られていない食料生産の現場に密着。
ベルトコンベヤーに注ぎ込まれるヒヨコの群れ、自動車工場のように無駄なく解体される牛など、大規模な機械化により生産・管理された現場の実態が映し出される。
この映画は秋の大阪ヨーロッパ映画祭で1日だけ公開された作品ですが、その頃から興味がありました。
普段当たり前のように食べてる牛肉や豚肉、鳥や魚・・・我々の口に入るまでは生きていたこの生き物がどう言う風に生産され管理されやがて我々のお腹の中に入っていくのか・・・漠然と判ってても実際に現場や実情などはなかなか知ることもない。
そんな心のどこかに持っていた疑問や興味に答えてくれそうな作品だと思いました。
しかしいざ蓋を開けて見るとこの映画はナレーションは一切なし、しかも音楽もなし・・・場面に対して何の説明もない・・・淡々と見せてくれる収穫される果物や野菜、そしてさばかれる豚や牛・・・音楽に替わり聞こえてくるのはその現場の空気の音・・・無機質なまでの解体工場での機械の音や空調の音は下手な音楽よりもより臨場感が見てるものに伝わります。
左右対称なシンメトリーな画角で描かれる映像は実に美しく、また人物を真ん中に配置し、正面から捉えた人物の描写はまさに観客に正面からこの現場に向き合わせてくれてるかのようです。
ピッチングマシンのような機械でポンポンと弾かれていくひよこ、回転するローラーのようなもので機械に取り込まれていくニワトリ・・・事務的に淡々と解体される豚や牛・・・それはもう生き物というよりモノとしての感覚ですね。
見る人が見れば不快に感じるかもしれないけど、でもその作業する人たちに取っては仕事であり、日常当たり前の光景なんですね。
ただその日常の光景を大半の人々は知らないから余計にある意味ショックであり、新鮮でもあります。
見慣れない人からすればある意味衝撃映像だったりするんですね。
ベルトコンベア-で運ばれる豚が機械の中に入るや否や反対からグッタリとして出てくる。
そのまま逆さ釣りにされ機械で腹を裂かれ内蔵が飛び出てくる・・・その後さらに別のセクションでは豚の足を大きなハサミで切り落としていく人がいて、完全に合理的な分業システムに見てて呆気に取られるほど簡単に出際よく作業が進んでいきます。
更に牛の場合は短い棒のようなモノを頭に当てると一撃で牛が崩れ落ちます。
そのまま釣るされ、ナイフで切り込みを入れられるや大量の血と体液が流れ落ちる!
そして機械で皮を巻き取るように剥がされていく・・・音楽もナレーションもない分、ある意味、見る側にいろんなことを考えさせられる。
生き物の命を食べることは自分自身が生きるために必要不可欠なことと言う当たり前に思ってたことを改めて考えさせられますね。
命を頂いて我々は生かされてる(食べられる生き物も何かしらの命を頂いて生きてたんだけどね)という宗教法話を聞いたことがありますが、この作品はそこまで崇高なことさえも感じてしまいます。
“食”の安全が何かと議論された今年にタイムリーな公開となりましたが、そんな今だからこそ見ておきたい作品です。
映画終って劇場の外に出ると目の前に吉野家が・・・松屋が、マクドが・・・命の加工品が今日も当たり前のようにあります。
これが現実だし、また必要なものなんですね~そんなことを再認識させてくれる良質なドキュメンタリー映画でした。
☆☆☆☆ 2007.12.29(土) 第七藝術劇場 10:30 4列目 左端