MOVIE KINGDOM Ⅱ

映画に関する話題やライブ&イベント、ローカルなグルメ情報など色々話題を広げて行きます
ポイントは★~★★★★★★

復活!西田辺鶴ヶ丘バル

2024-11-04 17:15:00 | その他





コロナ禍を経て5年ぶりに復活した地元の西田辺鶴ヶ丘バル
雨やんだから嫁さんとチャリで周ってきました

チケット制からリストバンド制になり、参加店舗も以前より少なく、バルメニューも少し寂しい内容だが、回った3軒どこも美味しいかった





1軒目は鶴ヶ丘のイタリアン酒場のアメーノさん
いつもセレッソ試合時にはサポーターが来る店
ここでの前菜3種盛りは量も多くてお得で美味しい!
これで1人700円!





2軒目は5年前は満員で断られた舶来居酒屋バニー
ここのバルメニューのカツサンド美味すぎた!
ワンドリンク付いて1000円
コマ割りのきくママさん、お客さんやのに店の手伝いしてる仙人みたいなお爺さんと人の雰囲気もよし



3軒目は前回も行ったアジアンビストロスパイスでメキシカンタコスライスとハイボール



どこも流行っていて地域の活性化になって良いですね
来年もまた楽しみです

令和の天王寺ステーションシネマにて…

2024-09-24 00:28:00 | その他


毎年恒例のドイツビールの祭典であるてんしばオクトーバーフェストへ行ってきました
友人のK氏と行って来たんだが、相変わらずビールが高い!
だいたいレギュラーサイズが一杯1600円て…いつもの事ですが、それでも皆さん飲みまくってますね
この日は土曜日って事で特設ステージのショータイム
ドイツ民謡で踊り、ジンギスカンやゴーウェストで盛り上がる
みんなでトレインで繋がって会場内をハイタッチしながら行進
アルコール入ってるとはいえ大盛り上がりです
しかしてんしばになる前の天王寺公園時代はもっと広くて、ビールメーカーも倍以上あって、もっと盛り上がってましたね








ビール2杯だけ飲んでてんしばを後にして場所移動
あべの地下センターことあべちかに降りて2件目が何とかつて私の行きつけの名画座であった天王寺ステーションシネマのあった場所に最近出来た立ち飲みの居酒屋の赤垣屋!

天王寺ステーションシネマは過去にブログに書いたように私が子供の頃からあった低料金で映画を見れる2番館
特に私は中学生の頃から就職するまでの間に毎週のように友人らと通ってた
その友人の中で1番数多く一緒に見に行ったのが今回一緒にオクトーバーフェストに行ってるK氏なのであります
その2人が40年以上振りにこの敷地に足を踏み入れる
映画館が閉館後は食料品店やクリーニング屋とかになってましたが、最近に嫁さんと前を通った時に赤垣屋になっててびっくりした次第
因みにこの赤垣屋は近くのあべのキューズタウン内にもあり、そこに10年くらい前まで良く仕事帰りに通ってた馴染みのあるチェーン店居酒屋
馴染みの店長とか行たが、私が行かなくなってからは店長もいなくなってたから、それ以来遠ざかってたのであります



↑天王寺ステーションシネマ跡の立ち飲み居酒屋の赤垣屋…階段降りた入口は映画館時代と同じ位置

奥のテーブルに通されたが、「ここのテーブルは映画館時代はトイレやった場所やな」
「スタッフルームがスクリーンあった客席の位置か」 
「あの辺にゲーム機が1台だけあったな」
そんな話題だけで2人で盛り上がる(笑)
ビール350円・・・5杯飲んでやっとオクトーバーフェストのビール1杯分と言う安さ(笑)
ビールにどて焼き、鳥皮(個人的には赤垣屋の鳥皮が最強)に焼きそばなど食べながら天王寺ステーションシネマを現地にて振り返る…最高の酒盛りです






そうやって飲んでたら、何とカウンターにかつての馴染みの店長が!
ちようどそのキューズタウン時代の店長の話題してたとこ
おるやんけー!
向こうも覚えてたのかして、挨拶に見えられた
いやー今日は懐かしいづくしやね

しかしまさか40年以上経って、もっとも思入れのある映画館跡にやって来るとは思わなかったし、ましてそこで酒を飲めるとは!
いまだにご当地のアポロシネマに通ってるように地元付近に住み、地元で映画を見てる事による必然だったのかも知れないですな

今後月1の飲み会にこの店にやって来る事になりそう
天王寺ステーションシネマの思い出を肴にして…







私らの昭和がよいよ…谷村新司さんもんたよしのりさん死去

2023-10-23 15:03:00 | その他









谷村新司さんに続いてもんたさん…
いよいよ我々のリアルタイム世代の方々の訃報を聞くようになると、私も歳を重ねたなーと実感してしまいます

谷村新司さんはウチの兄がアリスが好きでレコードもいくつかありました
私は「チャンピオン」のドラマティックな歌詞が好きで、20代の頃はカラオケスナック連れて行かれては、チャンピオンを歌ってましたよ
そんな時代に毎年集まる飲み会が年一回コロナ前まであったんですが、そのメンバーの1人でアリスの好きなオッチャンが居て決まってカラオケで「秋止符」を歌うんですよね
その方も昨年亡くなりました
いい人やっただけにあの秋止符がもう聴けないと思ってたら本家も聞けなくなるとは…

谷村新司さんのアルバムで人間交差点てのがあって「刑事」と言う曲も泣けましたね
「彼の手首に手錠を掛けても心に手錠は掛けられない」と言う歌詞が痛切で、また「雨はいつしか雪へと変わり、刑事は1人の父親となった」
家庭を顧みず仕事一辺倒だったベテラン刑事が親元から旅立つ息子を見送る心情を歌った歌詞も映画の一場面が浮かびそうでした
他にも「22歳」「誕生日」「夜顔」
どれもドラマの一場面を切り取ったような歌詞が好きです
そして映画「連合艦隊」主題歌の「群青」
沈みゆく戦艦大和の上空で特攻に向かう中井貴一がゼロ戦の中から大破する大和に敬礼するラストシーンに流れる「群青」はとても印象的に使われました

もんたよしのりさん
何といってダンシングオールナイトの入ったアルバムを当時は杉良太郎推しだった母親が何故か買ってきた
演歌しか聞かないのに…我が家の永遠の謎でした
独特の歌声は唯一無二、近所の兄ちゃん見たいな関西弁丸出しの喋りも良かったです
大橋純子さんとのデュエット曲「夏女ソニア」も良いし、「DESIRE」や「ギャランドゥ」も好きですね

西城秀樹さんや渡哲也さん、高倉健さんなど亡くなった時は昭和が終わってとか表現されましたが、年代的にリアルタイムのこのお二人の訃報に"我々の昭和"も終わり始めたと感じました
ご冥福をお祈りいたします

「さらばテキサスブロンコ」

2023-08-24 22:13:00 | その他






テリーファンクさん死去

朝からテリーファンの友人から「えらいこっちゃ第51第NWA世界王者テリーファンクが死んでもた!」と動転したようなLINEが来てびっくり!(親戚が死んだんやないねやからね)

クリエイションの「スピニングトーホールド」が会場に流れると場内は一斉に異様な歓声に包まれる
女子高生ファン達がポンポン持ってチアガールのように踊る!
通路を塞ぐファン達の間をテリーがリングに向かって入場する
身体を叩かれ頭もさわられ首に何かかけられながら、揉みくちゃになりながら笑顔で入場する
こんな光景は今では考えられない
DJ SODAさんなら卒倒モノの永遠のトラウマ級な昭和の入場シーン
リングに上がり笑顔で歓声に応えるテリーファンク
外人レスラー=悪役のイメージを覆し歴史的なまでの大人気となったテリーファンク(その前から人気のミルマスカラスは覆面レスラーでちょっと特別って事で)
力道山、馬場さん、猪木さんに次いで日本のプロレスの発展に貢献したのは間違いなくこの人でしょう

1978年12月オープンタックリーグ戦決勝で極悪コンビのブッチャー、シーク組に凶器攻撃で腕を裂傷しながらも、リング下で応急処置して、1人で孤軍奮闘してた兄のドリーを救出して見事に優勝する
テリー&ドリーのザファンクスが大ブレイクした日でした
特に感極まり涙するテリーファンクに大感動するのであります
後にたまたまこれを見てたと言う人がどれだけ私の周りにいた事か…(笑)
そしてこの試合見てプロレスファンになった小中学生がどれだけいたか!
男子だけでなく、プロレス会場に女子高生までも呼び込んだ!(今思ってもあのチアガール隊はびっくり)
今の50〜60代プロレスファンには忘れられないプロレスラーなのであります
倒れても立ち上がるそのファイト姿は"テキサスブロンコ"と呼ばれた
彼を見て人生に影響を与えられた人達も多数いたでしょう






私は17歳の時に大阪府立体育会館前にあったホテル南海のロビーで出待ちして、テリーさんからサイン貰ってハグまでされた思い出がある

生テリーで印象的な試合は1983年4月14日の大阪府立体育会館でのスタン・ハンセン戦
因縁の対決は暴走したハンセンがブルロープでテリーをロープ越しに首吊りにしてテリーは白眼を向いて失神!私服姿の兄ドリーが救出に来る大混乱の一戦
テレビ中継はこの首吊りシーンはカットされたくらいです

テリーは一旦引退してまた復帰したが、今思えばあのまま39歳で引退の方が良かったかな
復帰した後はあの爆発的な人気に陰りありました
引退試合のあの感度が薄くなってしまいました
しかしそれでもプロレスファンを熱狂させてくれた事には変わりありません
心からご冥福をお祈りします

"テキサスブロンコ"よ永遠に
Forever!Forever!Forever!サ・ヨ・ナ・ラー

水木一郎さん永遠に

2022-12-13 23:30:00 | その他






アニソンの帝王 水木一郎さんが亡くなりました
我々世代はまさにリアルタイム世代に聞いていたアニメソングや特撮ヒーローソング

「マジンガーZ」「超人バロム1」「バビル2世」「がんばれロボコン」などなど
レコード持ってました
私、個人的には「仮面ライダーX」が好きでしたね
セッタープ!セッタープ!セッタ〜プ!
これカラオケで歌った時はスッキリ爽快でした
現在までもそんなリアルタイム世代では無い若者にも人気があり、最近では中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ」が印象的でした

楽しませて貰いました
ご冥福をお祈りします


さらば燃える闘魂!ありがとうアントニオ猪木

2022-10-01 18:49:00 | その他





アントニオ猪木さんの訃報が友人から持たされました
仕事中でしたが、ちょっと動揺しましたねー
アントニオ猪木はまさに私の青春でもあります

プロレスや猪木の話題で青春してましたなー
あの学校の教室で、廊下やテラス?見たいなとこで、やれ1対3ハンディマッチやヘアーマッチや逆ラリアートや猪木失神とか…毎日プロレスで盛り上がってた頃…楽しかったなー

小学生の時猪木vsアリ戦が始まる直前友人と学校帰りに「どっち勝つかな?」「そりゃ猪木がアリ捕まえてコブラツイストかけたら終わりやんか」と実際のルールを全く知らず商店街で語り合ってアリ戦見に家に急いで帰ったのも思い出の1つです

大阪府立体育会館に中学生の頃から通い
猪木vsハンセン、アンドレ、ホーガン、ブロディ、ラッシャー木村、長州力などなど猪木のファイトは生で目に焼きつけて来ました
田中リングアナウンサーが「赤コーナーよりアントニオ猪木選手の入場です!」の声と共に大歓声!
そして流れる♫炎のファイター!
イノキボンバイエ!イノキボンバイエ!イノキボンバイエ!に合わせて鳴り響く手拍子と耳をつん裂く大猪木ゴール!「イーノーキー!イーノーキー!」…その何十分前には藤波辰巳の入場時のドラゴンコールに圧倒され、またタイガーマスクがコーナーポストに立った時の大歓声に身体が震えた…しかしこのイノキボンバイエが流れた瞬間はそれすらを遥か凌駕するこの日の1番の地鳴りのような大歓声が大阪府立体育会館に響き渡るのです
炎の飛龍も虎戦士も燃える闘魂には敵わなかった
プロレス生観戦で1番私が好きな場面はアントニオ猪木の入場シーンでした
あれこそLIVEでしか味わえない至高のひと時でした

1.2.3ダーで昨今の若い人達からも知られていましたが、晩年はちょっと変な人みたいに思われたかも知れないけど、良くも悪くも色々な仕掛けはなかなか誰しも出来る事では無かったでしょう
まさに迷わず行けよ!行けば分かるさーの世界です

昭和59年6月14日蔵前国技館
第2回IWGP決勝戦
前年度にホーガンのアックスボンバーに場外叩き落とされKO負けし、そのリターンマッチとなったこの試合でも場外でアックスボンバーを食らった猪木が大の字になってしまった
場内に大猪木コールが響き渡る!
その時の古舘伊知郎の実況がとても心に残ってる
「超満員1万3千人のそれぞれの心の中のプロレスラーが猪木を励ましている」
ファン一人一人に心の中にプロレスラーが居る…プロレスファンを泣かせるフレーズでしたね
猪木が病と戦ってる時も我々の心の中のプロレスラーは猪木を励ましただろうか…?

今、アントニオ猪木を崇拝してる芸能人やプロレスラー達がコメント出してます
私のLINEにも多数の友人から訃報の知らせ来ました
親戚とちゃうちゅうに!(笑)
でも私ら世代男子はアントニオ猪木に影響受けた最後の世代と行っても良いでしょう
みんな何らかの反応してしまうんでしょうね
ジャイアント馬場さんの時はこう言うんじゃなかった気がします
やはり猪木ならではのカリスマ性があったんでしょうね
天国で馬場対猪木戦を力道山、テーズ、ゴッチ立ち会いの元実現させてるかも?
猪木さんの死と共に昭和プロレスも終わりかな
ご冥福をお祈りします
そして若き日から魅了してくれてありがとうございました
私はアントニオ猪木のDVD見て偲びます

因みに私がアントニオ猪木心の名勝負選ぶとしたらコレかな
劇画との相乗効果でテレビ見てても緊張感が凄かったのを覚えてます






昭和55年2月27日蔵前国技館
WWF格闘技世界ヘビー級選手権試合
アントニオ猪木vsウィリー・ウィリアムス

「COVID-19 第7派で力尽きる」

2022-08-11 14:22:00 | その他
遂に第7派で力尽きました
コロナに不覚にも感染!
幸い軽い風邪症状ですが、陽性出てしまいました

8/4辺りから喉の違和感、そこから軽い怠さが来て風邪薬を飲んでて大分喉はマシになったが怠さは相変わらず
熱は平熱のままなので大丈夫だろうと思ったら嫁さんに風邪移って、嫁さんが発熱!
2人揃ってPCR検査受けたら陽性判定
幸いこの日から盆休み取っていて仕事的に問題ないが、この検査した日に当初は映画行ったろか思ってだけに残念

検査受けたんが近くのオンライン診療のとこ
私らは現地行って入ってすぐの所に座らされて医師から問診受けて、唾液を摂って検査
しかし嫁さんはアッサリ規定の量取れたのに対して、私は唾液がなかなか出ず医師の説明受ける嫁さんの横でカプセルに永遠唾吐きまくる(笑)
帰宅して1時間くらいで結果判明でした
トータル2時間かかわらず結果わかるんですね

現時点では2人とも回復
隔離生活の間はおうち映画でもしようかな…

あれだけ対策し過ぎなくらいしてたのに…
私がかかるようなら「人類に打つ手は無し!」とさえ思ってただけにちょっと悔しい
保健所から毎日体調確認のショートメールに体調を打ち込む毎日です

気をつけてください
本当油断なりむせんね

「続報・さらば昭和の本屋さん ノスタルジックな想いと共に…」

2022-07-30 10:14:00 | その他




以前紹介した閉店した昭和の本屋さん河堀口書店の前をまた通ったらシャッターに何か貼られていた
近寄って見るとそこにら無き本屋さんへの世代を超えた感謝のメモが多数貼られていた
そこに様々な人たちそれぞれの思い出や想いが綴られてた










町の本屋さんが減って行く昨今
ここも小さな本屋さんではあるが、地元の人達に愛されていた本屋さんやなーと感じでちょっと感動しました

大手の巨大書店の豊富な品揃えもいいが、この書店は小さくて置いてる本も少ない
しかし本を買うだけでなく、大型店にない町の本屋さんならではの人と人のふれあいがありました
本屋さんに限らず昔からある古い店なんかは地元離れた人がたまに帰ってきたら「ここのお店まだやってる…」そう思うだけでちょっとホッコリした気持ちになりますよね
色々な人達の思いがこの小さなスポットに何十年にも渡って集約されている
このシャッターに貼られたメモからそう感じました

シャッターに貼られたたメモを読みながら脳内に「ニューシネマパラダイス」のラストシーンに流れる「愛のテーマ」が駆け巡りました










「さらば昭和の本屋さん ノスタルジックな想いと共に…」

2022-05-04 16:03:00 | その他



↑思えば昭和の遺跡のような店やったな
一度覗いとけば良かった



医院に足のクリーム貰いにかつての地元を訪れたら、子供の頃良く買いに行った本屋さん、河堀口書店が閉店してた
この地域には散髪来るときと駅前の大谷医院に足のクリーム貰いに行く時に訪れるが、先日まで営業していた
娘さんがおばあちゃんになって・・・

張り紙には店主が亡くなったて事らしいが、私が小学生ぐらいの時は母と娘2人で切り盛りしてる小さな本屋だったが、途中から娘さんが1人でやっていた
先日もその娘さんがおばあちゃんになって相変わらず風呂屋の番台のごとく本屋の中央に居座り本に囲まれていた
近くに中学校や高校があることもあり、「高一時代」とかの学生雑誌が全面に出ていた記憶がある
決して品揃いは良くなかった町の本屋さん
ここはウチの母親が良く利用していて、ザ・テレビジョンやTVガイドなどを毎週買うていた

私は小学生のある時ここに立ち寄ったら、お金払うカウンター前に映画化が決まった横溝正史さん原作の金田一耕助シリーズの「悪魔の手毬唄」の原作本をを平積みしていて、その不気味な気持ち悪い表紙に刺激を受け(笑)
ついつい思わず買って読んだのが印象に残る
続いて「獄門島」もここで買ったな
古くから地域の者は一度は訪れたであろう
町の老舗でした(ま、私はここより数十メートル先の商店街にあった大仙書房派だったがね)

因みに他にも河堀口から離れるが、寺田町近辺では駅前の浪速書店、ブックス寺田、生野本通商店街の花谷書店など小中学生の頃は良く行ったかな
ブックス寺田ではハヤカワミステリーや創元推理文庫などの海外ミステリーを良く買ったね
でも現在残ってるのは花谷書店だけかなか


↑ここで買った「悪魔の手毬唄」の表紙カバー

また老舗の昔ながらの本屋さんが消えましたね
シャッターの降りた昔と変わらないスペースに薄汚れたテント…
時代に取り残されたようなJR阪和線高架下の古き良き昭和の残像を前に静かに佇んでいた初老の男
それは春に咲いた昭和枯れすすき…

あっ、季違いじゃが仕方がない…


追悼 ストロング小林さん

2022-01-08 00:33:00 | その他







昭和を代表するプロレスラーがまた1人天に召されました
ストロング小林
国際プロレスのエースとして、また新日本プロレスに入団し坂口征二と北米タッグのベルトも腰に巻きました
なんと言っても昭和49年3月19日に蔵前国技館で行われたアントニオ猪木vsストロング小林戦は昭和の巌流島の決闘と言われる名勝負となりました
今思えばこの試合がストロング小林さんのレスラー人生で最大のピークだったんではないでしょうかね
それ程インパクトのある名勝負だと思います
私は対戦決まってからの猪木のトレーニングやインタビューなどの戦前の対戦煽り映像は見た記憶あるんですが、肝心の本番の試合はリアルタイムでは見てないんですよね
大人になって発売されたビデオでやっと見た感じです
10年くらい経っていてもやはりいい試合だなと思いましたね






新日本プロレスに入ってからは扱いがあまり良く無く、国際プロレスの本エースもどこいやらでシンにも2分くらいでコブラクローで簡単に負けたり、ハンセンにもボコボコにされたりとやられ役が多かった

余談ですが有名な猪木のテーマ曲「炎のファイター」を初めて聞いたのがある日のテレビ中継でタッグマッチで猪木小林組が入場してきた時なんですが、これが曲始まりのイノキボンバイエ!イノキボンバイエ!の掛け声がイノキコバヤシ!イノキコバヤシ!に聞こえて(笑)
暫くは猪木小林組のテーマ曲と思ってました
(爆笑)

初めて私がプロレス生観戦した時のセミファイナルがMSGシリーズリーグ戦の猪木vs小林戦でした
あの名勝負を繰り広げた攻防は見る影もなく、11分くらいに延髄切り一発で猪木の勝利で終わりました
「あーストロングもこんなもんなんやなー」
と寂しく感じました

第一線から外れてからは国際軍団に加担したりしてましたが晩年はストロング金剛としてタレント、役者として悪役専門で活躍してました
「伊賀忍法帖」では金剛坊と言う妖怪で登場し美保純の乳を揉み倒してました
この役名がストロング金剛の芸名になりましたね

昭和の黄金期を作ったレスラーがまた居なくなり後は、猪木さんや坂口さんぐらいになってきた(藤波や長州はまだまだやんね)
御冥福をお祈りします