テリーファンクさん死去
朝からテリーファンの友人から「えらいこっちゃ第51第NWA世界王者テリーファンクが死んでもた!」と動転したようなLINEが来てびっくり!(親戚が死んだんやないねやからね)
クリエイションの「スピニングトーホールド」が会場に流れると場内は一斉に異様な歓声に包まれる
女子高生ファン達がポンポン持ってチアガールのように踊る!
通路を塞ぐファン達の間をテリーがリングに向かって入場する
身体を叩かれ頭もさわられ首に何かかけられながら、揉みくちゃになりながら笑顔で入場する
こんな光景は今では考えられない
DJ SODAさんなら卒倒モノの永遠のトラウマ級な昭和の入場シーン
リングに上がり笑顔で歓声に応えるテリーファンク
外人レスラー=悪役のイメージを覆し歴史的なまでの大人気となったテリーファンク(その前から人気のミルマスカラスは覆面レスラーでちょっと特別って事で)
力道山、馬場さん、猪木さんに次いで日本のプロレスの発展に貢献したのは間違いなくこの人でしょう
1978年12月オープンタックリーグ戦決勝で極悪コンビのブッチャー、シーク組に凶器攻撃で腕を裂傷しながらも、リング下で応急処置して、1人で孤軍奮闘してた兄のドリーを救出して見事に優勝する
テリー&ドリーのザファンクスが大ブレイクした日でした
特に感極まり涙するテリーファンクに大感動するのであります
後にたまたまこれを見てたと言う人がどれだけ私の周りにいた事か…(笑)
そしてこの試合見てプロレスファンになった小中学生がどれだけいたか!
男子だけでなく、プロレス会場に女子高生までも呼び込んだ!(今思ってもあのチアガール隊はびっくり)
今の50〜60代プロレスファンには忘れられないプロレスラーなのであります
倒れても立ち上がるそのファイト姿は"テキサスブロンコ"と呼ばれた
彼を見て人生に影響を与えられた人達も多数いたでしょう
私は17歳の時に大阪府立体育会館前にあったホテル南海のロビーで出待ちして、テリーさんからサイン貰ってハグまでされた思い出がある
生テリーで印象的な試合は1983年4月14日の大阪府立体育会館でのスタン・ハンセン戦
因縁の対決は暴走したハンセンがブルロープでテリーをロープ越しに首吊りにしてテリーは白眼を向いて失神!私服姿の兄ドリーが救出に来る大混乱の一戦
テレビ中継はこの首吊りシーンはカットされたくらいです
テリーは一旦引退してまた復帰したが、今思えばあのまま39歳で引退の方が良かったかな
復帰した後はあの爆発的な人気に陰りありました
引退試合のあの感度が薄くなってしまいました
しかしそれでもプロレスファンを熱狂させてくれた事には変わりありません
心からご冥福をお祈りします
"テキサスブロンコ"よ永遠に
Forever!Forever!Forever!サ・ヨ・ナ・ラー