kikoがスタート

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隠れキリシタンの里に「厨子入象牙彫キリスト磔刑像と銅版画」

2022年04月24日 | 観戦・鑑賞・参観・見学ほか
私には、ザビエル像や隠れキリシタンから思い出されることがあります。
それは、「聖フランシスコ・ザビエル像」が発見された「隠れキリシタンの里」へ行った時に見たものです。2010年12月撮(再投稿)

隠れキリシタンの里は、1549年(天文18) に宣教師フランシスコ・ザビエルによって、日本にキリスト教が伝えられました。

キリスト教は織田信長には庇護されていたのですが、豊臣秀吉や徳川家康は、キリスト教が当時の封建制にあわないので、禁教を厳しくしました。

島原の乱の後、キリシタンたちは迫害され棄教を迫られました。
禁教は1873年(明治6年) まで続き、キリスト教は人里離れた山地などで秘密裏に信仰されていたので「隠れキリシタン」といわれています。


右:「象牙彫 のキリスト磔刑像(だっけいぞう)」
左:「ロザリオと十字架」

これは茨木市の山間部にある「隠れキリシタンの里」の一つで、大神家(下音羽 地区)で見せて頂いた普段は見ることができない貴重なものです。


キリスト像の、喉元や手首と足首に血痕の跡が・・・

大神家の家の前にある、 茨木市教育委員会の説明版には
逗子は黒漆塗りのもの (高さ38.6cm  間口18.2cm  奥行外側7cm 内側6cm) で、観音開きの扉は銀の金具でとりつけてある逸品である。 

逗子には「ユダヤの王ナザレのゼヌス」 略字 INRI の四文字を刻んだ板のついた黒檀の十字架に象牙彫キリスト像(総長13.3cm)をはりつけた物が納めてある。

十字架のとりつけてある台はコルゴダ山を思わせる半円形の黒檀製のものでした。キリスト像は、喉元や手首、足首に血痕があらわされており写実的な優秀な作品である。大正11年、大神家の納屋から発見され、昭和8年10月31日に 「重要美術品等保存ニ関スル法律」 により認定を受けており、大阪府下でも類品のない貴重なものです。



これが、茨木市教育委員会の説明版に書かれていた 「銅版画」 です。

この時は、観光協会主催の観光ウォークで行ったこともありますが
大神家のご好意で、目の前30cmほどの所で拝見させて頂きました。

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