kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
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神戸市立博物館 ボストン美術館所蔵 「俺たちの国芳 わたしの国貞」展 

2016年08月09日 | 美術館・博物館


神戸市立博物館 「俺たちの国芳 わたしの国貞」展
開催期間:6月18日(土曜)から 8月28日(日曜)

アメリカを代表する美の殿堂・ボストン美術館は、古今東西の優れた美術品を網羅する約40万点のコレクションで知られ日本美術コレクションは約10万点、その半数以上を占める浮世絵の中から、江戸後期の人気絵師、歌川国芳(1797~1861)と、歌川国貞(1786~1864)による錦絵170点が展示されます。


この二人は役者絵の巨匠・初代歌川豊国の門下で、江戸後期の錦絵黄金時代を築いた絵師です。

国芳
は不遇にめげず努力を重ね、「水滸伝」を主題とする錦絵で一躍脚光を浴び、以後中国や日本の合戦や怪異譚を豪快かつ大胆に描いたものや、ユーモアあふれる戯画の分野で無双の表現力を発揮しました。

国貞は、当時の歌舞伎界のトップスターたちと親交があり、役者絵の第一人者としての立場を確固たるものにします。美人画の分野でも時代の王道をいく表現を確立し、幕末まで浮世絵界の第一人者として活躍しました。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 布引の雷神 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

現在の新神戸駅の裏手に、いにしえよりその美しい姿が古歌に詠まれてきた布引の滝があります。この滝は神戸市民の憩いの場所となっていますが、かつては怨霊の棲みかとして恐れられていたことがあったそうです。

「悪源太」の異名をもつ平安末期の武将の源義平(頼朝・義経の兄)は、非常に勇猛な武将でしたが、平治の乱で敗れ生け捕りにされ六条河原で処刑される際に、自分を斬首しようとする難波次郎経房に「たとえ首だけになっても雷神になって怨敵を倒してやる」と言い捨てました。義平ら源氏を一掃し、栄華を極めた平清盛は神戸の福原に都を遷します。ある日、清盛一行が布引滝を見物にでかけたとき、急に黒雲が立ち込め同行した難波次郎は雷に打たれて即死したと言われています。

すさまじい怨念で布引の雷神に生まれ変わった源義平を主題とする国芳の作品「清盛入道布引滝遊覧悪源太義平霊討難波次郎」では、爆発と黒雲とともに悪源太が出現、鬼の形相で清盛一行に襲いかかります。彼が放った火炎弾は、遺言通りに難波二郎(次郎)を直撃、宙返りで吹き飛ばし稲妻が縦横無尽に画面を切り裂いています。「布引ノ瀧悪源太打難波」では、巨大な火柱を打ち込まれて炎上する難波、髪を振り乱して怒り狂う悪源太の形相が凄いです。

雷雨の恐れのあるときは、布引の滝に近づかないようにしましょう。
コメント (2)
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