Cafe de Kerm ~毒味ブログ~

物言いにも、珈琲にも、もれなく毒が混入している可能性が無いこともないです。

テレビすら「能動的」になるのは止められないのか?

2011-01-30 23:59:59 | Digital Devices

家に帰るととりあえずテレビの電源を付ける・・・そういう習慣は私にはとんとありませんが、そういう人たちは少なからず存在します。一人暮らしをしたりしていると、テレビの音というのはかけがえのない物だそうです。

とりあえず電源を入れれば、何かしら番組を見ることが出来る・・・こういう楽さ加減もテレビの魅力の一つと言えばそうです。あくまで受け身に徹し、意思表示はテレビ欄を見てチャンネルを変えるときだけ。

しかしながら、世の中はテレビですら能動的なメディアに変えようと、特に海の向こうでは様々な勢力が頑張っている様です。例えばソニーが対応製品を発売したGoogle TVやApple TVなど、「検索と選択」をテレビまで視聴者にゆだねる”次世代のテレビ”が次々に登場してきています。

が、世の中はそんなに早く技術に付いていかないという話ですよ。

ふつうの人たちにとってコードカッティングは難しすぎる–という実験結果 TechCrunch

家族たちの苦情の中には、こういう製品でテレビを見ると、テレビを見ることが受動的でなく能動的な行為になってしまう、というものがある。彼らがテレビを白痴箱(idiot box)と呼ぶのは、要するに、自分からは何もしなくてもよいからだ。”お、今日はSeinfeldをやってるね、じゃあ見よう”、とか、”Ferris Bueller’s Day Offが今日で100回目だから、ぜひ見ましょう”など、何を見るにも視聴者がやることは、テレビの前に座ることだけだ。

コードカッティングとは、アメリカでは一般的な、ケーブルテレビとの契約を切ること。引用の最初に出てくる「こういう製品」はGoole TVその他のネット利用サービスのことです。要するに、テレビとは、普通の人にとってはそんな製品を使ってまで見る物じゃない、と言うことじゃないでしょうか。

まあ・・・私ももう普通じゃないと言えばそうなんでしょうが・・・そういう製品を使わなくても、そしてアメリカじゃなくても、これは能動的と言えるのでは?という事についてですが。
レコーダーが来てから、リアルタイムでテレビ番組を見なくなりました。特に地上波。CMカットが出来る様、見たい番組は録画でしか見なくなったんです。リアルタイムで見える場合でも、わざと15分程度間を置いて後追いで見たりします。これも、極論すれば「能動的」と言えるんじゃないですかね?

テレビというメディアに対しても、なんというか、ある種の閉塞感みたいな物が漂っている様な気はするんです。でも、それは社会的なインフラであるとか、マスコミ、メディア提供者の立ち位置が変わってきたことが原因であって、ユーザーがテレビに求めている物ってのは大して代わり映えがしないんじゃないかとも思います。双方向化になりかけ、3Dの黎明期に突入し、ネットストリーミングとの一体化が徐々に浸食してくる中、今後メディアとしてのテレビ・ハードウェアとしてのテレビがどういう落としどころを探っていくのか?高画質化、高機能化だけでなく、テレビ放送そのものの未来も今後の大きな関心事の一つとなっていくでしょうね。



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