こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

どこまでが大目にみてよくて、どこからはダメになのか

2024年05月22日 | 生き方について考える
今日も薄曇り。
昨日ほどは暑くならないそうだ。
またまたエントリーをアップし忘れて、今日のこのブログを書こうと開いたらおとといのエントリーがトップにあってそのことに気がついて急いで先ほどアップした。
日付が昨日の夜11時になっているのであまり多くの人には気がついてもらえないだろうが、仕方ない。
それなりになるほどということを書いているので、もしよろしければ昨日のエントリーもこの後読んでいただければ幸いです。

このごろこの間の盗撮犯取り逃しの時に痛めた左薬指の痛みがやっと引いてきた。
1ヶ月以上経つので全治2ヶ月の負傷ということで結構なことだったことになるが、だれにも評価されない。
犯罪の被害に遭うとか、それを防いだり救ったりとかそういうことはずいぶん割に合わないことで、犯罪には巻き込まれたくないものだ。
それにしても犯罪を犯す人間というのはどうして自分のことしか考えなくなってしまうのだろうか。

どういうきっかけで犯罪者になるのだろうか。
手口がわかっていたから特殊詐欺の被害を未然に防ぐことに貢献できたのかもしれない。
それまでにすでに悪事に手を染めていたかどうかはわからないが、良心というか正義を守ろうという気持ちはどこかにあって、”それとは別の次元”で犯罪を犯したのだろうか。

私だって、いつ邪念に支配されるかわかったものではないと思う。
そもそも邪念の範囲だってよくわからない。
人それぞれだし、それぐらい大目に見てよ、という大目ですませる人もいるだろうし、それはちょっと針小棒大というようなことが当たり前の人だっている。

人を一人二人殺したところで、戦争で人を殺すよりはよほどマシ、と本気で考えている人はいるだろうし、それとこれとは別という人もいるだろう。
この間のナントカりりちゃんなんて、恋愛感情につけこんだ詐欺をしたと裁判にかけられているが、美人局に始まりロマンス詐欺、ホストへの入れあげとか何がどれだけ犯罪になるのか線を引くのは簡単なことではない。

ちょうど今、NHKの連続テレビでは女性法律家が主人公の話をしている。
見ていると法律というものは自分目線で利用するものなのだと感じるが、確かにそうだし、では法律が絶対に正しいかといえばそうともいえないのは当然だし、それを簡単に変えるわけにもいかない。

法律に頼るのは当然、というかやむを得ないこととして、それより何より大切なのは、まず、自分が間違ったことをしないということが生きてゆく上での大前提となる。
自分に嘘をつかない

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