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旧ユーゴスラヴィア訪問記② クロアチア・ドゥブロブニクとモンテネグロ・ポドゴリツァ

2024-09-25 | Weblog

1つの国家、2つの文字、3つの宗教、4つの言語、5つの民族、6つの共和国、7つの国境。ユーゴスラヴィアをあらわす典型的な言い回しだ。今やユーゴ成立以前の6つの共和国(コソヴォを入れると7つ)に再び分かれた中でスロベニアとクロアチアは西側の支援もあり、優等生国である。中でも「アドリア海の真珠」とされるドゥブロブニクは世界遺産であり、クロアチア随一の稼ぎ頭。その分、観光客基準の物価はすこぶる高い。行き交う人も多かったがサラエヴォはどこかカントリーサイドの趣もあったが、ドゥブロブニクは観光に特化しているという面で「資本主義的」である。世界遺産指定に気を遣っているのだろう。景観も壊されず、街も清潔である。

クロアチアとモンテネグロは通貨もユーロ。その分、両国の物価は西欧基準でもある。ボスニア・ヘルツェゴビナとセルビアは独自通貨(それぞれマルカ、ディナール)。同じ国であったのに、一方はEUに加入、発展し、他方は復興から「遅れている」。ただモンテネグロはセルビアから分離独立したばかりで、主要産業もあまりなくこれからだ。その中にあって、ドゥブロブニクの南に位置する同じ美しいアドリア海を享受する旧都コトルはモンテネグロであり、同国はこの地に大きく頼っている(ただコトル旧市街からは海はあまり見えない)。

サラエヴォから長距離バスで移動した先がドゥブロブニクで、2泊後、コトルに移動した。そしてモンテネグロの首都ポドゴリツァへ。一国の首都だが、本当に見るところがない。ホテルから歩ける距離にある国立美術館もちょうど展示替え休館中だった。見るところはないが首都のビル群。暑さは変わらないので結構難儀した。

ところで、サラエヴォからドゥブロブニク、ドゥブロブニクからポドゴリツァへは陸路で入国したので前者はバスを降りて、後者は運転手がこちらのパスポートを預かってパスポートコントロールに示しただけですぐに越境できた。元々一つの国なのだ、多分親戚がいる国民も多いだろう。ポドゴリツァへ行きの運転手は送迎の仕事で、パスポートの押印欄がなくなって2冊目だと言っていた。

モンテネグロはもちろん、旧ユーゴの多くの国が復興から遅れていると前述したが、その遅れを地元民はどう感じているのだろうか。トランプ現象に並んで、欧州の右翼伸長の解説として「ブリュッセル(EU)のエリートが、地元で汗流す労働者の声を聞かず、物事を進めることに対する反発」と説明されることがよくある。スレブニツァへのツアーガイドが盛んにナショナリズムの伸長が危険だと強調していた。ここでいうナショナリズムはもちろん、ボスニア紛争の首謀者で後に国際戦犯法廷で収監、戦犯となったスロボダン・ミロシェヴィッチなどを指すのだろう。急激な民族主義は時に近しい敵を見つけて、攻撃する。それが言論にとどまらず、武力行使になれば再び紛争、虐殺の悲劇に繋がりかねない。一方、ポドゴリツァ行きの運転手は、ボスニア・ヘルツェゴビナ人だが「政治家が悪い」とこき下ろしていた。ボスニアは、複雑な民族構成を反映して、各民族に割り当てるため国の規模の割に国会議員がとても多いし、合意形成に時間がかかる。独裁主義に陥らないための民主主義の費用でもある。難しいところだ。

ポドゴリツァは一泊だけで午後には空港へ。いよいよ最後の訪問地、そしてボスニア紛争の相手方であるセルビアのベオグラードへの渡航だ。(左:「アドリア海の真珠」ドゥブロブニク旧市街からの風景。右:モンテネグロの首都ポドゴリツァの旧跡「古い橋」)

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