kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

猫映画ではない    グーグーだって猫である

2008-09-13 | 映画
猫映画を少し期待して見に行った。「ジョゼと…」の犬童一心監督だからというのもあった。決してキョンキョンファンであるからではない。などと力む必要はない。おそらく多くの大島弓子ファンであるならば。
大島弓子ファンでもないと、感覚的にわかりにくい面はある。そしてシーンの端々に出てくる作品名にニヤリとすることもない。途中本作はコメディかとも思った。しかし、見終わって思うのは、猫の映画でもないし、アイドル(というにはキョンキョンももう42だ)キョンキョンの映画でもない、そしてほのぼのでもない、ということだ。
ベネチア映画祭で一つも賞を取れなかったとしても超大作もない日本映画は元気である。その元気の要因がこのようななんの変化も少ない(あくまでハリウッドの国や人類を揺るがす、あるいはスパイものに比して)作品であるのは象徴的だ。
大島弓子の漫画は知らないが、オタク40女性の(アラフォーなんてナウイ?表現もあるらしい)揺れ、艱難辛苦、友情など基本的な人間感情を犬童監督も小泉今日子もうまく描いているというのが本作のプラス点。が、コメディかシリアスか、あるいはアンニュイか、とらえにくい展開は正解を求めないいかにも犬童風か。
という大島ワールドが分かっていないと入り込めないのがマイナス点。いずれにしても上野樹里をはじめ「それでも僕はやっていない」の加瀬亮やテレビで活躍の森三中など「イキのいい」俳優をそろえただけでも本作はアイドル作品である。
冒頭に猫映画ではないと断じたが、猫の媚びなさは本当に惹かれるというのは事実である。
「我が輩は猫である」の映画化は(あるが)、猫が俳優にならないので(?)難しいというのをどこかで読んだことがある。それくらい人間から見ると独立独歩の猫指摘だ。麻子先生の苦しみ、ナオミのひたむきさ、グーグーの外連見のなさ(あたりまえだ)が強調されていないことに乾杯!

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