kenroのミニコミ

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虚構の中の本当の姿とは   ボリショイ・バビロン

2015-10-11 | 映画

バレエは権力と結びついている。だから今日まで生き永らえてきたのかもしれない。イタリアで生まれたとき、バレエはイタリア貴族の庇護の下にあった。フランスに伝えられた後には、ルイ14世自ら踊るなど国王がその擁護・発展に寄与した。ロシアに伝えられたときはまだ帝政時代。しかし、革命を経たロシアでも旧体制の遺物であるバレエを弾圧しなかった。むしろ権力が、その文化的威信のために利用した。もちろん革命以前にヨーロッパバレエを独自に大成させたマリウス・プティパの功績、のちに亡命するセルゲイ・ディアギレフなどロシア・バレエを大成させた才能が数多く輩出したことが大きい。

革命後のロシアにあっても、バレエだけは積極的にヨーロッパに進出した。デイアギレフは革命前から積極的にヨーロッパ興行をこなしていたが、革命後もロシア・バレエを「輸出」し、大成功をおさめていた。そのようなロシア・バレエの根本を担っていたのが、ボリショイである。古典を徹底的に古典的に演じてきたと言われるボリショイだが、必ずしもそうではなかったのに、トップダンサーであったセルゲイ・フィーリンが芸術監督に就任して事件は起こった。

ボリショイ芸術監督硫酸事件。襲われたフィーリンはこの事件で左目を失明し、復帰も危ぶまれたが、それより、耳目を集めたのはボリショイ内部の「腐敗」である。「腐敗」はとらえる側によってその様相を異にする。フィーリンを「改革者」と支持する者は、事件を「守旧派」の陰謀とみなし、フィーリンを「破壊者」と見なす者はもっと大きな策謀の結果だとする。そしてクレムリンの意向。

結局、フィーリンを襲ったのは、フィーリンに役を下ろされたバレリーナの恋人である現役ダンサーが「私憤」で起こしたとして逮捕、裁判で懲役刑が科される。いったい真実はどうであったのか。映画は、その「真実」に迫るのではなく、むしろ、この事件をきっかけにしてフィーリンやボリショイそのもの、あるいは、権力に近かったバレエ業界の膿を描き出す。

その名声が地に落ちたボリショイを立て直すとしてボリショイの総裁に任命されたのがウラジミール・ウーリン。

ウーリンは、ボリショイにはびこる守旧主義、事なかれ主義を切って捨てるが、同時に、急進的なフィーリンにも口出しをさせない。しかし、同時に映画でメドベージェフ首相がロシア・バレエ(ボリショイ)を最終秘密兵器と表現するように、ヨーロッパへの、いや、世界への「覇権」力を担うのがボリショイであって、内紛によってその地位を低下させては決してならないものなのである。

秘密の国、ロシア。素人にはうかがい知れないバレエの世界。そしてボリショイという世界最高峰のカンパニーをおそった事件は、むしろ、旧弊慣れしていたかもしれぬバレエ・ファンをして、改めてボリショイに期待させる演出をなした。

フィーリンを芸術監督から解任したボリショイは、その後、古典をより洗練したかたちで演出し、大成功をおさめたという。けれど、バレエは権力に近い。そのルールはロシアで変わっていないはずである。そして、どう花開くか、ボリショイが。

眼を離せない展開は、ドキュメンタリータッチの本作だけの功績ではない。それは、ボリショイという名門ゆえの虚構の名門と抗う本当の姿と二重写しに見えるバレエという華やかな世界故の儚さなのかもしれない。

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