うって変わって、こちらは随分厳しい表情です。実際、「キィー!キィーッ!」と、もの凄い剣幕で檻の前の人間達に食って掛かっていました。
サルは頭が猛烈にいいですからね、「俺が何をしたっつーんだ。なんでこんな狭い檻に!一刻も早く出せ!自由にしろ!」って、怒っているようにも感じました。
ストレスを感じてる動物を(人間も、ですが。)見るのは、とっても辛いです。狭い檻の中をうろうろと所在無さげにグルグルとうろついてるライオンやトラとかを見ると、決まった食事のアテは無くとも、まだ好き勝手に歩けるノラ猫の方が幸せなんじゃないだろか、って思ったりもします。
動物園や水族館そのものの是非には、色々ご意見もあると思います。難しい問題です。そもそも僕らが見に行かないなら、動物園そのものが必要無くて、そしたら動物が捕まえられることも無い。
イルカショーなんてものがあるから、イルカが捕まって、家族と引き離されて、野生の寿命の半分も生きられずに死んでゆく。
フカヒレを「食感がいいよね、コラーゲン沢山だしね」ってだけでありがたがって食べたりするから、サメが乱獲されて、生きたままヒレだけ切り取られて海に捨てられて。当然、ヒレが無くちゃ泳げないから、サメは生きたまま、泣く泣く海の底に沈んでいく。
こういうことを言っているとキリが無いので止めますが、だからと言って、僕自身がこの先、完全なるベジタリアンには到底なれそうにありませんし、居ながらにして動物や魚にも会いたいから、動物園も水族館も、やっぱりあって欲しいって思っちゃう。エゴなのは解ってるんですけど。でも、都会に住む子供達が、一切、象やキリンや、そのほかの沢山の動物達や、魚やイルカを見たことも無いまま育っちゃったら、それはそれで恐ろしいことになるような気もしますしね。
水族館に子供を連れて行ったら、それまで「お刺身が泳いでいるんだと思ってた!」と言った、いう笑い話があります。まぁ、これは極端な例でしょうけれど。
えー、とりあえず僕の一存で、ここでは「是」、だと仮定して。でも、だったらその分、それなりに環境を整えてあげることは大事ではないかと、思うわけです。勿論、言葉は話してくれませんが、ストレスは見て取れるはず。あ、決してここが特別劣悪な環境だったとは全然、思いませんよ。
ただ、このサルの檻を離れて、ちょっと先に行ったところには、檻の無い、大きなサル山があったなぁ、と。まぁそれとて、本当の自由とは程遠いにしても。
とか言ってね、たまたま、お腹減ってただけなのかもしれませんしね。ただ、それにしてはちょっと異常だったような気がしなくもなかったもので。
ほんと、こういう問題って、視点が一方向じゃまずいですからね、難しい問題なんですよね。でもね、声高に「動物愛護~!」なんて叫ばなくとも、やっぱり何がしか感じたり、時には色々と考えてみることは、やっぱり大事かと思うわけです。
このサルくんが、心安らかに毎日を過ごせることを願って。