京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

奈良・大和郡山城 その1。

2012-02-04 13:27:28 | 石垣のある風景(大原以外の!)

昨年9月の奈良旅行の続き。

(まだ完結していないのであった

 

二日目・法隆寺界隈の散策のあと、帰り道に大和郡山城に寄りました。

大和郡山は、法隆寺から奈良市街に抜ける道沿いにあり、

行くのにとても都合が良いのでした

通りかがるのなら、行ってしまわないとね。

 

大和郡山は、近鉄沿線なので、京都からの便も良いし、とても住みやすそうな場所です。

ただ、お城専用の観光駐車場は見当たりませんでしたので、

三の丸敷地・近鉄郡山駅向かいの・・・

西友(スーパー)の駐車場に停めて、散策を始めました。

(買い物すると、駐車場サービスが付くので便利です

 

車でぐるっと一周しましたが、とても大きなお城でした。(まあ迷ったから一周したんですけど

で、

駐車場を出て、最初の信号が、上の図の一番下の交差点だったと思います。

ここ ↓

 柳御門の跡 

この門が城の表玄関だったそうで、大手掘の名残の水路があり、現在は大和郡山市役所が隣接しています。

いかにもいかにも、三の丸という雰囲気の場所です。

 

他にも、図書館やホールなどがありますが・・・

この三の丸と隔てて、

二の丸~本丸、お城らしい部分は、近鉄電車の線路の向こうにありました。

 ←左(大手道から)右 →

↑近鉄電車     ↑ 蓮池跡  石垣の向こうが二の丸                  ↑ 鉄御門跡・陣甫郭跡    ↑五軒屋敷池    

 

 大手道の近鉄踏切を渡ると、右手には大きな石垣がありました。

鉄(くろがね)御門

 

なかなか存在感があります

 

反対側、左には、道に沿って、白壁が・・・

 現在は、郡山高校の敷地。 

もとは藩庁があったそうです。

払い下げの土地=学校になったのでしょうか。

こんな良い環境で勉強できるなんて羨ましいですね

憧れます

 

そこから、坂を少し上がると、すぐに、お城の構えが見えてきました

上の案内図で分かるように、お堀を張り巡らせた、複雑な構造になっています

  

 ↑ ①天守のある郭  ↑ 土橋(奥にも内堀)  ↑ ②柳沢文庫のある毘沙門郭跡 ↑   ←↑ 内堀    → ③陣甫郭

 図がないと、なかなか説明できないくらい複雑なのですが、

上の写真の①天守のある郭(石垣でできた島のような感じ)を中心にして、

両側に、いくつかの郭が取り巻く構造になってます。

 

西から

麒麟(きりん)郭 ― 新宅郭・厩(うまや)郭 ― 天守部分 - 毘沙門郭 - 陣甫郭 という具合です。

ちなみに、すべてが堀で囲まれているわけじゃなく、両端は他と地続きになっていたり、片側だけ地続きだったり。

まあ、もう一度上の地図をご覧ください

ちなみに、天守台の部分からは、ちょうど5の字状に中枢部分が広がっているようです。

 

複雑な構造・・・きっと防衛上意味があってのことなのでしょうね

 

で、一番大事な天守部分は、全方向お堀で囲まれた島状になってまして・・・

竹林橋(地続きになってると思います)を渡って行きました。 

  

 

  ↑ 新宅郭跡           ↑ 本丸

 

竹林橋を渡った先、本丸入口には、竹林橋櫓がありました

(東側) 

この石垣の奥から、柳沢文庫・追手門に向かう橋?があります。(それについては、投稿その2で詳しく

 

そして、

竹林橋渡った正面、本丸敷地は現在柳澤神社となっていました。

 

御祭神は、柳沢藩の開祖・柳澤吉保公。

明治13年旧藩士によって創建されました。

 

天守台は、この拝殿の裏にあります。

お参りをしてから、横道に抜けていく格好になります。

 本丸の東側の内堀

となりの毘沙門郭

明治に建てられた城址会館が見えます。

 お堀からのびる石垣は、大迫力です

そして、天守台・・・

 天守台 南東角 

大きな台形と小さな台形がくっついたような形になってます。

      (→ 北)

                 ↑ 小さい台形 ↑       (↓ 東)           ↑ 大きい台形

 

そして・・・

竹林橋から行くと、一番奥の部分。

     

 (← 東)                             (↓ 北) 有名な転用石のさかさ地蔵があります。 

 

天守台の上に上がると、良い景色

 北側をのぞむ

 (旅行疲れしているふたり

 東側 城址会館

天守台には、柵がしてないので、気持ちが良いですが、少し怖いです。

 天守台の上から下を覗く

くれぐれもふざけないよう。

 天守台の降り口 東向き 

大和郡山城・・・1585年に豊臣秀吉の弟、秀長が入城したおりに、

城の大拡張工事を行い、

近隣の寺院の礎石、庭石、五輪塔、石地蔵等を多く用いました。

転用石の宝庫です

 

単なる石不足?

それとも、意識改革?

時代の大きな流れ・大変動を思わずにはいられません。

 

(その2に続く)

それと、上記の内容も、時間があれば、追加修正していきます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。