京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

なんちゃって大阪城?

2008-02-26 20:46:44 | 京の石垣。
伏見の酒蔵に行った帰り。
伏見桃山城に行きました。
(て、子達はここが目的地だとおもっていたようですが)

長男に、明日伏見桃山城に行く、と行ったら。
彼愛読の「豊臣秀吉」のマンガを持ってきて。
「ほら、ここに伏見城って載ってるやろ。
 秀吉は伏見城で死んだんやって。
 伏見桃山城じゃなくて、伏見城やで。」
と教えてくれました。
おっさんくさい、一年生です。



伏見桃山城。
もとは、キャッスルランドと言って、遊園地だったそうです。
目玉として、天守閣が建てられたそうですが。
数年前に閉園。
京都市に売却されて、周辺はスポーツ公園になったのですが。
この天守閣は立ち入り禁止で、放ったらかしのままだったそうです。



ちなみに。
旧伏見城の天守閣は、すぐ横の山にある明治天皇稜の中にあるそうです。
(普段は立ち入り禁止)

伏見城は、隠居後の豊臣秀吉の為の居所だったようですが、死後は徳川家康が入り・・・
関が原の戦いの前には、「伏見城の戦い」が勃発し、石田勢の襲来を受け。
徳川の家臣である鳥居元忠らが応戦するも、焼失してしまったそうです。
(この戦いの際の遺構が、「血天井」として、大原の宝泉院で供養されています。)

その後、徳川方が再建したらしいのですが、家康死後の1625年、廃城となりました。



遊園地の目玉として建てられた伏見桃山城。
閉園の憂き目にあったのですが・・・
今年のお正月映画のロケで撮影されることとなり、東映が約一億円の費用をかけて、改装されました。
京都新聞電子版過去記事
(元の、伏見城の姿が見れます。)

元宝塚の和央ようか主演の「茶々ー天涯の貴妃(おんな)」という映画。
御覧の方もいらっしゃるかな?

織田信長の妹・お市の方と浅井長政の娘であり・・・
豊臣秀吉の第2夫人・・・
秀頼の母。

こういう、すさまじい人生を歩んだ方ですから・・・
相当気が強かったらしい。
しょうがないか。
その女性を和央ようかさんが演じておられます。

和央さん、適役ですよね。
きれい~、好きです。
逆三角形の顔の人って好きです。
(自分に無いもの・・・だからだと思います。)
早くビデオが出てほしいです。



改修のおかげで・・・
元は、もっとショボイ城という印象だった、伏見桃山城でしたが。
すごくきれいでした。
大阪まで行かなくても、大阪城が見れるなんて、ラッキーです。
(ロケでは、大阪の陣当時の大阪城として、使われたそうです。)



手前の白壁。
なんだか、わざとらしい汚れ。



なんと、この壁、ベニヤで出来たハリボテでした。
なるほど。



少しだけですが、梅が咲いていました。
大原は雪に埋まってますが、もうそんな季節だったのか。



たぶん、旧伏見城の石。

この日は、雪が降ったり止んだりで、すごく寒かったですが。
ちょっとした晴れ間・・・



こんなにきれいでした。

上高野の崇道神社。

2007-12-22 13:26:10 | 京の石垣。
昨日、幼稚園のお迎え帰りに、崇道神社に寄りました。



国道367号線沿い。
上高野集落の氏神様です。

元・上高野住人の私としては。
特になんてことのない、普通の神社なのですが。
(でも、きちんと月例祭はされているし、きっちりしてはるなあ、という印象)

実は、たいへん由緒深い神社です。



「奈良末期~平安初期の皇族、早良親王を祀る。
 早良親王は、光仁天皇・高野新笠(たかのにいがさ)の子で、 
 桓武天皇の実弟である。
 延暦四年に起こった藤原種継暗殺事件の首謀者として逮捕され、
 乙訓寺に幽閉された後、淡路に流される途中、 
 無実を主張して、絶食死した。

 その後、桓武天皇の近親者の死が続き、都に悪疫が流行したため、
 早良親王の祟りと噂され、その怨霊を鎮めるために、
 延暦十九年には崇道天皇と追号を贈り、
 墓を現在の八島稜に改葬した。

 ほかに、藤森神社・上御霊神社にも崇道天皇が祀られているが、
 崇道天皇のみを祭神としているのは、この崇道神社だけである。」
                      
                          京都市 
 



 小野毛人(えみし)の墓も有名であるらしい。



 たて看板によると・・・
 小野毛人は、天武期の官僚で、最初の遣隋使、小野妹子の子供だそうです。
 (677年没)
 この墓から発見された鋳銅製の墓誌は国宝に指定されているほどで。
 市内に残る、奈良時代前期の数少ない遺跡だそうです。



 さて。
 入り口の鳥居をくぐり、社までは、100~200メートルほどあります。
 木々が連なって、鬱蒼としており、おんな・子供だけでは少々心細いところではあります。



 途中、綺麗な紅葉がちらちらとしているところ・・・
 実は、庭園が美しい蓮華寺の裏手に当たるんです。
 ちょっと、得した気分かな。

 参道の反対側にも、なにやら寺院があり。
 (たぶん、非公開)
 造園の方が手入れ作業をされている様子でした。



 こちらは、双樹。
 よ~く見てもらったら、茶色の大きな木が、白くて細い木を覆っているのが分かります。
 自然にこうなったのでしょうか。
 いずれにしても、すごいですね。



 苔むした境内。
 社自体は、それほど古くはないのですが。
 よーく見ると、屋根に菊の御紋が!

 ぴりっと気分が引き締まります。


(合祀されている伊多太神社・農業の神様だそうです。)



この社務所?では、寄り合いが開かれているようでした。
お正月が近いですしね。
世話役は、上高野のおえらいさん?だったと思います。

いくら陰陽師ブームになっても、こちらの神社は観光客は少ないと思います。
基本的には、地元の神社です。

それゆえに、まっとうな気分にさせられました。

冷やかしで来てごめんなさい、と挨拶して帰りました。
う~ん、(以前、細木数子が礼儀のなさを怒ってましたが)
もうちょっと、ちゃんとした挨拶の仕方をしなくちゃね~と反省しました。



(キーキーと、最初から最後まで騒がしかった私たち。)

大原の石垣。

2007-11-24 05:35:31 | 京の石垣。
昨日の投稿の続きです。


(三千院参道、途中、呂川茶屋さんの上を左折して、森の道に向かいます。)
民家の石垣の美しい道です。


(ああ、石垣って、こういう構造なのね、と感心しながら・・・)


(あんあんさんへのお参りはかかせません。)


(宝泉院前の石垣
 もしかしたら、これは勝林院の端っこの敷地かもしれません。)


(実光院の門前
 この立派な石垣は大原陵?、宮内庁の敷地だろうか)


(律川の紅葉
 奥は、三千院の建物です。)


(三千院門跡の立派な石垣
 言わなければ、城址のようです。)


(ここも、穴太積みだろうか?)

三千院の石垣。

2007-07-03 03:02:21 | 京の石垣。
 初めて三千院に行ったのは、11年くらい前です。
 学生時代、若!の家に遊びに行って、家から歩いていったと思います。

 それから、数度、訪問客が来るごとに、三千院へと出かけたような・・・
 沢山、というわけじゃないのですけど、行き慣れたお寺です。

 今回も、例に漏れず、大原に足を延ばしてくださった、小春ちゃんお母さん達を御案内しました。

 大原・三千院の魅力は、いろいろありますが。
 この時期の魅力は、何と言っても、庭の青々とした緑です。
 苔むした庭に、光が差し込み、幾重もの緑のグラデーションを奏でています。




(ひときわ人気のあった石仏様)


 三千院めぐりも終盤のころ・・・
 拝観入り口から言いますと、一番奥手に、妻!好みの立派な石垣が目に入りました。





 朱雀門です。
 実は、こちらが三千院の正門だそうで・・・

 よく考えると、納得。
 まず入って、お庭が見える、のが通常ですもんね。
 
 この赤い朱雀門は、三千院本堂や往生極楽院の側から見ると、お庭の良いアクセントになっています。
 けど、通常は閉ざされているせいか、立ち止まって見る見学者も無く、こうやって近くで見ると、地味な感じでした。


(朱雀門の側から見る、極楽往生院)


(三千院めぐりの最後、最初に入る御殿門の裏側に来ました。)

 この御殿門(観光門前道に面している・・・)と、朱雀門(呂川)の側面。
 意識してみると、ほんとに凄い石垣でした。
 
 なぜに、寺院にこのような立派な石垣が作られたのか・・・
 ふつふつと疑問が沸いてきました。

 パンフレットや看板などにも、特に説明は無く・・・というか、三千院の石垣についての文献を見た事は無いです。(ガイドブックなどでも)
 三千院が、あまりにも歴史的に古く、庭園(と、文化財)が有名であるから、特に脚光を浴びることなく、過ごしてきたせいでしょうか。

 ネット検索で・・・
 「三千院」と打つと、膨大な数、ヒットしましたが。
 「三千院 石垣」「三千院 穴太積み」で検索すると、数少なく・・・
 それでも、う~ん、とうなずける資料が出てきましたので、ここに、参考文献として掲載します。



(参考文献 その1)

●「穴太衆と大原三千院」
    穴太衆(あのうしゅう→石工の技術者集団 安土城の石垣で有名)

    応仁の乱の頃、戦乱続きの京都では寺社でも防衛手段として
    石垣を作ったそうです。一見、戦国とはあまり縁のなさそうな
    京都大原三千院でも、穴太衆の野面積み(のづらづみ(穴太積))を
    今でも見ることができるそうです。これから三千院にいかれる方は
    是非見てきてください。("いろは"は昔行きましたが知らなかった・・・うぅ)

戦国武将グッズ_安土桃山通販 メールマガジン安土桃山通信より


(参考文献 その2)

●御殿門・・・石階段の急斜、石積壁により折れ曲がり入る仕組みは、後世の城郭の基源であることを悟らす。
 正門は朱雀門。

京都の日本建築より

 
 以上の参考文献と、三千院パンフレットの表文を併せ持って、「三千院の石垣・如何」について、考えてみましょう。


 (三千院パンフレットより)

 創建は伝教大師最澄上人(767~822)が比叡山延暦寺建立の際、草庵を結ばれたのに始まります。
 別名、梶井門跡・梨本門跡とも呼ばれる天台宗五箇室門跡の一つで、当院は皇子、皇族が住職を勤めた宮門跡です。
 
 三千院ホームページを御覧になるとよく分かりますが・・・
 

 gooのウィキペディア検索にも・・・こんな記事が。

 出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』
坂本の梶井門跡は1232年(貞永元年)の火災をきっかけに今の京都市内に移転した。洛中や東山の各地を転々とした後、1331年(元弘元年)に洛北船岡山の東麓の寺地に落ち着いた。この地は淳和天皇の離宮雲林院があったところと推定され、現在の京都市北区紫野、大徳寺の南方に当たる。船岡山東麓の梶井門跡は応仁の乱(1467年-1477年)で焼失し、以後、大原の政所が本坊となった。1698年(元禄11年)、将軍徳川綱吉は当時の門跡・慈胤法親王に対し、御車道広小路に寺地を与え、以後近世を通じて梶井門跡はこの地にあった。寺地は現在の京都市上京区梶井町で、跡地には京都府立医科大学と附属病院が建っている。


 三千院は、宮門跡という特質、プラス、応仁の乱時の船岡山での門跡焼失の苦い歴史・・・により、こんなにも立派な石垣が築かれたのか・・・
 とにかく、立派な石垣がありますので、ぜひ皆様もお越しの際は、石垣にも注目してみてくださいね!


 
 

三叉路。

2007-06-07 10:28:36 | 京の石垣。


 警察の駐在所近くの三叉路です。

 石垣の上の道を上がると、三千院へ・・・
 手前の道が、駐在所・郵便局、三千院への観光参道の入り口、信号、バスターミナルに至ります。
 奥の道が、京都市内方面へ・・・国道との突き当たりに、辻しばがあります。

 中央に見えてるお宅。
 わりと古い民家だったと思います。
 確か、昔の旅館だったとか・・・
 今は、市内の建設関連の会社が改築されて、カフェなどに利用されてるようです。

良い石垣加減どすなあ。

2007-05-03 23:48:12 | 京の石垣。
 ゴールデンウイークだというのに、ろくに休日の無い辻しば家。
 (しかも、連休明けから、一ヶ月若!は出張。)
 ぶつくさ言う妻!を気遣ってか・・・単に怖いからか。
 昼から、車でお出かけしてくれました。



 ここは、左京区黒谷。
 金戒光明寺内の墓地の石垣です。
 由緒あるお寺だけあって、良い石垣加減してはります。



 この界隈は、車も少なく、お散歩にもってこい。



 ここは、また別の寺。
 お寺の多いところです。
 
 ちょっと尾道っぽい?
 坂道・小道の多いところです。
 
 どうも城跡っぽい、と思ったら。
 なまじ似ているだけでなく、徳川幕府の要塞としての役割をも持っていたようです。
 その由縁か、幕末の騒乱の際の舞台となりました。
 詳しくは、ココをクリック!

 ここには、戦乱で散った会津藩士の墓があるそうです。

歴史的散策ができます。

2007-02-07 10:42:41 | 京の石垣。
 昨日は、(珍しく)昼前から夕方にかけて、バタバタと忙しかったです。
 幼稚園に行ったり(ニ往復)、学校に行ったり・・・

 小学校までは、歩いて行ったので、帰りはネタ探しをしました。
 しかし、怪しい・・・です。
 ほんとは、お地蔵さんの写真を撮りたかったんですけどね。 



 道標 「横川 元三大師道」(よかわ がんさんだいしみち)

 どうも、ここから仰木峠を越え、比叡山に行く道を、「横川 元三大師道」と呼ぶらしいです。
 いわゆる東海自然歩道になってる登山道です。
 地図で見ると、京都市内から路線バスで、「野村別れ」の次のバス停で下りたところの、パン屋さんがある坂道から、まっすぐ比叡山に向かって、道が延びています。

 「ここから、元三大師堂まで続いている道。
  かつては、毎年、誕生祭(9月3日頃)には、大原の民は大師堂に出向いて、近州人とともに盆?踊りを奉納していた。」
 というようなことが、この立て看板に書かれていました。

 ところで、この坂道。
 魔の坂道。
 とどのつまり、急です。
 上の集落、上野町(シャレよ!)への行き来に使う道ですが。
 冬場はとってもオトロチイ所です。

 この坂道をあがったところに、有名なお香水さんがありまして。
 (普通の民家ですけどね。)
 きれいなお水がわいてます。



 (三千院方面から下ってきて)
 さっきの道標の前を通って、この坂道を下りたところが、辻しばです。
 国道367号線に出ます。
 
 よく。
 三千院から、道に迷ったお客さんがここまで下りてこられます。
 すごく離れてるんですけどね。
 「観光バスの駐車場はどこですか?」
 「ここの国道をまっすぐ500メートルくらい戻って、右手にあります。」
 という、やり取り。
 観光シーズンは、何度となく繰り返します。

昨日は亀岡方面へ。(今日のは長いよ!)

2006-12-11 10:37:02 | 京の石垣。
 昨日はお父さんの久しぶりの休暇。
 日曜だったし、子供たち連れて、ドライブがてら、亀岡まわりで、越畑に蕎麦を食べに行きました。
 京都市右京区越畑。
 ですけど、山を挟んでますので、大原から2時間はかかります。
 今日は、西陣織会館に配達に寄ってから、今出川、西大路経由国道9号線、沓掛から高速に入って、千代川インターで下りました。

 京都以外の人には何のことだか分からないでしょうから、簡単な地図。


 というか、きたないふざけた地図ですが。
 分かりにくいですが、右上の大原から一旦京都市内まで出まして、嵐山の下のほうから高速に入り、左側の亀岡から八木に入る手前、千代川というところで、下の道に下りました。


 
 インターを出て、国道9号線・千代川交差点を横切り、山手のほうに向かいます。

 ここ千代川は、学生時代の先輩の実家がある所なので、何回か来たところです。
 一度目はクラブの合宿で。
 (ここらの山奥で露天風呂を作ろうという企画。まじめにですよ。)
 二度目は、この先輩が南丹病院に入院して、お見舞いに行ったとき。
 合宿中に酔っ払ってプロレス始めた末に足の骨を折り、その後経過が悪く、入院とあいなりました。お見舞いに、やらしい浮世絵の本を差し入れしました。
 三回目は、先輩が結婚するときに、お祝いを持って行きました。
 奥さんには、先輩の酔っ払った末の悪行はお話しません!
 (某アメフト部のような悪行ではなく、子供じみたものです。念のため。)

 ですから、何かと思い出深いところです。
 亀岡ではよく合宿しましたし。
 入学して、亀岡の「か」の字もわからない頃から、連れてこられてました。



 で、先輩の卒業された、かの南丹高校を通って・・・
 だんだん山道に入ります。



 途中には、このような景勝地もあります。
 山梨の昇仙峡のようなところです。(違ったかな?)
 でも、なんの開発もされてません。
 ハイキングして、ゆっくり岩山を眺めるのも良いでしょうね。

 ところで、ここは離合の難しい一本道。
 大げさだけど、落ちたら死ぬぞ!というところ。
 都会の人は怖いでしょうね。
 私もこういうところは、まだ運転に自信ありません。

 で、千代川から20分くらいで、越畑に到着。
 越畑フレンドパーク・まつばらへ。



 この写真の右奥の建物が「まつばら」です。
 ブログで紹介するのに、正面の写真も料理の写真も、何もないです。
 ごめんなさい。
 他の人のブログでたくさん紹介されてるので、気になる方は、「まつばら・越畑」で検索してみて下さいね。
 ちなみに、ブックマークのyou_saiさんのブログ「秀明記」のなかの、11月16日の記事に、詳しく載ってます。

 お蕎麦の味はね。
 美味しかったです
 すみません。
 蕎麦目指して食べに行ったのは、これが初めてなので、あまり講釈できません。
 ただ、期待はずれで「がっかり」なんてことがなかったので、すごーくうれしかったです。
 2時間かけて、学食とおんなじだったら、ちょっと悲しいではないですか。

 特筆すべきは、おつゆが美味しかったこと。
 辛すぎす、甘すぎず。
 甘すぎず、辛すぎず、ではないです。念のため。
 どちらかと言うと、辛口の部類なのかな。
 いいお味でした。

 薬味にねぎもあったけど、結局それは使わずじまいで、辛味大根をつけたり、つけなかったりで食べました。
 大人ふたり、子供ふたりに赤子。
 で、ザル蕎麦セット二人前(子供が頼みよったおいおい!)、ザル蕎麦、辛味蕎麦、注文。(すべて大人サイズ)
 ちょっと無謀でしょ。
 残るでしょ。
 と思ったけど、もったいないので、子供の残したのはぜーんぶ食べましたよ。
 頑張って・・・ 
 しあわせ!
 ぎっしり、ぎしぎし。詰め込みました。

 大食だけど、胃のあまり良くないわたくし。
 (でもね、小分けにチビチビ食べるので、結果的にはたくさん食べてます。だから痩せないのです。)
 すぐにもたれてしまうのですが、このお蕎麦、全然もたれませんでしたよ。
 お蕎麦パワーにビックリです。
 


 まつばら前の農小屋。
 こんなのと、ぶどう畑、田んぼ。しかないですよここは。
 だけど、おばあちゃん家に来たみたいで、とても楽しかったです。
 (はい、うちの田舎はこんなとこ。ね、おかんさん。)
 段々畑の横の道をお散歩、山に行く道がありましたけど、お父さんが「もう帰ろう」と言うので、引き返しました。(軟弱だなあ。)

 ここ、もともと行政が立ち上げた施設のようですけど、実に堅実だと思います。
 実に地味。
 平日にいくら客が少ないといっても、これと口コミの評判と相成れば、少々越畑の道が通行止めになっても(そんな道・・・)、黒字でやっていけるでしょう。
 余計なお世話ですが。
 大原でも、開発に行政が加わってきましたので、(最近の新聞記事になりました)興味深く観察しました。

 で、帰り道。



 帰りは、「やっぱり」水尾を抜けて帰りました。(地図見てね)
 水尾は、愛宕山下の集落。
 山の中です。「ゆず風呂」で有名。
 先日の「旅の香り」スペシャルで、氷川きよしが行ってました。

 ゆず畑。


 すごーい斜面で作業してはります!

 で、さらに車一台しか通れない、かつ強烈なヘアピンカーブの道を行き・・・・
 ちらほら、保津川が見えてきます。


 
 すごいでしょ。
 JR山陰線の駅。
 懐かしい保津峡駅です。
 よく、合宿で使いました。

 私、探検部出身。(あーーー、ついにかみんぐあうと!)
 よくゴムボートで川下りしまして(ラフティングというおしゃれな名前なのですよ)、亀岡からここまで下ってきたものです。
 下の川から、重たいゴムボートを運ぶのが大変でした。
 今では、金もらっても絶対しません。
 直属の先輩に根性仕込まれました!
 
 ああ、探検部ネタ出すようじゃ、そろそろこのブログもネタ切れか。
 探検部に居ました!っていうだけでネタでしょ。
 (だけど、今時、こんだけアウトドアが流行ってますから、女の子でも入部するとき、親に反対はされないそうです。)

 そうこうするうちに、市内に戻り。
 そうそう、嵯峨野に出てきたので、チャベスママさんの家の近くまで来たんですね。
 
 帰りに、華ちゃんのおかんさんの家に寄っていくつもりにしてましたので。
 丹波口のスーパーマツモトにて時間つぶし。
 子供たちは、隣の公園で遊んでました。

 それから、おかんさんに電話して、お宅に向かいました。
 途中、五条通、こんな店。



 どしても、突っ込んでしまうよね。
 お味はどうなんでしょう。

 で、華ちゃんち。
 すぐ分かりましたー!



 おパンツ姿でりりしい華ちゃん。
 長男とおんなじサイズのパンツなんですよ。(女の子用だけどね。)

 うちの子3人にもみくちゃにされ、それでも華ちゃん、嫌がらず怒らず、遊んでくれて、ありがとうね。
 ワンコに初キス!もしちゃいました。
 可愛かった!
 ますます華ちゃんファンになりました。

 そうそう、かつお節と昆布のお土産もいただきまして。
 今日、さっそくおだしとって、かぶらを炊いたら、むちゃくちゃ美味しく出来ました! 
 おかんさん!
 ブログで通信販売したら、売れますって!
 今度は買いに行きますね。よろしく!

鞍馬

2006-10-09 16:21:32 | 京の石垣。
 今日は、朝から鞍馬に行きました。
 行楽にうれしい、良い天気。

 5月28日のブログで紹介しました、シーズン中の日祝のみ運行している、大原・鞍馬間の路線バスに乗って行きました。
 一日3便。

 始発、野村別れ・10時51分出発。
 


 なかなか来ないので、心配しましたが、大丈夫。来ました。
 (来なかったら、かなり恥ずかしい。
  「辻しばさん、何してはるんやろ? ずっと、あっこのバス停で待ってはるで。今日来ーひんの、知らはらへんのかな。」という感じで・・・)
 良かった・・・

 しかも、うれしい、貸しきり状態。
 (バス会社にはうれしく無いでしょうがね。)
 すーかすかのすーかすか、です。



 こーんな、マイナスイオン大放出の中、乗車すること30分。
 らくらくで、鞍馬到着です。
 
 皆さん! 乗りましょうよ。
 いいでしょ!
 これから、秋の紅葉シーズンなんて、ぎゅうぎゅうバスで、疲れ切ってしまうこと必須です。
 このバス、使えますよ。

 とりあえず、大原の奥様方に報告だ!

 さて、いつものごとく、門前で餅を買って、入山。

 今日は、杉々堂さんというお店で、山椒餅と草餅を買いました。
 これが、あたり。
 多分、家族でしてはるようなお店で、対応が素朴で、親切であった。
 私は、こんな店が一番緊張しない。
 帰りも、お土産に買いました。
 また、来ようっと。

 さて、ケーブルに乗って、杉の中の参道を通って、本堂まで歩きました。

 石垣フェチ!
 画像ゲットです。



 今日のとっておき!さん。



 下山しましたら、(多分)火祭りの用意をされてました。


 
 駅前。
 こんなところでしてはるんですね。



            



 さて、お家に帰ってきまして、ブログの編集をしていましたところ・・・

 今日のスペシャルゲスト。



 華ちゃん
 はじめ、おかんさん夫婦がお越しくださいました。

 今、思えば、茶も出さず、椅子も出さず、何をしてたんだか!
 初めてなのに、初めてでない、不思議な感じ。
 あっという間でした。

 なま・華ちゃん。
 お会いできて、感激でした。