勝手に映画評

私の見た映画を、勝手に評論します。
基本的に、すべて自腹です。

あの日のように抱きしめて / Phoenix

2015年08月18日 | 洋画(ドイツ系)
ネタバレあり。

ドイツ敗戦後、強制収容所から顔に大怪我を負いながらも生還した一人の女性。しかし彼女の夫は、変貌した姿の妻に気が付かず、妻の遺した財産を二人で山分けしようという・・・。

第二次大戦のドイツ戦終結後から物語が始まります。なので、ネリーがどのような暴行を受けて顔面に怪我を追ってしまったのかは判りません。顔を再建しなければならないような怪我の割には、何日か日数が経っている雰囲気ですが大丈夫なんでしょうか?

ネリーを助けるユダヤ機関の一員がレネなんですが、二人の言動で、二人のこれまで置かれていた境遇の違い、思想の違いが明らかですね。強制収容所に入れられるまではごく普通の日常生活を送っていたネリーに対し、何がそこまでシオニズム運動にすべてを捧げさせるのか、レネの言動は、自由を謳歌していたネリーから見ると、ストイック過ぎるというか、ちょっとズレた様に見えていたんじゃ無いですかね。だから素直にレネの言うとおりに約束の地に直ぐに行くと言う選択をネリーはしなかったんだと思います。それだけが原因ではないと思いますが、そのすれ違いがレネの悲劇につながるのかと思います。

って言うかねぇ、ジョニーはネリーが自分の妻だと全く判らなかったのに、物語終盤に会う人達は、直ぐにネリーがネリーだと判っています。これって、どういう事?事前にネリーが来ると言われていれば直ぐに「あ、ネリーだ」と言う反応を示すかもしれませんが、ネリーの容貌がジョニーが自分の妻だと認識できないほど変わっていたのであれば、その他の友人たちも似たような反応を示したはず。ここまでいい感じに進んでいたので、この一点が蟻の一穴のような気がしました。

この作品は、ラストの“スピーク・ロー”にすべてが集約されていると思います。すべてがそこに至るまでの伏線と言っても過言ではないと思います。邦題の『あの日のように抱きしめて』は、ちょっとミスリードのような気もしますね。原題のママとか、あるいは、最後の“スピーク・ロー”でもいいような気がしました。

タイトル あの日のように抱きしめて / 原題 Phoenix
日本公開年 2015年
製作年/製作国 2014年/ドイツ
監督 クリスティアン・ペッツォルト
出演 ニーナ・ホス(ネリー・レンツ)、ロナルト・ツェアフェルト(ジョニー・レンツ)、ニーナ・クンツェンドルフ(レネ・ヴィンター)