たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



3月になって、ジャングルで寝泊りして狩猟することを目的として、L川の流域に出かけた。わたしたち一行20人ほどが到着したとき、そこには、すでに10人ほどのプナン人たちが狩猟キャンプを設営していた。そこに寝泊りするのかと、わたしが尋ねると、わたしたちのリーダーはそうだと答えた。どうみてもそのキャンプは、30人もの人を収容できるとは思えず(15~20人がせいいっぱい)、わたしは心配になった。夕方になると、数人の男たちが、木を切り出して、それを地面に直接並べて、屋根にはプラスチックのシートをかけて、急ごしらえで、寝場所をひとつしつらえた。わたしには、もともとあった高床の場所に寝床が与えられた。

プナン語で、そのような小屋は、ラミン(lamin)と呼ばれる。それは、周辺の定住民のことばウマ(uma)から借用したと思われる家、ウモゥ(umeu)よりも、簡易なつくりの小屋のことを指す。プナンの小屋の床(lego)には、できるだけまっすぐな木(直径5センチほど)が、敷き詰められる。寝るときには、その上に、木の皮あるいはプラスチックのマットを敷く。最初は、硬くて寝心地が悪いが、そのうち慣れてくると、水分を含んだ木は、身体にピッタリとフィットしてくるように感じる。木の節もツボにあたるとじつに気持ちがいい。

狩猟キャンプ宿泊初日の夜、雨が降った。雨漏りした屋根の部分には、翌日、葉が詰められた。また、前夜は、プナン人たちは、スペース不足で窮屈な思いをしたらしく、大勢の人びとを収容するために、小屋をつくることが決められた。寝床は、そのまま、そのことを話し合うための議場となる。男たちは、木を切り出しに行き、あっという間に、かまどの裏とわたしの寝床の隣に、それぞれ、二人用、家族用の寝場所をつくった。

プナンの建築は、木の二股になった部分(pibung)を巧みに利用する。二股になった木の他方の端を地面に突き刺して、地上の二股の部分に横木を渡す。それと平行に、同じようなものをつくって、横木と垂直に木々を敷き詰めて、床をつくっていく。
必要があれば、籐の繊維で、木と木を結わえる。プナンの建築は、シンプルな力学から成り立っている。どの方向に力がかかるのかを瞬時に読み取って、適当に、ゆわえながら組み立てていく。

ところで、プナン人にとって、木を切ったり、木を削ったり(、動物を解体したり)するための「刀」は、重要である。刀には二種類ある。山刀マラット(malat)と、小刀ペナート(penaat)である。その二つを上手に使い分けながら、作業する。プナン人は、集まると、刀の見せ合いをする。プナン人は、古くから、すぐれた鍛冶技術を持っていたことでも知られる。現在でも、その技術は、周辺の民族からも高く評価されている。クニャー人たちは、プナンの村に鉄を持ち込んで、鍛えてもらって、木材伐採や細かな作業、動物肉解体などにすぐれた刀を手に入れる。

さて、その翌日、イノシシがたくさん獲れて、それを木材キャンプに売りに帰るメンバーが出てきた。子どもが病気だという知らせを受けて、狩猟キャンプのメンバーのうち、数人が離れた。30人ほどいた狩猟キャンプのメンバーは、その日、20人弱に減った。その翌日になると、今度は、入れ替わりに、別のメンバーが狩猟キャンプにやってきた。そのようにして、狩猟キャンプのメンバー構成は、固定的なものではなく、つねに流動的である。そのような流動性にあわせて、狩猟キャンプの小屋のスペースは、柔軟なかたちで利用され、人数が増えると、周辺のジャングルから木が切り出されて、新たなスペースが生み出される。木のしなやかさが利用されるとともに、プナンの住まいも、状況に応じて、しなやかにつくり変えられるのである。

プナンの住まいを見て感じるのは、彼らの住まいとは、基本的に、雨風暑さ寒さをしのぐためのものだということである。同時に、そこでは、人が集い、食事をし、眠り、(幼いこどもたちは)糞便をし、話をし、情報と意見を交換する。その空間は、そのすべてを行う場となる。
プナンの住まいは、熱帯雨林という周囲の自然環境に応じて、仮の住まいとして、シンプルだが頑丈で、最小限の機能を担っている。それは、あくまでの仮のものであり、人は、その小屋あっさりとを捨てて、じつに安易に移動する。

素材は、ジャングルに豊富にあるし、住まいをつくるのは、彼らにとって、煩わしいことではない。ひるがえって、現代社会の住まい、建物は、収容人数が増えても、簡単には継ぎ足すことなどできないし、電気やガスなどのインフラが埋め込まれていて、それが利用可能であれば快適であるが、それらがいったん寸断されると、個人にそれらを回復する力がない。プナンのような住まいが始原であるかどうかははっきりしないが、われわれはいずれにせよ、住宅の建築に関しては、後戻りができないほど、ずいぶんと遠くに来てしまったような気がする。

プナンの神話では、かつて、プナン人は洞窟に住んでいたことになっている。口頭伝承は、いつごろからプナンが、小屋がけするようになったのかについて、何も語らない。小屋に関しては、奇抜で、かつわたしの想像力では理解するのが困難な、以下のような、口頭伝承がある。

昔、小屋は一人で歩いていた。クリアップ(ヤモリの一種)には、子がいた。クリアップが子どもに水浴びをさせているときに、小屋がやって来て、踏みつぶして、死なせてしまった。怒ったクリアップは、小屋の柱を殴った。それ以降、小屋は、動かなくなったのである。

住まいは、かつては、しなやかな生物のような存在であったのかもしれない。



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