たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

『宗教の人類学』

2010年11月05日 08時36分43秒 | 宗教人類学

出版!

吉田匡興・石井美保・花渕馨也共編
『宗教の人類学』(シリーズ来るべき人類学③)
春風社、1905円+税

序 宗教をたぐりよせる

第I部 日常の中の宗教性
1 信じるもの/おこなうものとしての<宗教>ー現代北インドにおける「改宗仏教徒」の事例から
2 モノの消費のその向こうにーバリにおける顕示的消費競争と神秘主義
3 トンチボのいなくなった日常ー宗教装置の置換と遍在化する宗教

第II部 他者表象としての宗教と揺らぎ
4 「ファンダメンタリスティック」という選択ーカトリック世界における名付けと名乗りと生き方のポリティックス
5 結婚しない女と嫉妬する精霊ーーコモロにおける精霊憑依と人生の生き方

第III部 現実をずらすものとしての宗教
6 呪物をつくる、<世界>をつくるー呪術の行為遂行性と創発性
7 呪文の成り立ちーことばが開く<世界>の可能性

第IV部 宗教を俯瞰するー迫りくるものとしての宗教性
8 アニミズム、「きり」よく捉えられない幻想領域
9 スピリチュアルな空間としての世界遺産ーケニア海岸地方・見事件だの聖なるカヤの森林

  わたしは8章を書かせてもらった(アニミズム、「きりよく捉えられない幻想領域」)。

 エスノグラフィーなし、獣魂碑から認知考古学、南米先住民の世界、幻想文学、岩田慶治へ・・・、既存のアニミズム論批判風のエッセイのようなものになった。

 共編者によると、「第8章で奥野は、かつて宗教の起源とされた、ヒトではない存在にも霊魂が宿るとするアニミズムを論じます。先史考古学や認知考古学、さらに南米原住民諸社会におけるアニミズムをめぐる最近の議論を参照して、人類史を射程に収めながら、アニミズムがこれまで長く考えられてきたように、人間性をヒトではない諸存在に投影した結果得られたものではなく、ヒトが人間的な知性を獲得した結果、ヒトもヒトではない諸存在も共に人間的な存在として現れざるを得ない事態を反映したものであることを論じます。そのうえで、ヒトから非ヒトへの能動的な働きかけの経験ではなく、むしろ非ヒト的存在がヒトと対等に、あるいはそれを圧倒するかのようにヒトに向かって働きかけてくる経験がアニミズムの中核にあるとの見通しが示されます」という紹介がなされていた。

 驚いたのは、読みやすい文章表現、少しでもましな論述にするためにかける編者の執念・情熱である。わたしの文章は、段落ごと前後を入れ替えられ、添削されて、修正に次ぐ修正を重ねた。締め切りギリギリまで、いや、締め切りが過ぎてからも、ここはこうしたほうがいいという指摘メールが飛んできた。思考とエネルギーを注ぎ込み、いいものをというパッションをハビトゥスとして持たなければならないということを学んだ気がする。いまさら遅い?いやそうでもないと思う。しかし、無念なことに、わたしの原稿のなかに、さきほど、脱字を発見してしまった。


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