桂米朝『地獄八景亡者戯』を取り上げようと思っていたのを、談志師匠の訃報を受けて、再び、『らくだ』に戻して、本日、宗教人類学の授業内で上映した。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/6df63dcab9ac78ca28f331768bfdfeeb
談志は、落語を主語に語る噺家である。人類学を主語に語る~人類学はこうだああだ~我々人類学者にとっての鏡ではないか。いや、人類学に限らない。あらゆる分野、領域の求道者の鏡だ。子どものころから落語に取り憑かれ、落語を勉強し、落語を解剖した挙句、落語を全く新しいものにつくりかえたといっても過言ではない。彼の求道精神の現れの一つが、『立川談志ひとり会第三期第23集・談志の五大落語家論』。そのなかで、談志師匠は、志ん生、文楽、三木助、圓生、そして、彼の師匠である小さんを解剖し、じつに饒舌に語っている。30歳のときの録音だ。志ん生、文楽、圓生のものまねが色っぽい。それぞれの師匠たちになりきっている。はは~ん、ここまでして、先達そのものの内側に入り込み、そこから落語に近づこうとしているのだなあと思う。
『立川談志のゆめの寄席』では、往年の噺家や芸人の録音の前に、談志の解説が付いている。その第6集第3夜「鈴々舎馬風」。本名、色川清太郎、二枚目風の名前だとさ。談志は、噺家の本名を全部諳んじることができたという。彼の解説で、馬風を聞く。馬風が、スゴイ!と思える。第8集第4夜。寄席のモンスター・林家三平の解説、「源平盛衰記」に続いて、三平急逝直後の高座「立川談志『三平さんの思いで』」が収録されている。談志も言うように、これがすごくいいのだ。三平の思い出とものまね、最後に涙を誘う。談志が凄いのは、談志が死んだとしても、『談志の思いで』をできるような噺家がいないことかもしれない。誰かやってほしいね。
『談志百席第1期第10集「慶安太平記」』。談志師匠最晩年の仕事。悪声だな。でも、う~ん、唸るな。
寂しいな、合掌。