たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

禿げ山の三夜

2007年10月01日 21時41分46秒 | エスノグラフィー

8月のある日、B川沿いのプナンの村を離れて、別のロギングロード沿いのS村を訪ねて、三晩すごした。

わたしの調査地、B川沿いのロギングロードは、1983年に開かれたといわれている。その後、周辺のジャングルの木々は伐採され、木が切り尽くされた土地に、1990年代初頭になると、油ヤシの木が植えられるようになった。2000年代になって、成熟した油ヤシの実をイノシシが食べに来ることが「発見」され、イノシシを待ち伏せして射撃する型の猟が行われるようになってきている。いまでは、みわたすかぎり、油ヤシの畑がつづいている。

それに対して、S村へとつうじるロギングロード沿いのジャングルは、みごとなまでに切り拓かれ、みわたす限り、禿げ山となっていた。わたしは、4輪駆動車の車窓から、その光景を、ただ唖然とながめた。木を片っ端から切り倒していく、人間の膂力の強さを思った。その情景は、あたかも、幼く恥じらいのある娘が、着ているものをすべてはぎとられて、身を隠すものがなくて困り果てているというようなありさまであるようにも思えた(写真)。

S村へとつうじるロギングロード沿いのジャングルは、1990年代に入って、森林伐採が開始されたという。そして、まだ、伐採された土地への油ヤシの植樹は始まっていない。その地域では、B川より10年ほど遅れて、森林開発が進められつつある。 S村へ行く前に立ち寄った村のプナン人は、イノシシを捕りに行こうにも、周りにジャングルがなくなったし、川の水も木材会社の毒におかされて、魚が捕れなくなっていると嘆いていた。S村に滞在中、かの村のハンターたちは、2日がかりで、遠くの森に狩猟に出かけて、5頭のイノシシを射止めて帰ってきた。 S村周辺にもやがて油ヤシが植えられて、B川流域のように、油ヤシ・プランテーションでの待ち伏せ猟が行われるようになる
のかもしれない、と思った。そこでは、B川流域の情景の10年前を見たような気がした。


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