先日のブログに、チェルノブイリへのかけはしの野呂さんの話をのせましたら、
8/7日曜日に野呂さんが立川でお話会をするとの情報を見て、
ぎりぎりセーフで予約をして、お話を聞くことができました。
なんというラッキー。
30分前くらいに会場につきますと、すでに行列
おっと最後尾に妖精が並んでおります♪
会場内は端っこの一番前に座れました。
これは、最後終わったあとです。
野呂さんへ質問されたい方や、本を求める方でごったがえしました。
このお話は、本当に心を強くすることばかりでした。
朝10時から始まってお昼の12時まで、私のメモは気づけば21枚に及びました。
その中からのまとめです。
1)一ヶ月の保養の意味
野呂さんたちが、チェルノブイリでの子供たちを保養のために
一ヶ月間だけ北海道に受け入れる活動を19年行ってこられたそうです。
最初のきっかけはドイツが、チェルノブイリの子供たちを保養するために
受け入れてくれませんか?と世界中に発信し、それを受けて始めたのだそうです。
当初、日本の教授たちからは大バッシングを受け、そんなの意味がないから
助ける必要はないとまで言われたそうです。
当時放射能は体に入ったら、二度と出ないというのが定説だったのだそうです。
集めたお金で保養するなんて、サギだとまで言われたそうです。
しかし、助かる可能性が1%でもあるなら、やりたいと始められました。
ところが一ヶ月を子供たちを預かると、びっくりするほど子供たちが元気になったのだそうです。
本当は45日保養するのがいいのですが、どんなに虐待する親元にでも
子供たちは30日くらいになると、ホームシックになって帰りたがるのだそうです。
だから、30日の間の保養。
放射能は胃をあらすため、最初に来たときは仏壇に上げるほどの量しか
食べられない子たちが、帰る頃にはなんでも食べられるほどになるのだそうです。
そして、ホールボディカウンターで、着たときは数十とあった数値が帰る頃には
ゼロになるのだそうです!この数値のグラフには本当に驚きました。
汚染されたものを食べなければ、ちゃんと体外に出るのだそうですよ!
その後ドイツの研究者が、放射能が体外に出て行くことを見つけてくれたそうです。
大人では100日といわれますが、子供はもっと早く出るのだそうです。
(その分、子供のほうが吸収しやすい)
甲状腺をわずらうと、クマがひどくなるのだそうです。
ベラルーシの子が元気になって、一ヶ月でクマがきえた写真がでていました、
それを見たベラルーシの子供が
「あの子はベラルーシ人じゃないよ、クマがないもの」って言ったそうです。
それくらい、みんなクマがあったのだそうです。
2)放射能が何をするか
放射能は強い酸化を起こすといわれます。
爆発したチェルノブイリの原発はコンクリートで石棺にされました。
ところが、このコンクリートも鉄も早くに古くしてしまうのだそうです。
遺伝子が傷つき、この修復に酵素が使われるのですが、
傷ついている人ほど酵素を消耗する。だから、生の野菜や果物、
発酵食品が大事とのことでした。
サプリメントを買えばいいという発想はダメだそうです。
売っているものでは力が足りないから、
そして、買えばいいという発想は、エネルギーが足りないなら
原発を建てればいいという発想と同じだそうです。
あくまで、自分で作ったり用意すること。
写真がでました、30キロ圏内、立ち入り禁止区域
数値は0.232マイクロシーベルト しかも事故後7年の数値です、
0.2なんて、最近でも関東のホットスポットでも言われた数値です。
ベラルーシには400kはなれたところにもホットスポットがあります。
近くで落ちる粒子は大きくて重たいから、洗えば落ちるのですが
400キロなど遠くまできた粒子はとても細かくて、植物が吸いやすく
人間にもとりこまれやすいのだそうです。
事故が起こったとき、旧ソ連では、核戦争を想定している状態でしたから
学校の全員分のガスマスクが用意されていたのだそうです。
しかし、一つも使われることがなかった。事故を小さく見せるために。
そして、子供たちは被曝していったのです。
三年くらいたって、甲状腺がんがものすごい増えだしました。
ここにIAEA調査団の団長である広島の医者がきて(←今では悪名高いあの人ですね)
原発の影響なら7年後のはずだから、3年は早すぎる、風土病だと片付けてしまった。
ここで事態はさらなる悪化をたどる。
ここに乗り込んで、甲状腺がんの治療にあたり、綺麗な手術のテクニックを
現地の医者に教えた菅谷先生の話を私は以前テレビで見たのですが、
この先生は今、松本市の市長なんだそうですね。
松本市が給食に汚染野菜を使わないとしたり、さまざまなメッセージを発しているのは
聞いていたのですが、この先生だったとは!
で、今福島で長崎の医者が放射能に汚染されたものを食べても大丈夫だと同じことやっている。
野呂さんが言うには、福島の人はこういう大丈夫という人の話を信じて
野呂さんたちの話は全く信じてくれなかったそうです。
ところが最近になって、お父さんたちが中心になって
そろそろ本当のことを受け入れる心の準備ができたら、教えてほしいって
言われたのだそうです。
その場所は、新興住宅で、子供が産まれ、ローンを借りて住宅を買い
これから人生を楽しみ、頑張っていく世代が多く住む場所だったのだそうです。
これを聞いて、くやし涙がたくさん溢れました。
チェルノブイリから150キロの場所でも汚染がひどいところがあるそうです
家があると帰りたくなる。だから、家をブルドーザーで壊して、全部土に埋めたのだそうです。
帰りたい人だけでなく、盗む人がでて、汚染されたものが転売されると
汚染が広がるからという理由だそうです。
ここには1000年は家を建てられないのだそうです。
こういう除染作業を最初はやっていたのに、予算がなくなって途中で
やめてしまったのだそうです。
除染ってこういうことなんだ・・・・と私は思いました。
もっと明るいものかと想像していた、自分の甘さに愕然。
そして、この埋め立てた村の道路を挟んで反対側では小麦を作っているのだそうです。
この小麦は学校給食用です。
くやしすぎます。日本も今同じようなことが起こっています。
福島で作られた野菜はただ同然になって、漬物になったり
居酒屋にいっているのだそうです。
食べさせちゃいけないなら、作らせてはいけないと野呂さんはいいます。
そのためには、基準値を事故前にもどすこと!
基準値が戻れば、計測して超えるなら、農家も補償されます。
消費者も安心して、売られているものを変えます。風評被害だってなくなります。
だから、土壌汚染マップを碁盤の目にしてつくることが大事なのだそうです。
同じ千葉でも汚染されていないところだってあるのだそうです。
とくに有機農業をしてきた農地は、土の中の乳酸菌などのバランスがよくて
汚染されにくいのだそうです。
風の谷のナウシカの話がでてきました。
汚染されたものを木が吸ってくれるのだと、茸が吸ってくれるのだと。
だから、たくさん木を植えて、吸ってもらえば、まきあがって子供たちが吸うことがなくなると。
しかし、その木が枯れて落ちた葉は腐葉土になれば、これも問題なんだろうと思いました。
私はナウシカが大好きなのですが、腐海の森というのがあり
瘴気という毒をだす森。それを人々は嫌い、焼き払おうとする。
ところが、ナウシカはこの森が地球を浄化してくれていることを発見する。
森が水や空気を浄化してくれているのだということを見つけるわけです。
それほどまでに汚染した原因は核戦争でした、ナウシカ自身も13人目の末っ子
上の兄弟は全員すでにいません。
と、こんなお話上かとおもうような話が、現実になるとは・・・。
これからは、どれだけ内部被曝を防ぐかで、変わるのです。
いかに食べないか。
それには、産地を選んで(子供や妊婦さんはとくに西のものを)
加工食品は買わずに、家で作る。
体を酸化させるようなものは食べない。スナック菓子、揚げ物など脂類。
続きはまた後ほど書きますね。