「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

机上の英国 - 入江敦彦著「秘密のロンドン」 / アームチェア・トラヴェラー@七里ガ浜

2012-07-29 00:00:57 | 本/音楽/映画
海外を紹介する雑誌は旅行代理店のパンフレットみたいなものばかりだが、最近出たCREA Travellerはちょっとマシだった。
オリンピックに合わせて英国特集を組んだようだ。



日本時間で昨日、Royal Arrivalのシーンをご覧になった方も多いでしょう。あちらでは王族もユーモアに巻き込まれる。ウェルシュ・コーギー・ペンブロークもご愛嬌だ。


【Source: BBC】

遡って2009年のPromsから、恒例のP&Cをどうぞ。



Land of hope and glory♪
・・・・・
God, who made thee mighty, make thee mightier yet♪
こういう曲なのに・・・かしこまらず、皆で楽しそうに唱和。しかも勝手な国旗を各自振りまわして、雑音もいっぱい入る。日の丸まで見える。
この国に独特な、大変奇妙な寛容。このあたりが私にはとてもおかしい。

【Yotutube開始後7:20にセットしよう!】
アンコールで出て来た指揮者(デイヴィッド・ロバートソン)のユーモアを聴いて欲しい。彼が話すアクセントを聞いてもとてもそうは思えないが、彼はアメリカ人らしい。彼は「リハーサルが必要」と言い、子音の「t」をハッキリと発音することを聴衆に強要する。「Mightier yet! と最後に言う時の"t!"を、"トゥッ!"とハッキリ発音してくれませんか?」と。確かに英国人は一般にそうだ。「だってThis is a nation built on "t" (=「tea」の意)だから」と彼は言う。

そんなこと「レロレロ」したアクセントで子音(特に「t」)もはっきりさせない傾向のあるアメリカ人の彼が言えた義理はないが、聴衆は彼がアメリカ人であることを知っているのかどうか? あるいは、彼がアメリカ人であることを知っていて、その上で聴衆は彼がそれを言うことを笑っているのか?



話が戻る。このCREA Travellerには、個性的なホテルが数多く掲載されていた。このホテルはシックなインテリアが売り物だ。私もたまにはロンドンへ行きたい。最後に行ったのは、もう5年前。このブログをせっせとお読み下さっている、貴族的で優雅なMさんと一緒に仕事で行った。

英国通のリンボウ氏。彼のあまりにも澄ました書き方が反感を招くが、彼はその反感を無視するのでさらに大きな反感を買う。彼はそれも放置し続け、最近では誰からも文句を言われなくなった。



リンボウ氏のように現地に住んだ経験のある人、あるいはそうでなくとも普段から親しむ状況にある人にとっては、ガイドブックやエッセイやブログに、頻繁に出て来るような名所旧跡訪問や名物料理食べまくりやお買い物の観光旅行など却って金がもったいないということになる。で、「どこへも行かない旅」 journey to NOWHEREとなる。

生活密着型の本をリンボウ氏は和訳する。



妙に実際的である。



あるいはもっとアームチェア・トラヴェラー的にいっそ社会文化一般の本でも読んだ方が、他国の本質的な理解の助けになり、体力的にも疲れずお金も使わずに済んで、むしろ楽しいかもしれない。これは在英の外国人から英国人がどう見えるかという本だ。



もっとも大半の英国人は「外国から自分がどう見られているか」なんてことをさほど気にしないだろう。「外国から見た我が国、我が国民」ということを大変気にする国民の代表格は日本人である。そのわりには国レベルでも国民レベルでもお付き合いがヘタで、アジア諸国にとっくに追い抜かれてしまっているかに見える。

第二次大戦中のポスター。上手なポスターとはこういうモノを指す。昔、美術の先生に私は教わった。「デザイン的にシンプル極まりなく、意味するところがストレートにわからないといけない」と。当時200万枚刷られたそうだ。どう訳せばいいのか。別に戦争中でなくても使えるだろうし、「騒がず、粛々といつものように」とでも訳すのだろうか。「いかにも」で面白いなぁ~、これ。「AND CARRY ON」 私もずっとそれで行こう。近いうちに額に入れておこう。



「いつものように」という意味では、英文学者の小野寺健氏も7月1日の日本経済新聞に書いている(・・・部分は私の省略):
わたしのばあい、この国の文化の特質にやっと行き当たったという気がしはじめたのは六十歳を超えたころだった・・・ジェイン・オースティンの「高慢と偏見」という無愛想な題の小説は・・・日常的な人間関係を描いているにとどまる「おだやかな」物語で、身を切られるような孤独感とか、天に舞い上がるような陶酔感といった若ものがもとめる直截な激しさは拒否していた。英国にはベートーヴェンもフルトヴェングラーもいないのである。それが強み・・・あえて日常性のレベルに踏みとどまるのが英国文化の急所・・・十年一日のごとく変化のない日がつづく人生が「英国的」なのだ。それが大人の知恵・・・



と続く。どうです、これ? つまり地味で用心深く、退屈で普通。確かに毎日がディズニーランドのような生活では疲れてしまうだろうから。

やっと本日の話題に入る。

入江敦彦氏は京都で育った人。京都に関する著書(「秘密の京都」、「京都人だけが知っている」等)が多数あるのだけれど、現在はロンドン在住であり、英国や同性愛者(「ゲイ・マネーが英国経済を支える!?」なんて著書もある)についての著書も多い。その入江氏の新しい本が出た。「秘密のロンドン(洋泉社MOOK)」。



別の著者による「秘密のロンドン50」なんて本もあって、ややこしい。

入江氏のこの本だが、よく出来ている。なんと言えばいいのか。「ありきたりでない」という印象。入江氏が独自に選んだ入江氏オリジナルのロンドン。

「観光ガイドを捨てよ、町へ出よう」とある。そのとおり。入江氏はいつもとっても具体的、実際的だ。京都についても、ロンドンについても。ありきたりの観光案内などしない。



そうそう。



入江氏らしい。



最近の新聞を見ると、団塊世代以上向けの旅行広告だらけである。大昔海外で驚かれた「ノーキョー・ツアー」から内容的にはほとんど変わっておらず、「あの城見ました、この肉料理食べました」で街を移動して行くものだ。

「どうしてロンドン本というと代わり映えしない内容のものばかりなんでしょうね」と入江氏は言う。しかし一般の観光旅行とはそもそも「代わり映えしない」ものであり、それがポピュラーなんだから仕方がない。世界中、19世紀からずっとそう。THOMAS COOK創業の頃から。



犬には事欠かない彼の国。



入江氏は、バッキンガム宮殿や湖水地方のポターの家など、解説しない。ポターの家など日本人だらけになり、ついに入場制限も出ているとか。それでも行こうとする人は多いという。

入江氏は街中を歩きまわり、彼独自のスタイルで案内をしてくれる。案内する場所も独特なら、それについての彼の見解も独特だ。市内の墓場や廃墟やヘンな博物館やチャリティー・ショップや日本人客がいそうもないレストランを案内してくれる。不思議な現代アート(落書きの部類か?)の作者、バンクシーについても長々と解説している。「英国文化なう」としてどういうものがあり、それに人々がどのように対応しているかを知るには持ってこいの題材だ。こういうものこそ、現地へ行き、見て、理解するしかないということになる。

バンクシー氏のサイトを隅々まで見てみよう。http://www.banksy.co.uk/ クリックすると次々と奥へ進めるが、どうやればいいか詳しい説明があるわけでなく、ちょっと面食らう構成だ。そんなことも現代アートが持つ雰囲気の一部分か。

入江氏の英国本は数多いが、こんなのも過去あった。



「ミーハーじゃん」と思うなかれ。

やはり彼は生活密着型で実際的な著者なのだ。延々と王室御用達の日用品を調査している。洗剤やら洗濯バサミ。残念ながら、現在これは古書でしか手に入らない。でもAmazonで簡単に買えるぞぉ。



コメント (4)
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