「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

うまうま邪道炒飯@七里ガ浜自宅厨房

2009-08-01 14:25:08 | 食べ物・飲み物
今日のランチ当番は私だ。すでに似非王道炒飯を極めてしまった私であるからして、もう一度それを作るのも気分が乗らなかった。そこで我が家のバイブルを取り出した。



主婦の友社編集の「決定版 毎日のおかず」である。「新実用BOOKS」シリーズと銘打つだけあって、実質的な和洋中のレシピが多種掲載されている。ロクに見たこともないページだったが、よく見るとそこに「チャーハン」があるではないか。



すでに何度も語ったように、王道炒飯の具のベーシックスは①卵、②長ネギ、③叉焼とすると、①あるいは①+②あるいは①+②+③である。しかしこの「毎日のおかず」は、炒飯の具として卵は入れるものの、他の具は玉ネギ、ピーマン、ハムとしている。これもよくある具のパターンではある。シンプルさ極まる王道炒飯に対して、最初からおいしいに決まっている具を入れた邪道炒飯とも言うべきか。

しかし!私の座右の銘は「お料理は恥ずかしげもないモノマネから始まる」である。今日はこれを真似してみよう!・・・と思った。

るー家(遊ぶ探偵0467鎌倉のブログで、鎌倉では知らない者がないと噂される一家)の冷蔵パラパラ御飯方式に挑みたかったが、なにせ思い立ったのが午前中なために間に合わず、今回も炊きたてご飯をボールにあけ放置して冷ます方式をとった。



上の画像が本に掲載されたカラー写真。うまそうだ。私はこの本のレシピに従ったが、一つだけ勝手に加えたものがある。それはニンニクだ。香りをつけてみたのだ。二人用に御飯を1.5合、固めに炊いた。卵は2コ。玉ねぎ大3分の2。ハム150gくらい。ピーマン2コ。味つけは塩、醤油、胡椒。



出来た! 文句なしにうまい。しかしまあ、ある程度当たり前とも言える。ほとんど塩だけで勝負する卵炒飯あるいは卵+葱炒飯に比べると、この炒飯ではまずタマネギを炒めてあるので、甘みが十分に出る。加えてハムなんてモノは最初から塩加減が上手に出来ていて、そのまま食べてもうまいくらいだ。ピーマンの緑色が配色的に良い。ニンニクの香りもプンとする。

このところ炒飯ばかり食べているなぁ。炭水化物パワー漲るランチであった。
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電柱の「生え方」@七里ガ浜

2009-08-01 09:24:28 | あちこち見て歩く
何度も書いたけれど、やっぱり電柱及び電線は見苦しい。経済先進国の中で、都会あるいはその郊外の人口密集地でこれをむき出しにしたままさらにそれを増殖させている国は、日本くらいのものだろう。はるか昔に地中化を推し進め始めた国も多い。経済力から言って戦後の日本に同じことが出来なかったわけはない。日本でも電柱の地中化の動きは一部にある。しかし皇居の前や鎌倉の若宮大路、あるいはいくつかの駅前でそれをやっても仕方のないことだ。

これは電力会社や政治のせいではない。その他の開発、あるいはビルや住宅等建築物の醜悪さが示すとおり、基本的には景観や美観に関し一般に日本人が鈍感なことがその主たる原因だろう。皆が望めば、物事の優先順位も変わっていたはずなのだから。「日本人は(電柱、電線他醜悪なものが景観の中に)見えないつもりになれる特異な能力を持つ」(by アレックス・カー)のである。全体は見ずキレイなところだけを選別的に見て「キレイ」と満足する能力と言おうか。角度を変えて言うと「自分のところは何しようと勝手だろ!」がまかり通ることにもつながる。



「それもアジア的混沌のひとつ」と受け入れる日本の景観評論家も出て来ているらしいが、日本が停滞している間にアジア新興国が欧米的景観開発に倣い、街並みから始まってハイウェイ及びその周囲の擁壁など大型土木工事まで先進的手法を取り入れ始めている。経済成長力はもはや彼等の方が日本より遥かにあるのだから、下手すると日本の景観は「アジア的混沌のひとつ」ではなく、「世界でも稀なほどに混沌」と称される日が来るかもしれない。

上の画像。こういうものが我が住宅街内の公道ににょきにょき生えているのだ。産業廃棄物の如き電柱及びその付属物、さらにそこにぶらさがる電線の数はいったい合計で何本? 話が最初からどんどんそれてしまった。本日は電柱の生え方の話をするつもりだったのだ。電柱の上ではなく根元を見よう。



電柱と電線は見苦しいだけでなく、交通の邪魔でもある。ご覧のように、公道に堂々と設置される。コンクリートの縁石部分(これも公道)に一部入りながらも大半がアスファルト部分にある。



こちらはアスファルト部分にはあまりかからず、多くがコンクリート縁石部分に含まれている。まあ、このあたりまではよくある風景だ。



ところが、どんどん見て行くと、アスファルト部分にはかからず、全部がコンクリート部分に入っているケースも多い。このケースでは、コンクリート縁石を弧の形にカットしてある。ピタリとコンクリートが電柱にくっついている実用的なデザイン(左)もあれば、電柱とは一定の距離を置いたやや芸術的なカット(右)もある。ただし後者は雨水に流されたゴミがここで止まりそうで、実用性ではやや評価点が低いかもしれない。



さらに見て行くと、七里ガ浜東4丁目地区では私有地内に電柱を設置しているケースがかなり多い。一旦公道に電柱を設置した後で、そこに接した土地を所有する住民が正当な理由を挙げてその移設を願い出た場合は移設も可能だが、その場合にはその住民の敷地内に移設するならタダあるいは低コストで移設してくれる・・・という経験が私には個人的にある。

しかしこの画像を撮影した地区においてのみ多くの電柱が公道ではないところに立っていることからして、それらは移設されて初めてこうなったと言うわけではあるまい。とりわけ右の画像では、大谷石の積み方からして、分譲地の開発当初からこうだったと思われる。電柱は公道にはみ出さず、それが設置された土地は分譲地の面積からも除外されているものと推測出来る。因みに私が以前住んでいた住宅地は、皆最後の画像のパターンで電柱が「生えて」いた。

当住宅地の電柱の「生え方」もいろいろなパターンがある。この違いは何か理由があってのことか。それとも開発当時の単なるその場その場の思いつき的対応なのだろうか。
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