「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

西武七里ガ浜住宅地の住民協定(2)

2008-04-13 10:11:43 | 環境・土地

初めて私は自治会館に足を踏み入れた。会館で昨年度の担当だった自治会理事3人と私の面談が始まり、私は説明を受けた。理事達は住民協定や地区計画に係るこれまでの経緯を親切に説明して下さった。私が長々と手紙で指摘したようなポイントは、ほとんどすべて理事会によりとっくの昔に検討済みであり、一部は実施済みであった。理事達も試行錯誤し、悩んで来られたのである。

説明を聞いて、問題の究極的な原因はやはり住民自身にあると感じた。協定に違反する土地取引の仲介や建築工事の請負を行う不動産会社や工務店が悪いのは確かで、そこにも問題の原因の一端はある。然しながら、土地を売却しようとする住民や建替工事を行う住民、または土地を買って新たに住民になろうとする人々に、協定を遵守しようとする強い意志があれば、問題の多くは解決する。ところが住民の多くにその意志がないとしか思えない実情を、説明を聞いていて感じ取ることが出来た。強制力のない住民協定だからとそれを無視する取引が発生する都度、それをなんとか阻止して環境を維持しようとする、自治会理事達のなんとも大変なご苦労が続いているのである。

理事の一人が平成18年度のアンケート結果を説明してくれた。七里ガ浜東4丁目自治会員のうち回答のあった318家庭の意見の集計である。

Q1: 土地の分割は住民協定に基づきすべきでない。
A1: すべきでない185票 分割は構わない41票 どちらでもない・無回答92票

Q2: 土地の分割を望む人の事情を斟酌すべきである。
A2: 斟酌すべき150票 斟酌すべきでない74票 どちらでもない・無回答94票

これは私には驚きであった。これでは法的強制力のある地区計画はおろか、住民協定も成立しないであろう。なんのための住民協定であろうか。住民協定は住民が守るべき最低限のルールである。それを遵守させる役割を担うべき自治会がアンケートで「事情を斟酌し、場合によっては協定破り容認も仕方ないでしょうか?」と住民にわざわざ尋ねるという、この設問者の意図が私にはよくわからない。「斟酌すべき」と答える人が出て来てしまうのが当然だろう。まあいろいろとアンケート作成時の「事情」があったのだろうが。それは兎も角、個々人の事情など斟酌していたらルールなど成り立たないのである。私はこの「事情を斟酌する」ことを正しくないと考える。理由は以下の3つである。

① 個別の事情を公平に斟酌することなど出来ない
住宅地を売却して出て行く住民の個別の事情を、公平に斟酌することなど何人にも出来ない。事情は家庭ごとに千差万別である。「子供の教育費が要る」、「事業に失敗した」、「転居により買い換えざるを得ない」、「家族構成が変化したから家を売りたい」、「老人ホームに行きたいから」、「相続があるから」・・・。すべて同じで、結局は「より早く、より大きな資金を得たい」というだけのことだ。誰もがそれぞれの事情を抱えている。どのような事情なら斟酌すべきで、どういう事情なら斟酌すべきではない、などと第三者がいちいち公平に判断出来る物ではないのである。さらに例えば「事業に失敗して金が要る」という売主がいたとして、その人が本当にどの程度困窮していて、売却資金がいくらで、そのうちどの程度が借金の返済に充てられるか、誰がチェックして判断するのか。そもそも金が要る理由は本当に「事業の失敗」なのか。あるいはまた「老人ホームに入りたい」という売主がいたとする。売却資金はいくらで、そのうちいくらが老人ホームの入居費に充てられるのか、いくら手元に残そうとしているのか、ひょっとして別の資金使途もかなり含まれるのではないか・・・。それらすべてを仔細に公平にチェックして「この事情では致し方あるまい」とか「この事情では受け入れられない」と判断出来るなら良いが、そうではあるまい。判断出来ないなら「事情の斟酌」など、不公平になるだけだ。

② 協定を守る大多数の住民に対して不公平である
そうした個別の事情を斟酌して土地の分割を認めてしまうことは、一方でルールを粛々と守る善良な住民に対し不公平を生む。土地の売却に時間がかかり売却金額総額も少なくなるであろうことを承知で、「それがルールだから」「ルールを破っては長年お付き合いのあったご近所に迷惑になるから」と、土地分割を行わずに住まいを苦労して売却する真っ当な住民も多いのである。一方、一昨年新しくこの住宅地の住民になった私も、当初土地を選ぶ段階で不動産業者から協定の存在を知らされ「当社は協定違反の土地の仲介はしません。少々値が嵩みますが協定に合致した候補地の中から選んで下さい」と言われた。このように買い手だって仲介する不動産業者だって、協定を守って取引しようとする者が多いわけだ。「売主の事情を斟酌され」許された土地の分割は、こうした大多数の真っ当な売り手と買い手が被る不公平の犠牲によって成立している。協定は「土地建物を売ってはいけない」と言っているわけではないのである。曲りなりにも協定が存在し、それにより環境が守られ、この住宅地の地価が決まり、この住宅地の流動性の高さ(売り出されると買手が比較的早くつく)につながっている。これまで住民だった者は協定というルールから、環境、地価、流動性等で恩恵を受けているのだから、同様にそのルールを守って土地建物を売却し、出て行けば良いだけのことだ。それが筋というものだろう。分割による土地売却は、フリーライダー(最近私が遠ざかっている経済学の用語・・・にあったと思う。他人の負担にタダ乗りして経済的恩恵を受ける人を指す)と言える行動である。

③ 仮に法に触れなくとも道徳的観点から良くないことはすべきでない
協定のあるこの住宅地に長年暮らしたが、自分が出て行くこととなり、法に触れないからと言って「後はどうなってもいい」とばかりの行動をとることは、あまりに道徳観の無い行動であると言えよう。建蔽率や容積率といった法的強制力のある建築法規はもちろんだが、「毎週何曜日は燃えるゴミで、何曜日は燃えないゴミ」と言ったゴミ出しのルールも、もしそれを守らない人がいたら、どんな「事情」があれ通常隣人から非難されよう。土地の分割はほとんど永久に元には戻らないという意味で、近隣に対してもっと大きくネガティブな影響を与える行為であるのに「事情を斟酌されれば」許されるのだろうか。一見尤もらしい「事情」を抱えはいても、道徳的観点からは、その売主はそうした取引を強引に進める不動産業者と五十歩百歩であると言えよう。

私は一切の土地分割を認めていないわけではない。皆が同意出来る1区画の最低面積をなんらかの形で明示できるならばそれでも良い。それを定めて皆で遵守すれば良いと思う。またその新ルールが定められるまでは、現行の協定を皆が遵守すべきであろう。協定違反はもちろん良くないし、「事情を斟酌」する必要などないと思う。
コメント (2)
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