ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

私の関西百山(91) 三岳 ・ 小金ヶ岳

2014-11-07 09:30:14 | 私の関西百山

 三 岳

三岳(793m)・小金ヶ岳(725m)
(みたけ・こがねがたけ)丹波の東、篠山盆地の北に連なる多紀連山は、北部の妙高山、南部の弥十郎岳周辺とともに多紀連山(兵庫)県立自然公園に含まれ、 600 ~800m の低山ながら急峻な風貌から多紀アルプスとも呼ばれている。三岳はその主峰であり、大タワを隔てた東側の小金ヶ岳とともに登られることが多い。三岳は「御嶽」とも呼ばれ、役行者を祀る祠があるなど修験道との関わりが深く、小金ヶ岳は「金嶽」と呼ばれたことから採鉱(金?)との関連がうかがわれる。
 
 1987 11 月、千日山歩渉会例会で太タワに車を置いて二つの山をピストンした。前日は大阪・京都・兵庫の府県境にある深山に登り、篭坊温泉に泊まった。
 
 
 8 日 大タワまで車で登る。ここは金剛と葛城を分ける水越峠に似た地形で、左手は三岳、右は小金ヶ岳へのコルになり、広場があり水場も近い。ユーレイ峠と呼ばれたほど寂しかった面影はどこにもない、明るい峠である。パークして三岳へ向う。
 落葉を踏んでの快適な登りも束の間、滑り落ちそうな急坂となり、木の枝や岩角を掴んでようやく登りきると、次のピークがひかえている。三回ほどだまされた未にやっと石室に着く。
 
 
 793.4m の一等三角点のある頂上は更に 30m 捏先になる。万歳をして記念撮影後、石室に帰りコーヒーを沸かし、周囲の展望に見とれる。南に北摂の山々、西に虚空蔵山など、東にこれから登る小金ヶ岳と実に壮観だ。眼下には篠山の町が小さく見えた。
 
 
大タワへ下り、すぐに小金ヶ岳へアタック。始めは昼なお暗い杉の大木の中の登り。右手に折れてじめじめした所をまき、広葉樹林の中、短いが本日最難所の急登を過ぎて、ようやく稜線に出る。
 
 
振返ると三岳が堂々とそびえている。ここからはアルプスの名に恥じぬ気持ちの良い岩峰が続く。
 
 
いくつか岩場をよじ登り頂上に立つ。潅木が繁り展望はもう一つだが、メンバーの一人が双眼鏡で、白いドームのある昨日登った深山を見付けた。大タワからいずれも 1 時間ほどで頂上に立てる、手軽だが面白い山だった。
 
 小金ヶ岳
 

私の関西百山(90) 東床尾山

2014-11-05 11:23:24 | 私の関西百山

 

90 東床尾山( 839.1m  <丹波高原西部>
(ひがしとこおさん) 兵庫県和田山町の北端、糸井渓谷の奥に位置する一等三角点( 839.1m )を有する山、南西2 kmにある西床尾山、鉄鈷(かなとこ)山とあわせて糸井三山と呼ばれる。
 
 糸井の大カツラ

2003 10  26日、千日山歩渉会のメンバー7名で登った。糸井渓谷沿いの林道を羅漢谷出合の西床尾山登山口を過ぎ、車止めで駐車。ここで JAC 会員の須磨岡さんに出会う。「はりまハイキング」や「たじまハイキング」の   著者で新ハイキング・クラブのリーダーでもあり、この山域の精通者である。 5 600 mほど沢沿いに登ると、囲いの中に国の天然記念物「糸井の大カツラ」が立っていた。
  樹齢 2000 年、高さ35 m、6畳ほどもある主幹は枯れてガランドウになり、その周囲に大小 80 本という「ひこ生え」が取り巻いている。須磨岡さんパーティ3人の後を追うように出発。カツラの後ろで橋を渡り、よく整備された右岸の道を行く。左岸に渡り返すと涼しいスギ林になり、対岸に「助右エ門桜」の大木を見る。更に登ると「衣谷鉱山精錬所跡」の案内板がある。ここで昭和初期まで金が取れたということで、河床や道端に精錬後の鉱石が山になっている。
 
 
歩き始めて 30 分近くで分岐にくる。自然歩道は左の避難小屋のある稜線に向い、峠を越えて出石へ続いている。沢を離れてしばらく山腹を登り、やがて三角点から派生する尾根の直登となる。途中で一息入れて林を抜け、ようやく青空の下の広い山頂に飛び出した。
 
 
さすが一等三角点のある山頂だけに展望は素晴らしい。北に出石の街並みの向こうに法沢山、高竜寺ヶ岳、右手奥に微かに日本海と丹後の山が霞んでいる。東は大江山塊と三岳山、東南すぐ近くに鉄鈷山、南には粟鹿山と氷上の山々、
 
 (南西)
 
南西の西床尾山の後ろに笠形山、ぼんやりと段ヶ峰、西の氷ノ山方面は黒い雲に覆われているが、北にかけて神鍋、須賀ノ山、扇ノ山…と遮るものがない。(これらの山の名前は、須磨岡さんからていねいに教えて頂いた。)
 
 
食事中に西床尾山から縦走してきた JAC の中島氏ら4人が山頂に到着。3グループ全員で記念撮影後、鉄鈷山へ縦走する。朝来郡と出石郡の境界になっている南東に延びる稜線を行く。
 
 
紅葉の始まった疎林の中に踏み跡が続き、顔色も気持ちも明るくなるような楽しい道だ。やがて急坂を滑り落ちるような道に変わり、山腹をトラバースするように下って朝の駐車場所から登ってきている峰越林道に降り立つ。右手にススキと紅葉に彩らた鉄鈷山を見ながら但東町への峠を越えて再び右の稜線に入る。 
 


718
 mピークから小さい鞍部に下り、ススキの原をかき分けながら登り抜けると、やや急な笹原の登りとなり、林の中の鉄鈷山ピークにでた。北側が僅かに開け木の間から東床尾山が見えた。
 
【コースタイム】駐車場所 10:05 …糸井大カツラ 10:15…避難小屋との分岐 10:47 …東床尾山(839.1m)11:17 ~ 12:25(昼食)…林道に出る 13:15 …718m ピーク 13:50 …鉄鈷山(770m?)14:05 ~ 14:15…衣谷精錬所跡 15:05 …糸井大カツラ 15:15 

22年前の今日~雪の大台ケ原から大杉谷へ

2014-11-02 07:00:00 | 過去の今日

 

1992年11月2日、初めての山行から35年後、前日泊まった大台山の家を出ると美しい霧氷の世界でした。気温マイナス4℃。予定通り大杉谷へ向かいます。

日出ヶ岳山頂は強風で厳しい冬山の様相でしたがシャクナゲ平を過ぎると嘘のように姿を変え、穏やかな日差しが帰ってきました。

谷筋に降りると、日陰ではまだ雪や氷が残っていましたが、「以前は細い針金にすがって通過した七ツ釜手前岩壁の下りも、立派な太い鎖が取り付けられて、全く危険を感じない」と山日記に書いています。

秘境といわれた大杉谷はすっかり変貌していましたが、紅葉の山肌にかかる飛瀑、水や岩の色は昔と変わらぬ美しさでした。


初めての山行(56年前の今日)

2014-11-01 11:27:32 | 過去の今日

1958年11月1日。大学の同級生6人が卒業前のグループ旅行で山陰へ行こうと、夜行列車で大阪を発ちました。



翌2日、始発のバ
スで大山寺へ向かい、正面登山口から伯耆大山をめざします。 

「前日に1名遭難して自衛隊が出動していた。頂上付近はすごい風雪とガス。縦走はあきらめて元谷を下る」
 
初めての山日記の記事です。借り物のキャラバンシューズとザック。大山登山は山陰旅行の、ほんの付け足しの筈でした。景色も見えず、苦しいだけだった山が、なぜこの後、こんなに私をのめり込ませるきっかけになったのでしょう。



翌1959年2月22日、この時の発案者N(故人)と再度、正面登山口から登ります。

 
 
深雪のラッセルで苦労しながらも、二度目の登頂を果たしました。