ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

こんなキノコが(10月10日)

2008-10-10 21:39:30 | 矢田だより
いつもの矢田歩きのスタート地点近くで、NPOの方が竹林の整備を進められています。


「自由に利用して」と書かれた竹チップ置き場で


こんな変なキノコを見つけました。


NHKのTV番組「ダーウィンが来た」のキャラクターそっくり。


これも珍しいブルーのキノコ。(東明寺近くで)
他にもたくさんのキノコが生えています。

初めての富士登山

2008-10-08 11:13:37 | 旅の想い出
ほぼ月に一度、堺市に住む義父母宅にご機嫌伺いに行く。
義父は明治44(1911)年生まれの97歳、四つ年下の義母ともども元気矍鑠としている。
最近はノートパソコンを持って行って私たち夫婦や曾孫(つまり私の孫)の写真をスライドショーで見て貰うことにしている。
昔、一緒に旅行した時の写真も、少しづつデジタル化してポータブルHDDに入れて行く。
二人とも「便利なもんやなあ」と言いながら、食い入るようにあかずに眺めて喜んでくれる。こちらが疲れないかと心配するほどである。

昨日は3日の富士登山と、義父も一緒に登った22年前の富士登山の様子を見て貰った。
当時、義父は75歳、現在の私より一年以上年かさで、しかもこの時が山らしい山に登った最初である。
当時の山日記で今の自分の体力と比べてみると、いかに凄い「老人パワー」だったかに、今更ながら驚かされる。

68年8月28日。変愚院夫婦と3人で新五合目を出たのが15時10分。義父は15分歩いた新六合で買った杖に、各合目ごとに焼印を押して今も大事にしている。


新七合(2780m)16時20分、元七合(3010m)17時07分。
なんと宿泊予定の八合目(3250m・17時55分)はパスして、九合目まで足を伸ばしている。


3,460mの万年雪山荘に18時50分に到着。(写真は翌日の下山時)
1200円の卵丼と600円の熱燗酒(下戸の親父は飲まない)で温まり、カイコ棚で眠った。

翌朝、3時15分発。九合五勺(3590m)3時45分。山頂浅間神社奥宮、4時35分。


義父は70歳以上の高齢登山者として記帳して、白扇やお神酒などの記念品を授かった。4時48分、ご来光を拝んだ後、剣ヶ峰へ。


見事な影富士を見ながら最後の急坂を登って、5時20分に念願の日本最高峰に立つ。
10分休んだだけでお鉢巡りに出る。殆どの人は「内輪巡り」と呼ばれるコース(現在はこのコースが普通)に入ったが、私たちは稜線を忠実に辿ったので、少し時間がかかった。


途中、白山峰で外人と交流したり(写真)、コーヒーを沸かしたりして、浅間神社、帰着7時40分。下りは早く、11時に新五合駐車場に帰る。

午後は白糸ノ滝を見たあと、富士五湖一周のドライブ。御殿場から東名を走って清水で泊まる。
翌日、次郎長の生家、梅陰寺、三保の松原、日本平、久能山東照宮、登呂遺跡を回遊して帰る。
1000キロを超すロングドライブの方が、義父には少しこたえたようだった。

富士のスーパースター・2008年版

2008-10-07 20:35:41 | 人との出会い・本との出会い
今年も富士山に執り付かれた「スーパースター」たちに出会えました。

一人目は実川欣伸さん。何年か前にも紹介しましたが、ともかく考えられる
限りの登り方で富士山を「遊び尽くしている」人です。
例えば34時間50分で6連続登頂。30時間52分で四登山道連続登頂。
42時間で東京駅から登頂。下田から伊豆半島を縦断して39時間で山頂へ…。
富士山だけでなく、日本縦断で3000m峰29座を29日で踏破。海外ではキリマンジャロ、エルブルース、マッキンリーなど五大陸の最高峰に登っています。
すでに富士登山は555回を超え、近頃は一日二回の山頂往復を続けておられます。

2日の夕闇迫る頃、六合目宝永山荘で噂話をしていると笑顔で姿を現し、一緒に
生ビールを飲みながらいろいろと話を伺いました。


夕食を済ませると五合目駐車場に停めてある車で眠って朝を待つと、ライトを手に下って行きました。

翌3日朝は7合目で追いつかれ、「寒くて起きるのが辛く遅くなりました」といいながら道脇のツララをかじって、しばらく立ち話。


私たちが九合目近くまで登るともう下山してきて、「このしろ池に氷が張っていますが、雪は溶けてアイゼンは要りませんよ」と教えてくれました。下山時の八合目では二度目に登って来てと…結局この日は三度もお目にかかりました。

佐々木茂良さん。朝5時に車で秦野市の自宅を出て富士宮へ。五合目から登りだして山頂往復後、金時山へ登って帰るのが日課です。
 この人はもと教員で現在は市の選挙管理委員。
登山を始めた動機が変わっています。新田次郎の直木賞受賞作「強力伝」を読んで感動し、モデルとなった強力の娘さん、「金時山の金時娘」さんから直接話を聞いて、自分も富士山に登って見ようと興味をもったのが最初だそうです。
富士山登頂は400回を超え、金時山に至っては1,230回を超えるという猛者です。


 お目にかかるのは一昨年以来ですが、今年は剣ヶ峰への最後の急坂で逢い、頂上で久闊を叙しあいました。笑顔のとても優しい、口調も穏やかで物静かな人です。「私のことがTVで報道されるので良かったら見てください」と名刺の裏に放送日時を書いて渡されました。
 特集番組の放送日時は次の通りです。このBLOGをご覧の皆さんにもぜひ見て頂ければと思います。

10月23日(木)19時45分  NHKBS2
10月28日(火)22時    NHKハイビジョン
11月3日(月)12時

お二人とも「来年もまた逢いましょう」と名残りを惜しんでお別れしました。

今年の富士山は…

2008-10-06 16:24:19 | 四方山話
8月に雨が多く、8月9日には激しい雨の中、富士宮六合目と七合目の間で登山者に落雷がありました。
六合目宝永山荘で聞いた話では、夫婦連れのうち奥さんは先に山荘に到着。ご主人のバッジを付けた帽子を雷が直撃したそうです。
雷雨を避ける人で小屋がごった返す中、息子さんたちが救助活動を行い、男性は冨士宮市の病院に搬送されたあと亡くなりました。

異常気象のせいで木の実の出来も悪かったようで、コケモモも今ひとつ色付きが遅いようです。

下の記事は10月4日付「読売新聞静岡版」のコピーです。
3日午後1時と言えば、私たちが帰り道で通った3時間ほど前のこと…。
森林限界の六合目付近でもシカは姿を見せますが、富士山にクマが出るのは本当に珍しいことだそうです。


10月の富士

2008-10-05 09:59:57 | 旅日記
台風一過の10月2日、マイカーで出発。
スカイラインは濃い霧でしたが、五合目駐車場に着く頃にはすばらしい青空が開けてきました。


草紅葉の山を見上げながらスタート。


いつもの六合目・宝永山荘に荷を下ろし、宝永火口まで散歩に行きました。


深紅のコケモモの実がルビーのように光っています。


翌3日、山荘を出てしばらくで美しいご来光を拝みました。
宝永山の右肩から登る朝日が、雲海をオレンジ色に染めています。


快晴の空の下を八合目へ。


九合五勺を過ぎると、いよいよ胸突き八丁の苦しい登りに差し掛かります。


山頂の富士宮浅間神社に参拝を済ませ、氷結した「このしろ池」の畔から…


まだらに雪の残る道を剣ヶ峰へ向かいます。


推定気温5度前後、快晴無風の日本最高峰。
北アルプスはじめ周囲の山々も、ずらりと並んで雲の上に顔を出していました。


今年も元気にここに立てた喜びを、二人で分かち合いました。


測候所前からの火口の眺め。


今年はお鉢巡りはぜずに、頂上に別れを告げました。


六合目宝永山荘に来年の再会を約して、早々と下山しました。
(写真は五合目駐車場前のオールコック碑。万延元年に外国人としては初めて富士山に登った英国公使です。)