ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

エベレストより高い山

2010-06-05 09:44:52 | 四方山話
5月29日の「エベレスト記念日」に関連して、この本が書棚にあったことを思い出し
て書きかけたままで、かなり時季外れになってしまいました。



2000年5月1日発行の朝日文庫(朝日新聞社刊)「エベレストより高い山」
表紙写真の中央左がエベレスト、右上はK2、右下はアイガー北壁。

ジョン・クラカワーは渾身のノンフィクション「空へ」(この本も、エベレストが
舞台です)で知られる作家で、彼自身が数々の登攀を成し遂げたクライマーです。

この本は、副題にあるように「登山と人間との関わり」を12編のエピソードで記した
短編集ですが、なかなか面白い本です。

例えば「アイガーの夢」は映画「アイガーサンクション」でのクリント・イーストウッド
扮するCIA?の男のセリフ「あの壁には二度アタックした。そして二度とも死に
かけた…もしターゲットがアイガーをやろうとしているなら、俺が手を下すまでもない」
から始まるという具合…。



標題となったのはその中の一章ですが、謎の山その一はパキスタンと中国国境に聳える
世界第二の高峰・K2。
1986年アメリカの遠征隊が軍事衛星からの電磁波で測量した結果、8895mある
「かもしれない」という話しです。



この「K2を見に行かないか」と誘われたことがありました。政情不安が続くパキス
タンへの旅ではありますが、世界第二の高峰をこの目で見たいと大いに食指をが動き
ました。しかしながら、当時は地域の民生委員をしていて、一ヶ月をこえる長旅は
とても許される状況ではなかったので涙を飲み、留守宅の連絡役に徹しました。
このトレッキング隊はK2のベースキャンプから、難関のゴンドゴロ峠を越えて
バルトロ氷河を巡る長いトレースを成功させました。写真はチーフリーダーのK氏
から頂いた記念誌です。(上の写真も)

標題に帰ります。謎の山その二は、中国四川省のミニヤコンカ。
1929年、ジャイアンツパンダの調査を行っていたアメリカ大統領の息子たちが、
帰国後出版した本の中で「9000mを越える世界で一番高い山」とこの山のことを書き
ました。
それを信じたロックという植物学者が「携帯用コンパスと気圧計」を使って測量。
「ミニヤコンカは9220m」とアメリカ地理学協会に報告します。その後の測量で
7590mしかないと判明したのですが、懲りないロックは更に青海省にあるアムネマチン
が9000m峰だと主張しました。
ここから、アムネマチンに関する興味深い様々なエピソードが語られるのですが…
6282mのこの山は1981年日本の登山隊(上越山岳会)によって初登頂されました。

K2に関連しては「K2の不幸な夏」という章があります。
K2は世界に14座ある8000m峰の中で最も遭難者の多い山ですが、1986年夏季には
27人が登頂し、そのうちの約半数の14人が死亡するという悲惨な事件がありました。
その悲劇のドラマを綴った章ですが、その中にイェジ・ククチカ(ポーランド)の
「南壁を舞台にした離れ業」があります。4晩にわたるビバーグ(しかも最後の2晩
はツェルトもシュラフも水も食料もなく)の末、風雪の中を登り続け頂上に到達しま
すが、下山中にパートナーが滑落し死亡してしまいます。

また横道にそれますが…
ククチカにとってK2は8000m13座目の登頂でしたが、その後L・メスナーに次ぐ
14座完登の栄誉を手にします。しかし、この本に描かれたK2から3年後の1989年、
8516mのローツェ南壁に挑み、墜落死しました。

標高差3300のこの世界屈指の大岩壁は、1990年5月、スロベニアのトモ・チェセンに
よって初登攀されました。同年秋、ソ連隊が登ったあと、2006年12月27日、日本の
JAC東海支部隊が第3登を達成。これは冬季の初登攀になります。
田辺治隊長、山口貴弘隊員、ペンバ・チョルテ(シェルパ)の3人がこの「難」壁を
登り切ったのは、2001年と2003年に次ぐ3度目の冬季挑戦による壮挙でした。

この登攀について、朝日新聞は「ローツェ南壁初登攀断念 日本山岳会東海支部」と
いう見出しで報じました。南壁完登後、山頂を踏まなかったのがその理由のようです。
田辺隊長は後に「あのあと頂上を目指していたら、命を失っていただろう」と語って
おられます。落石や強風と戦いながら標高8475mに達し、3度の挑戦で「1人として
命を奪うことなく、凍傷で指1本失うこともなかった。」登攀は頂上に達しないこと
で些かの価値を失うものではないと、私は思います。



写真は2003年11月、2度目の挑戦に向かう前の田辺治隊長(右)
ナムチェのエベレスト・ビューホテルでお目にかかりました。
写真中央がローツェ、その左がエベレスト


4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございました (KAY.T)
2010-06-05 20:05:20
早速のコメント返信ありがとうございました。

実は祖父は母が2歳の時(1933年)に他界しており、私も実際にどのような人物であったのかはよく分かりません。

ただ、大台ケ原をこよなく愛し、植物というものに没頭していたということは母からも良く聞かされていました。

私も自然主義者で、アウトドア志向、冒険・チャレンジ大好き人間です。

話は変わりますが、ジョン・クラカワー氏の「荒野へ」という書物は読まれましたか。

2年ほど前にこの原作の映画が上映され、いたく感動しました。クリス・マッキャンドレスというアラスカの原野で若くして亡くなった実在の人物を主人公にした作品です。

彼にも、私の祖父と私に通じるものがあります。ぜひ原作・映画をご鑑賞してみて下さい。映画は既にDVD化されています。
返信する
KAY.Tさんへ (変愚院)
2010-06-06 08:51:19
大台ヶ原をこよなく愛されたお祖父様のご縁で、このBLOGが
冒険家のKAY.Tさんにお目にとまり、コメントまで頂き恐縮です。

ジョン・クラカワー氏の「空へ」は読みましたが、「荒野へ」は未読です。
ご紹介頂き、ありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
返信する
祖父岡本勇治の件で… (KAY.T)
2010-06-06 20:00:26
事後報告で申し訳ありませんが、今日の当ブログでこちらのブログを紹介させていただきました。

前回の祖父岡本勇治の著書に関しての記事を書きましたので、よろしければぜひご覧下さい。

http://kaytaka.blog35.fc2.com/blog-entry-1208.html
返信する
ネイチャーハイ (変愚院)
2010-06-06 21:29:57
拙ブログをご紹介頂き、ありがとうございました。
記事を拝見し、同じ自然愛好家の一人として共通する感覚を
持ち合わせていることを嬉しく思います。
もちろんKAY.Tさんのようなハードな行動の結果得られる
感覚とは雲泥の差ではありますが、
これからも身尺にあった山歩きを続けていこうという意欲が
湧いてきました。重ねてありがとうございました。
返信する

コメントを投稿