遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『美しき愚かものたちのタブロー』  原田マハ 文藝春秋

2021-08-17 17:46:13 | レビュー
 企業に就職し、最初の1年余の勤務地が関東地方だった。その時、休日に上野の国立西洋美術館に一度だけ訪れたことがある。屋外でロダンの「地獄の門」を間近で見た。「松方コレクション」の一端を間近で眺めたのもその時だった。その後、東京には幾度も出張したが、それが今のところ唯一の機会になっているのが残念。
 そして、この小説、「史実に基づくフィクション」を通して、初めて「松方コレクション」が数奇な運命を辿ってきたということを知った。併せて、第一次世界大戦から第二次世界大戦、終戦後の初期段階について、日本とフランスのパリを中心に歴史的な背景その状況の一端を知り、イメージできたことが副産物となった。

 この小説、「松方コレクション」がなぜ、どのようにして、蒐集されたのか。そして、それが国立西洋美術館に収納され展示されるに至るまでにどのような数奇な運命に翻弄されたかを扱っている。
 このストーリーには様々な人々が登場するが、その中核となるは4人の群像である。
 「松方コレクション」と名を冠する通り、中心人物は松方幸次郎。この名前は知っていたが、それ以上のことはほとんど知らなかった。この小説を読むのをきっかけにして、少し調べて見て、驚嘆するに至った。スゴイ人物が大正から昭和にかけて活躍していたのだと・・・・。松方幸次郎は「わしは、いつか日本に美術館を創る。」(p15)と決意する。パリにおいて、それを唆した人々が背景に居たこともこのストーリーに描き込まれているが、私財を投入して、日本に西洋美術専門の美術館を作るという。そこには「日本が欧米諸国と比肩するためには、経済力、軍事力ばかりでなく、芸術の力が必要だ」という直感のもとに、それを自ら実現しようとした人が居たのだ。だが、社会経済情勢と諸般の事情で、松方幸次郎は初志を貫徹できずに逝去した。このストーリーは、松方幸次郎の自由で覇気に満ちた奔放な人生の断面を活写していく。「好奇心こそが、松方幸次郎の核心となって彼をかたち作っている」(p174)という一文が、松方幸次郎を鮮やかに物語っていると言える。

 パリで購入、蒐集された美術品は一部パリに保管されていた。それ以前に蒐集され日本に輸入を済ませていた美術品は、経済的事情によるやむなき売却、あるいは戦時の東京空爆により被災で焼失してしまった。そしてパリに保管してあったものは、フランス政府に敵対国の資産として没収されてしまっていた。

 ここに松方及び「松方コレクション」に関わる重要な3人の人々が登場する。
 その一人が西洋美術史家の田代雄一。西洋美術史の研究者を目指すには、自分の目で本物の美術作品を目しなければ机上の空論に過ぎぬとして、渡欧しフィレンツェでバーナード・ベレンソンに師事したいという志を実行する。その途中で、松方幸次郎の美術品蒐集活動に巻き込まれ、情熱を傾けてその目利きにまず奔走する。その田代雄一は、戦後、民間人の私財「松方コレクション」の日本への返還の交渉担当者となる運命を担っていく。
 このストーリーは、この田代雄一の視点から描き出される。「松方コレクション」を介在して、彼の人生並びに彼と深い関わりを持った人々を語ることにもなっている。なお、この田代雄一はこの小説ではフィクションとして設定された人物である。だが、そのモデルとみなせる人は居るようだ。

 二人目は、終戦後内閣総理大臣になった吉田茂。吉田茂はサンフランシスコ講和条約を締結し、日本の独立と主権を復活させた。その吉田茂は、この講和条約締結の折に、フランスの外相と会談し、「<松方コレクション>がフランスではなく日本にあることこそが、フランスのためになるのだ--という論法」(p98)を使い、外相から諾の言質を取り付けた。田代はフランスへ返還交渉に出発する前に、吉田茂に面会に行く。その中で、吉田茂から松方幸次郎との関わりを田代は聞かされる。
 余談だが、学生時代、日本史で「サンフランシスコ講和会議」「サンフランシスコ講和条約」を締結し、個別国間で対日平和条約を結んだと学んだ記憶がある。調べる序でに、外務省のホームページをチェックしてみると、現在は「日本外交文書 サンフランシスコ平和条約 調印・発効」と標題が冠されて、情報が開示されている。時代の変化、視点の変化を感じる。

 三人目は、日置釭三郎である。松方幸次郎が美術品の蒐集をパリで始めると、その時別の目的でパリに駐在していた日置は松方から蒐集した美術品の管理という使命を与えられる。第二次世界大戦の期間中、日置は松方の指示どおり、苦心惨憺し密かに「松方コレクション」を守り続ける。彼の努力がなければ、松方コレクションは戦時中のドイツ軍のパリ侵略の最中に散逸消滅していただろう。この小説を読み、この人物が実在していたことを知った。日置の生き方は切ない。だが、己に課された使命を果たし、田代にバトンタッチできたことでやり甲斐感を抱いたのではないかと感じる。一隅を照らす己に殉じ得たことに・・・・・。

 本書は、なぜ「美しき愚かものたちのタブロー」となったのだろう。これにも関心を抱いた。普段使ったことがない言葉なので、調べてみると「タブロー」はフランス語で絵画作品を意味する。ストーリーを読み進めると、マネ、モネ、ルノワール、ピサロ、シャニック、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、スーラなどの一群の画家たちは、フランス・パリにおいて、その存在が「つい二、三十年まえまでは『タブローのなんたるかを知らぬ愚かものの落書き』などと批評家に手厳しく揶揄された画家たち」(p133)だった事実が書き込まれている。それまでの伝統的な絵画観、絵画技法からは訳がわからない存在だったのだ。「愚かものたち」というフレーズはここに由来するようだ。
 松方幸次郎は、当初ぼろくそに批評されたこれら画家たちの絵、近代絵画を精力的に収集した。作者は、松方と同時代に先見の明を持ち、近代絵画に着目して蒐集活動をしていたライバルのことに触れている。彼等の蒐集品が、一つは、プーシキン美術館に収蔵され、他の一つは現在ではバーンズ・コレクションとして公開されるようになっている。
 余談だが、「La liste des lumières retrouvées」と副題(?)とも呼べるものが表紙に記されている。フランス語辞書を引きつつ推測すると、「光輝く再発見絵画の一覧表」という意味合いのようだ。

 このストーリーはこの4人の人物を中核にして織りなされていく。全体の構成は時間軸が入れ子構造、つまり、現在⇒過去⇒さらに過去⇒現在(⇒過去)⇒その後(結末)という形で進行する。
 時間軸のフレームワークをご紹介しておこう。
 1953年 6月 「松方コレクション」返還交渉のためパリに向かう田代の描写
     5月 出発前に田代が吉田茂と面談する
     6月 パリでの返還交渉
 1921年 7月 30歳で初渡欧した田代がパリに着く。松方の絵画蒐集への同行が始まる
 1866年~   松方幸次郎の回想。松方の生き様と西洋美術館創設を決断した経緯
 1921年 7月 美術品コレクター松方としての活動。それに同行する田代。
 1953年 6月 田代の逗留するホテルに日置釭三郎が現れる。
        己の過去と第二次大戦中の松方コレクションの秘匿・管理の顛末を語る
 1959年 6月 国立西洋美術館の落成。取り返された(寄贈返還)松方コレクション展示
 実在した人物群とフィクションの人物群で織りなされる「松方コレクション」の運命・秘話物語。アート小説に伝記語り的要素が織り込まれている。西洋美術史研究者田代雄一の青春の一時期における松方幸次郎との運命的な出会い。クロード・モネと松方幸次郎の出会いと交流、フランク・ブラングィンと松方幸次郎の出会いと交流、そして、ゴッホの絵<アルルの寝室>と人々の関わりの有為転変が要の一つとして描き込まれる。美術愛好家にとっては大いに楽しめる作品である。

 最後に、本書を読み印象に残る本文の一節を引用し、ご紹介したい。⇒印はこのストーリーで、誰の発言あるいは関わることなのかを付記した。
*自分が専門とする時代と画家だけを追いかけて「重箱の隅をつついている」ばかりでは美術史は究められない、時代や国や流派を俯瞰して比較することが大事なのだ。 p9
 比較したときに思いがけない発見があるのだ。 p10 ⇒ベレンソンの言(二文とも)
*初めのうち、私の絵はどの絵もみんなおかしな色だと言われたものだ。でも時が経てばわかる。私がどんなふうにこの風景を見ていたのか。 p14 ⇒モネの言
*画家がおのれの全部をぶつけて描いた絵を、傑作と言うんじゃないのか? p15 ⇒松方の言
*アトリエではなく外光の中で制作したことが、印象派の画面にあのまばゆさをもたらしたのだ。  p58
*ヨーロッパの近代美術、そしてフランスで起こった前衛美術を、日本で最初に紹介したのは、・・・・同人誌「白樺」です。 p93  ⇒田代の言
*美術とは、表現する者と、それを享受する者、この両者がそろって初めて「作品」になるのです。  p95  ⇒田代の言
*心を開いて向き合えば、絵の中から声が聞こえてくる気さえする。時を超えて画家と対話することだってできる。美術館とは、そういう場所なのだ。(p172-173)
*松方さん、画家の筆によって絵の中に残されましたね。たった一時間で、永遠を手に入れたようなものだ。 p238 ⇒石橋和訓の言
*私は絵のなんたるかを知りません。何もわからない。お恥ずかしい話です。けれど、私は・・・・なんというか、私は・・・・・先生の作品が好きです。 p303 ⇒松方の言
*そして、知らされた。自分が心ではなく頭でタブローを見ていたことを。 p309 ⇒田代の言
*それがなくても生きていける。それがなければ何かが変わってしまうというわけじゃない。けれど、それがあれば人生は豊になる。それがあれば歩みゆく道に一条の光が差す。それがあれば日々励まされ、生きる力がもたらされる。そう。松方にとって、田代にとって、それがタブローだったのだ。-そして、日置にとっても。 p419

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
松方幸次郎  :「コトバンク」
松方幸次郎  :「Kawasaki」
松方コレクション  :「国立西洋美術館」
Bernard Berenson  From Wikipedia, the free encyclopedia
ベレンソン  :「コトバンク」
矢代幸雄/バーナード・ベレンソン往復書簡等のオンライン展示 :「東京文化財研究所」
矢代幸雄  :ウィキペディア
アン女王の館(Queen Anne's Mansion) :ウィキペディア
吉田茂  :ウィキペディア
サンフランシシコ講和条約  :「コトバンク」
日本外交文書 サンフランシスコ平和条約 調印・発効  :「外務省」
プーシキン美術館  :ウィキペディア
バーンズ・コレクション  :ウィキペディア
フランク・ブラングィン  :ウィキペディア
松方幸次郎の肖像 フランク・ブラングィン  :「国立西洋美術館」
モーリス・ドニ  :「Salvastyle.com」
【ぶら美】松方コレクション展④【松方とベネディット、ロダン作品】 :「masaya's ART PRESS」
石橋和訓 :「収蔵品データベース(SHIMANE ART MUSEUM)」
日置釭三郎 この男がいなければ国立西洋美術館はなかった!?   :「サライ」
フランス美術館史の主役 リュクサンブール美術館 :「note」

 インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『<あの絵>のまえで』   幻冬舎
『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下  PHP
『たゆたえども沈まず』  幻冬舎
『アノニム』  角川書店
『サロメ』  文藝春秋
『デトロイト美術館の奇跡 DIA:A Portrait of Life』  新潮社
『暗幕のゲルニカ』   新潮社
『モダン The Modern』   文藝春秋
『太陽の棘 UNDER THE SUN AND STARS』  文藝春秋
『楽園のカンヴァス』  新潮文庫
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