遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『日本はこうしてつくられた』 安部龍太郎  小学館

2021-08-08 11:11:42 | レビュー
 「大和を都に選んだ古代王権の謎」という副題が付いている。カラー版で、一般的な新書サイズ。ただし横幅が5mmほど広い。2021年1月に出版された。
 「日本はこうしてつくられた」というタイトルのネーミングがまず惹きつける。表紙を見れば、埴輪、銅鏡、古墳、仏像の写真などが散りばめられていることから歴史ものとわかる。右肩の副題に目が行くと、時代が特定されてくる。「都に選んだ」という言い回しがさらに興味をそそる。

 読後に「あとがき 日本の原点への旅」を読んだ。そこで知ったことは、著者が6年半ほど月刊誌『サライ』に「半島を行く」と題して、日本の原点となる文化や伝統の姿を紀行文として連載してきたことである。その過程で「それなら日本人の原点にテーマを絞ってみよう」(p270)、「奈良の都に切り込み、この地に大和政権が誕生し、日本という国に成長していった理由を見極めようではないか」(p6)ということになったそうだ。そこから本書が生まれたと言う。
 本書の特徴は、大和にできた古代政権が日本を統一した後の日本国家の形成を論じるのではなく、大和古代王権が誕生した後に大和王権とその周辺諸地域との関係に目を向けていくところにある。つまり、著者は奈良を中心にして、その周辺地域と位置づけられる半島を巡って行く。大和王権の誕生と並立して各地に古代王権が存在したこと、それら古代王権が大和王権とどのような関係を築いて行ったかが明らかにされていく。
 学生時代には歴史の授業で、統一政権となる大和朝廷の発展について学んだくらいしか記憶にない。それ故、大和王権の拡大プロセスにおいて、当時各地に存在した古代王権あるいは関わりの深い地域にフォーカスをあてその歴史を掘り起こし、大和政権との関係をとらえなおすいう視点は、私にはかなり新鮮だった。

 本書の構成をまずご紹介すると、その意味がイメージしやすくなることだろう。
  第1章 大和王権誕生編(奈良)
  第2章 謎の丹後王国編(丹後半島)
  第3章 出雲国譲り編(島根半島)
  第4章 宇佐八幡と対隼人戦争編(国東半島)
  第5章 聖地・熊野と神武天皇編(紀伊半島)
  第6章 関東と大和政権編(房総半島)

 各章に沿って少しその内容・論点をご紹介し、読後印象を付記したい。
<第1章 大和王権誕生編(奈良)>
 『日本書紀』は大和地方に東征した神武天皇がこの地に至り橿原に都に定めたと記す。橿原という地名が樫の木が生い茂る原に由来するということを本書で知った。
 ここでは、日本で初めての王権が誕生したと言われる纏向から始まり、大神神社・三輪山、宇陀市、藤原宮跡、平城京跡を巡り、大和に王権が誕生した謎と取り組んで行く。
 興味深いのは、大和政権の誕生に関連し諸説を併記して論じているところにある。
1)纏向で初めて連合政権・新生倭国が誕生したとする寺澤薫説(纏向学研究センター長)。この時期から纏向で前方後円墳が作られ始め、それは吉備から継承された首長霊継承儀礼という。
2)『日本書記』の編纂は大和王権の正統性を唐の皇帝に認めて貰うという目的があった。皇帝は辛酉の年に天命を受け新しい国家を創建するという思想があり、そこから建国の年が紀元前660年にされたという岡田登説(皇學館大学教授)。神武天皇~開化天皇は実在したが辛酉の年との辻褄合わせで在位期間を引き延ばしただけと論じる。
3)『古事記』『日本書紀』は藤原不比等が外戚としての藤原家の地位を正統化し、天皇の権威を絶対化するために仕組んだものとする大山誠一説。聖徳太子は存在しないと論じる。
 この章を読むと、大和政権については未だに様々な解釈があるようでますます興味をそそられる。古代の謎はまだまだ深く、ロマンにあふれる宝庫と言えそう。

<第2章 謎の丹後王国編(丹後半島)>
 籠神社(元伊勢)、浦島神社(宇良神社・伊根町)、丹後古代の里資料館、網野銚子山古墳、志布比神社、大成古墳、溝谷神社(弥栄町)などが巡られる。
 海部家が丹波の大縣主として大丹波王国を築いていた。ここが日本建国のもう一つのルートである。海部家の祖神は彦火明命とされる。だが、大丹波王国は和銅6年(713)に丹後と丹波に分国された。だが、彦火明命の末裔や大丹波王国の存在は公の記録からは消し去られているという。たしかに、後で『続日本紀(上)』(宇治谷孟訳、講談社学術文庫)巻六を参照すると、元明天皇の和銅6年夏4月3日の条に「丹波国の加佐・与佐・丹波・竹野・熊野の五郡を割いて、初めて丹後国を設けた」とだけ記されている。
 丹波の一の宮、籠神社は元伊勢と呼ばれるように、伊勢神宮との関係が深い。
 京都府には約13,000の古墳があり、そのうち約6,600が丹後に集中しているという。丹後にしかない形式の「丹後型円筒埴輪」が許されていたことも丹後には大和政権が一目を置く王国が存在していたことを示す。古墳の出土品から九州との交易ネットワークを推察できるという。網野銚子山古墳は奈良市の佐紀陵山古墳と同形だという。佐紀陵山古墳は丹波道主命の娘日葉酢媛の御陵と推定されている。日葉酢媛は第11代垂仁天皇の妃となった。丹波王国は大和朝廷と融合をはかるようになっていく。大和政権に組み込まれて行ったのだろう。
 存在を闇に葬られた丹波王国という視点が浮上してきた。それを裏付ける客観的証拠はどれほどあるのだろうか。関心が広がる。

<第3章 出雲国譲り編(島根半島)>
 美保神社(美保関)の諸手船神事に焦点を置く紹介に加え、客人社、熊野神社、須佐神社、出雲大社、田和山遺跡(松江市)、佐太神社(松江市)、西谷墳墓群(出雲市)などが巡られる。
 諸手船神事が国譲り神話を再現する神事という説明は興味深い。
 出雲の国譲り以後にも、出雲は二度大和朝廷によって蹂躙されていることを本書で初めて知った。「和議がスムーズに行なわれたなら、こうした事件が起きるはずがない。出雲には国譲りの後も大和への抵抗運動が続いていたとみるべきだろう」(p112)と著者は記す。
 著者による神話の解釈が出てくる。「須差之男集団はモンゴルからソウルを経由して出雲に渡来し、須佐に土着して国を建てた。そして後に渡来してきた大国主集団と一体化して日本全国に勢力を拡大したが、新たに渡来してきた天照集団に服属せざるを得なくなった。服属後は『三貴子』の1人に数えられる重要な役割をはたしたが、やがて使い捨てにされたと考えられる」(p115-116)おもしろい解釈だと思う。また、最新の製鉄技術をもって渡来してきた須佐之男集団は奥出雲地方に居住し、「たたら製鉄」の伝統を残したと著者は論じる。
 また、国譲り神話は、天津神(天照集団)が大国主に神事を託し、国の政治を取り上げて役割分担をする「和讓」ととらえている。国譲りは魂の勝利という捉え方が興味深い。

<第4章 宇佐八幡と対隼人戦争編 (国東半島)>
 薦神社・三角池(中津市)、虚空藏寺跡、宇佐神宮、六郷満山、阿弥陀堂(富貴寺大堂)、両子寺などが巡られる。
 国東半島は陸のどん詰まりであり、一方海からの入口でもあるという冒頭の一行がおもしろい。ここが八幡大菩薩発祥の地となり、なぜ大和政権と関わりができたかが考察される。
 宇佐は隼人(古代九州南部に住んでいた人々)との戦いの最前線であり、大和朝廷は薦神社と宇佐神宮の二社の力を隼人征伐に活かすために、八幡神を創出したと著者は論じている。宇佐の八幡神(八幡大菩薩)が、東大寺大仏の造営の時と、称徳天皇が道鏡を皇位につけようとした時の2回、登場し活躍するのは有名な話である。
 著者は六郷満山の本山八か寺の仏像群もまた隼人征伐のために作り出されたものと推論している。
 国東半島は大和政権が九州を征服する上で重要な拠点となったようだ。こういう視点で国東半島を捉えることはなかった。この半島への関心も高まった。

<第5章 聖地・熊野と神武天皇編(紀伊半島)>
 熊野古道伊勢路のルートから、松本峠、大丹倉、楯ケ崎、徐福の宮、赤木城跡、熊野速玉大社、熊野本宮、熊野那智大社などが巡られる。
 この章では、熊野詣と熊野三社の説明及び天皇の御幸との関わり、熊野の壮大な自然についての説明が中心になる。
 大和王権との絡みで言えば、神武天皇の東征軍がどこから上陸したかである。著者は上陸伝承地「楯ケ崎」の雄大な景観に接し、ここが上陸地点と考えるのは真実だと思ったと記す。それ以外に大和王権(政権)と熊野、この紀伊半島との直接の関わりは言及されていない。

<第6章 関東と大和政権編(房総半島)>
 鋸山、阿波神社(房総半島南端)・洞穴遺跡、館山市立博物館、大寺山洞穴、弁天山古墳(富津市)、稲荷山古墳、内裏塚古墳、山上塚古墳、割見塚古墳、浅間山古墳(印旛郡、岩屋古墳、龍角寺、香取神宮などが巡られる。
 ヤマトタケルも景行天皇も三浦半島から房総半島に船で渡ったという。調べてみると『日本書紀』(宇治谷孟訳、講談社学術文庫)によれば、ヤマトタケルが熊襲征伐に出動するのは、景行天皇の27年冬10月13日が最初と記されている。
 著者たちも海の経路を辿り房総半島に足を踏み入れた。
 大和朝廷にとり、東国征服のために上総・下総を掌握し前線基地を確保するうえで房総半島はきわめて重要だった。黒潮に乗り近畿地方や西日本から渡ってきた人々がまず房総半島南端に住みついた。その最初が阿波国からやってきた忌部氏で、忌部氏が安房神社を創建したという。安房神社は安房国一の宮となる。
 房総半島は日本でも有数の巨大古墳の密集地であり、大阪の百舌鳥古墳群と近似する古墳の景観を呈しているという。つまり、房総半島は大和政権の勢力が及んだことを古墳の形で実証していると言える。房総半島が古墳の密集地というのも本書で初めて知った。

 古代史は謎の部分が多い。それ故に惹かれるところが大きい。古代の勢力分布と大和政権による国家形成の時代はそれ故に興味が尽きないと言える。大和王権が大和政権・大和朝廷にステップアップしていく時期を考える材料として、研究者たちの諸説と著者の所見が併記されている。多面的に眺められることになり学びの多い書である。またカラー版で写真や図などが結構掲載されていて、結構親しめる。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
桜井市纏向向学研究センター  ホームページ
  纏向遺跡ってどんな遺跡?
卑弥呼はここにいたか?・纒向遺跡を歩く  :「歩く・なら」(奈良県)
楯築遺跡  :「倉敷市」
大和王権  :ウィキペディア
大和政権  :「コトバンク」
大和朝廷  :「コトバンク」
古代丹波歴史研究所  オフィシャルサイト
古代出雲王国と大社の謎に迫る! :「しまね観光ナビ」
丹後一宮元伊勢 籠神社 ホームページ
天皇系図 :「宮内庁」
天皇家 系図(古代)-天皇はいつから天皇なのか?- :「にっぽん ってどんな国?」
美保神社  ホームページ
  特殊神事
安房神社  ホームページ
阿波国  :ウィキペディア
上総国  :ウィキペディア
下総国  :ウィキペディア
熊野古道 :「熊野本宮」(熊野本宮観光協会) 
熊野古道・高野参詣道を歩く モデルプラン  :「和歌山県公式観光サイト」
熊野三山   :「新宮市観光協会」

  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『血の日本史』   新潮文庫
『信長はなぜ葬られたのか』  幻冬舎新書
『平城京』  角川書店
『等伯』 日本経済新聞出版社



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