じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

「息子さーんは中3で~」

2020-07-19 23:47:37 | Weblog
★ youtubeを観ていたら、エイバ・マックスという女性シンガーの「キングス アンド クィーンズ」という曲の広告が始まった。

★ この曲のサビ、どこかで聴いたことがある。何だったかあれこれ探っていくと、そうだ、カップヌードルのCMだ。

★ ボン・ジョヴィの「禁じられた愛」の替え歌。「息子さーんは中3で、受験勉強してーた」というやつ。

★ モヤモヤが晴れて良かった。
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乃南アサ「岬にて」

2020-07-19 17:16:08 | Weblog
★ 乃南アサさんの「岬にて」(新著文庫)から表題作を読んだ。

★ 乃南アサさんの文章は読んでいて心地よい。ストーリー展開も読者の感情の起伏に十分応えてくれる。「岬にて」は「凍える牙」とはまた違った筆運びで楽しめた。共通しているのは女性の視線ということか。

★ 「岬にて」の語り手は杦子(すぎこ)。2人の子どもたちは家から巣立ち、夫は仕事とゴルフ三昧。杦子もキャリアウーマンとしてバリバリ働き、最近、家が広く感じられるという。

★ ある夜、娘とワインを読みながら、夫と出会う前の恋愛経験を尋ねられる。杦子にもそれなりの遍歴はあった。ただ、結婚して子育てをして、そんな過去のことはすっかり忘れていた。

★ 最近、失恋したという娘からの問いが、彼女の心を揺らし始める。

★ 翌日、彼女は宇和島へ出張する。宇和島と聞いて思い出がよみがえる。かつての彼氏の故郷だ。一通り仕事を終え、彼女は思い出を求めて宇和島の三浦半島へ向かう。

★ ここから読者は彼女と共にドライブをすることになる。グーグルマップは実にありがたい。遊子(ゆす)から菰渕(こもぶち)、そして戸島を目の当たりにする船着き場へ。

★ ここまで来れば、かつての彼氏との再開かと気持ちが高ぶるのだが、後は読んでのお楽しみ。
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池波正太郎「本所・桜屋敷」

2020-07-18 22:10:04 | Weblog
★ 昼食はどうしてもスーパーやコンビニの弁当が多くなる。同じようなものばかりで飽きてくるが、弁当を食べながら観る昔のドラマが楽しい。

★ 今日は「鬼平犯科帳」第1シーズン、第1話を観た。30年以上前の作品だが、十分見ごたえがあった。

★ 久々の時代劇、ここぞとばかりに池波正太郎さんの「鬼平犯科帳 1」(文春文庫)から「本所・桜屋敷」を読んだ。

★ この作品では鬼平こと火付盗賊改めの頭、長谷川平蔵の生い立ちが語られている。不遇な少年期、道を外れて無頼どもとつるんでいた時期もあった。そんな時代も道場通いだけはやめなかったという。いろいろあって、火付盗賊改めの頭となったある日、かつて道場で、ともに腕を磨いていた旧知と会う。話は自然と、彼らが若い頃にあこがれていた道場の娘の話題に。

★ やがて、平蔵たちが追う凶悪犯とその娘が結びついていく。

★ 友人はかつての娘を忘れられない様子。平蔵は諭すのだが、愚直な友人には通じない。

★ 事件から1年がたった。お裁きが終わっても踏ん切りがつかない友人を見かけたときの平蔵の心配りが印象的だった。

★ テレビシリーズ、第2話が「本所櫻屋敷」だったので、こちらも観た。
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伊坂幸太郎「逆ソクラテス」

2020-07-17 22:45:09 | Weblog
★ 芥川賞、直木賞の発表があった。早速受賞作を(特に遠野遥さんの「破局」を)読んでみたいと本屋へ行ったが、田舎の書店では早々に売り切れの様子。手ぶらで店を出るのもどうかと思ったので、伊坂幸太郎さんの「逆ソクラテス」(集英社)を買った。

★ 「逆ソクラテス」から表題作を読んだ。小学6年生の子どもたちが、独断的な担任教師(特に生徒を差別する)を悔い改めさせようと、あれこれ策略を巡らす話。

★ 教師期待効果、教育心理学では「ピグマリオン効果」とも言う。教師が生徒を肯定的に評価すれば能力が伸びるという効果。逆も然り。教師にあるまじきことだが、往々にして見受けられる。

★ いわゆる優等生がたまたま低い点数をとれば、調子が悪かったのだと好意的に解釈するが、いつも悪い点数をとっている子が高得点をとっても「まぐれ」と処理されたり、場合によってはカンニングを疑われたりする。

★ 大人の先入観を子どもたちが壊そうとする。作品に出てくる「僕はそうは思わない」というのは魔法の言葉だ(ファッショ化が進むこの時代だからこそ、必要な言葉かもしれない)。しかし、実際この言葉を発するのは勇気がいる。相手が大人、とりわけ教師という人に対しては。

★ 「ゴールデンスランバー」とは雰囲気が違う。「あとがき」にも書いてあるが、子どもを主人公とする難しさを感じた。
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重松清「卒業ホームラン」

2020-07-17 15:47:05 | Weblog
★ 重松清さんの作品は教科書や問題集によく採用されている。そうした作品を集めた「カレーライス」(新潮文庫)から「卒業ホームラン」を読んだ。

★ 中学2年生の教科書(東京書籍「新しい国語 2」)に採用されている。

★ 文庫本で読むと教科書とはまた違った感動がある。同じ作品なのに不思議だ。

★ かつて甲子園にも出た男。今は父親になり、息子が小学生になったのを機に、地元の少年野球チームの監督を引き受けた。それから6年。強豪チームの仲間入りをし、息子も練習に励んでいる。しかし、地道な努力にもかかわらず、息子はスタメンに選ばれることはない。男は父親と監督という立場に葛藤をしながらも、最後の試合に臨む。

★ 少年スポーツ、わが子大事の親から不当な要求を突き付けられることがあると聞く。男にもいろいろと圧力が。父親としての立場で考えればわからなくもないが、監督としては勝負に徹するべきだ。

★ 最終戦。男は息子をベンチ入りからも外した。そして試合。結局大敗する。息子をベンチ入りさせたからといって、結果が変わったとは思えない。しかし、打席に立つどころか、ベンチにも入れなかった息子は、いつもながらの明るさで友の頑張りをねぎらっていた。

★ ここからが感動的だ。男は「がんばれば、いいことがある。努力は必ず報われる」ということ(現実には必ずしもそうではないけれど)を息子に信じさせてやりたい。それをどう伝えれば良いのか。

★ 迷っている男に息子が言い放つ。中学に入っても「野球部に、入るよ」。「レギュラーは無理だと思うぞ」という父。それに息子は「いいよ。だって、ぼく、野球好きだもん」

★ ここに来て、涙腺が緩んだ。これ以上の答えがあるだろうか。
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「エピセンター」

2020-07-17 09:50:07 | Weblog
★ 新型コロナ感染症はさまざまな新語やキャッチフレーズを生んでいる。昨日の国会中継を聞いて「エピセンター」という言葉を初めて知った。

★ 参考人として呼ばれた東京大学の名誉教授が熱弁を振るわれていた。専門家ならではの危機感の表れだろう。素人目に見てもここ数日の感染者数の増大には危機感をもたざるを得ない。

★ 名誉教授の言によれば、今感染爆発への道を辿っているのは、遺伝子的に「東京型」「埼玉型」だという。

★ 確かに20代、30代で軽症・無症状の感染者が多い。検査数の増加も影響しているのであろうが、「宣言」解除後、人々の動きが急速に活発化しているのも事実だ。今のデータがおよそ2週間前の結果だとすると、名誉教授の言葉通り、来月には「目を覆いたくような」数字が明らかになるであろう。(首都圏だけではなく関西圏や他の大都市圏も危ない)

★ 政権内では「Go To」キャンペーンで、権力闘争が活発化している。菅官房長官、小池東京都知事、二階幹事長、麻生財務大臣、この辺りがどう動くか。朝日新聞の短期連載「コロナの時代」を読んでいると、補佐官や秘書官など官邸官僚の動きも気になる。

★ 「密室政治」などというのは懐かしい響きだ。世論に振り回され、世論を振り回し、政権はダッチロール状態か。

★ 「神輿は軽くてパーがいい」なんて誰かが言ったというが、担ぎ手がすったもんだしていたのでは、軽い神輿も進まない。

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吉本隆明「共同幻想論」序

2020-07-15 19:11:55 | Weblog
★ NHK「100分de名著」、今月の作品は吉本隆明さんの「共同幻想論」だ。ということで、40年間、本棚の飾りと化していた箱入りの「共同幻想論」(河出書房新社)を取りだして読み始めた。

★ 今回、「100分de名著」で取り上げられなかったら、多分一生読まなかっただろう。

★ 出だしからして文章が難解だ。最初の方は「言語にとって美とは何か」が論じられているのであるが、それならもっとわかりやすい文章を書いて欲しいなぁと愚痴りながら読み始めた。

★ 上部構造やロシヤ(ア)的マルクス主義、社会主義的リアリズム、スターリニズムと「代々木系」を意識するかのような時代性を感じる。

★ やがてテーマは「幻想領域」に。自己幻想、対幻想そして共同幻想という視点が吉本論の特徴だ。それぞれの幻想の内部構造と相互関係、このあたりに研究テーマがありそうだ。

★ 「人間にとって共同の幻想とは何か、それはどんな形態と構造のもとに発生し存在をつづけてゆくか」(29頁)

★ 民俗学や古代史学(番組では柳田国男の「遠野物語」、「古事記」があげられていた)を活用しながら、国家論の土台から建て直すという。

★ 「共同幻想のひとつの態様としての国家」、この視点でこれからの論議が進みそうだ。番組の進行と共に読み進めたい。
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森見登美彦「宵山万華鏡」

2020-07-15 15:23:32 | Weblog
★ 7月15日、京都は祇園祭の宵々山。例年なら17日の山鉾巡行に向かって、四条通界隈はヒートアップ。コンチキチンの音色を聴きながら、鱧の湯引きに梅肉をからめ、冷酒をキュッとやるのがよい季節。蒸し暑い京の街のひと時の暑気払い。

★ しかし、今年はコロナで三大祭りはこぞって自粛。疫病を封じの祇園祭りも勝てなかったようだ。

★ せめて雰囲気だけはと、森見登美彦さんの「宵山万華鏡」(集英社文庫)から表題作を読んだ。

★ 小学3年生と4年生の姉妹。地下鉄の烏丸御池駅で降りてバレエ教室に通っている。「寄り道をしちゃダメよ」という先生の忠告を聞いてはいたが、祭りの雰囲気には勝てず、姉は妹の手を引いて四条通へ。

★ そこから始まる森見ワールド。京の町はいにしえから百鬼が夜行し、魑魅魍魎が跋扈する。風水が結界を結び、普段は姿を潜めるモノノケも、祭りの夜は特別と見える。宵山はそんな夜だ。

★ 文庫版の表紙絵が素敵だ。
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「二つのアザミ」

2020-07-14 19:45:15 | Weblog
★ 中学校の期末テストが終わった。いつもながら精魂が尽きる。生徒たちのテスト結果だけが楽しみだ。

★ 中学3年生の国語、テスト範囲に堀江敏幸さんの「二つのアザミ」という短い文章が入っていた。堀江さんの少年時代の「アザミ(薊)」体験を記したものだ。その作品の中で宮沢賢治の「種山ケ原」と梶井基次郎の「闇の絵巻」が紹介されていたので読んでみた。

★ 「種山ケ原」は牛を連れて兄やじっさんのいるところに弁当を届ける少年の話。牛が逃げ出してその後を追っているうちに、不思議な空間に迷い込む。その中で、くっきりとした薊の花が登場する。最後は事無くしてエンディングなのだが、幻想的な心象が印象的だ。

★ 「闇の絵巻」は、作者が山間の療養地で暮らしていた体験から「闇」の深さを描いている。電気が普及し、明るさに慣れてしまった私たちには梶井の「闇」は恐ろしい。闇にも濃淡があり、一つの電灯がなお一層闇を深めるところが印象的だった。作品の前半で「裸足で薊を踏んづける!」という表現が出てくる。「絶望への情熱」というのが印象的だった。

★ 連日の寝不足。今夜はゆっくり眠れそうだ。

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谷川俊太郎「未来へ」

2020-07-10 11:48:13 | Weblog
★ 中学の期末テスト対策、2年生の国語、教科書巻頭の「未来へ」という詩を読んだ。谷川俊太郎さんの作品だ。

★ 道ばたのスミレ、道、そして太陽から、悠久の時間の営みに想いを馳せ、「人は限りないものを知ることはできない だが人はそれを生きることができる」という。

★ 「誰もきみに未来を贈ることはできない なぜならきみが未来だから」という一節にはグッとくる。

★ 生きることのすばらしさ、創造する喜びを感じる。

★ 青春を生きる人々のパワーには及ばないが、還暦を超えてもまだ未来を生きることができる。勇気が湧いてくる。
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