じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

バチの必要性

2008-06-26 21:19:05 | Weblog
★ 京都・北野天満宮の「撫で牛」像が何者かに破壊されたそうだ。

★ 外国の遺跡に落書きをしたり、地域の人々が育てたチューリップを破壊したり、世の中には心ない人々がいるものだ。

★ 遺跡に自分の名前を書くなどは愚の骨頂だが、人が見ていないからいたづらをしよう、ウサ晴らしをしようといった心根は実に見苦しい。

★ 恥の文化、罪の文化と言いようはいろいろだが、かつての人々は自分の存在を超えた何モノかを畏怖しながら生きているところがあった。それがいつからか傲慢になってしまったのか、あるいは鈍感になってしまったのか、人は恐れを感じなくなってしまったようだ。

★ 昨今、家の近所では空き缶やお菓子の袋を平気で道に捨てる中学生や小学生を見かけるようになった。彼らは「良心」というものを痛めることもなく、実に平然とその行為をやってのける。そのゴミをかたづける人のことなど想像もできないようだ。

★ 偽装が蔓延し、見つからなければやった者勝ちといった風潮があるようだ。監視カメラが神仏の役目をするというのも、なんともはやである。

★ 自業自得と言うが、人間には「バチがあたる」ことが必要なのかもしれない。 
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少年の問題

2008-06-26 15:26:01 | 教育
★ 地域の中学2年生が荒れている。

★ 今日も買い物に出かける途中、茶髪、とさか頭、まるで二昔前のツッパリを絵で書いたようなヤンキーもどきとその取り巻き数人が自転車で傍若無人に疾走している場面に出会った。

★ 親の顔が見てみたいと思いながら、中学校も指導が大変だなと同情する。

★ カッコだけつけて、刹那的に生きている。彼らは彼らなりの自己中心的な悩みはあるのだろうが、それが社会に受け入れられるはずもなく、行く末が見えてしまうだけに、同情はしないが、かわいそうではある。

★ 曲がりなりにも社会人になれればまだましか。同じような連中が離合集散しながら、ある者は傷を負い、ある者は矯正施設行きだね。

★ 最近、子どもたちを見ていて思うのは問題を起こす男子の場合、父親の役割が重要だ。子どもをうまく叱れない父親が多いように思う。口より手を出したばかりに、親子間の断絶になってしまったり、子どもの顔色をうかがってばかりの親。

★ コワイ系の親も問題だが、ヨワイ系の親は更に問題だとも思える。

★ 地域社会の教育力とか「よその子でも叱れ」と言われるが、それはそうたやすいことではない。理由はどうあれ、正当防衛以外で大人が手を出せば、裁かれるのは大人だ。こんなに割りの合わないことはない。マスコミも一斉攻撃するしねぇ。

★ 少年の問題行動の解決は、実に難しい問題だ。夏休みを間近にして世に放たれた野獣とならないことを祈るばかりだ。

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