じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

教員免許の更新制

2006-05-26 13:06:16 | 教育
★ 教員免許の更新制が話題になっている。といっても話としてはずっと以前から言われていたことで、いよいよ実施に向けて文科省も本腰を入れてきたなぁって感じだ。

★ 「教員」という職業。大学で教員免許を取得し、各都道府県や政令市で実施される採用試験に合格するれば名簿に登載され、そこから各学校に割り振りされることとなる。最近までは教員の採用が控えられていたので、大学を出てすぐに採用というよりは、講師経験をしてから採用されるというケースも多かった。いずれにせよ、22~23歳頃に採用されると特に希望退職しない限り、定年退職まで「教員」という身分を保証されることとなる。

★ しかし、社会の状況は変化するし、人間の能力や適性も移り変わるものである。能力は必ずしもスキルアップするものではないし、年とともに体力が衰えるのは致し方のないことである。それを経験でカバーできる人もあれば、不適応を起こす人もある。これはどのような職業においてもありうることだ。ただ一般の企業では他の部門への配置転換や転職などによって解決を図るのだが、教員の場合は配置転換もままならず、また高齢になってからの転職と言っても難しい。教員として不適応を起こした人を民間企業は積極的に採用しようとは思わないだろう。

★ 父母からの要求も高くなってきている。その一部は父母のエゴによるものだが、確かに指導力に疑問符のつく教員も多い。採用試験が難関なため基礎能力は昔の教員に比べはるかに優れていると思う。しかしそれでも不適応を起こしてしまうのは、「学校」そのものが変質しているといったこともあろうが、どちらかといえば「やんちゃ」な人よりも「優秀(真面目で試験に強い)」な人が採用されてきたことによるのかも知れない。「優秀」な教員が自己の体験では想像もつかないような事態に遭遇したとき、学級もそして自分自身も制御不能になってしまうのだ。

★ といって「やんちゃ」な人ばかりを採用するわけにはいかないが、要は一定量の教員を常に入れ替え、多様な個性を持った人を教員として採用すると共に、教員という職業をもっと多様化し、人事を柔軟にする必要があろう。例えば、スクールリーダーをめざす人がいてもいいし、授業のエキスパートをめざす人がいてもいいし、カウンセラーをめざす人がいてもいいわけである。

★ こう考えてくると、教員免許の更新制は当然のごとく思えてくるが、最も心配なことは教員の思想統制である。折りしも教育基本法の改正で「愛国心」が論じられているが、それは具体的には、国旗や国歌の尊重にも直結するであろう。国の方針に反する教員は免許の更新をしない。これは起こりうる事態である。

★ 公立学校の教員は「公務員」であるから憲法をはじめ法律を遵守するのは当然ことであろう。しかし一方で憲法は思想、信条などの個人の基本的人権を最大に尊重している。この対立をどう解決するのかが問われることになろう。
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