じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

ゼロ・トレランス

2006-05-23 11:51:17 | 教育
★ 児童生徒の問題行動に対して細かい罰則規定を定めそれに従って厳密に処分を行う方式のことを「ゼロ・トレランス」(不寛容方式)と呼ぶそうだ。荒廃するアメリカ教育界に導入され、画期的な成果をあげたらしいが、一方で行き過ぎに対する反省も聞かれる。

★ 違法行為などは論外で、それに対しては厳格な対応が求められる。しかし学校側が用意した「校則」で生徒を縛り、その権力を武器に教師の権威を高めようとする姿勢には、表面的な荒廃の改善とは別の表面下での問題を生むのではないかと危惧される。教師と生徒の関係も支配者と被支配者の構図が明確となり、教師と生徒との信頼関係などといった「甘い」ことは言っておれなくなる。

★ そういうと現状の学校の危機的状況をわかっていないとお叱りを受けそうだが、確かに学校が荒廃し、危機的状況が切迫している学校においてこの方式は緊急避難的に有効だろうが(極端な話、問題児を学校から追放してしまえばよいのだから)、日常的に導入すると生徒を益々萎縮させはしないだろうか。常に教師の顔色を伺い、教師(学校の教育方針)に従順であることだけが「良い生徒」なのだろうか。

★ 「寛容」「不寛容」という立場は、教育に対する根本的な理念の違いがあるように思う。子どもは全く無知で不道徳な存在であり、「おとな」が教え導かなければならないと考えるか、子どもは無知で不道徳な存在であっても周りからの援助や自らの体験を通して「良きおとな」になっていけると考えるのか。性悪説や性善説といった古くからの考えに立脚しているようにも思える。

★ アメリカ化していく日本社会。子どもたちをめぐっても「カネ」が行動基準の多くを占め、規範や権威と言ったものに対して従うのでもなく反発するのでもなく、無視する傾向にある。コミュニケーション能力が不足し、幼児化が進み、ストレスをうまく昇華できずに「いじめ」や「キレる」といった突発的な暴力を生み出している。

★ そうした背景に社会の歪や親の教育態度あるいは生き様があるのは言うまでもないが、そういって目の前の子どもたちを放置しておくわけにはいかない。理想的には子どもたちが自らの問題状況を認識しそれを自ら改善するよう行動し、教師はそれをサポートするといったことになる。しかし現実はそんなに甘くはない。だから学校の危機的状況をまず診断し、それに応じて対処していくのが妥当であろう。緊急避難的には他の生徒に重大な被害を与えるような生徒は学校から排除し、その子に合わせた教育を施す必要があろう。事件、事故を未然に防ぐためにこうした対応をとることは学校としても勇気にいる決断だろうが、プロの教育者なら学校の状況や生徒の状況を見れば危険度の高さがおおよそ理解できよう。

★ 一般的に、温情主義を排し、確固とした指導方針で生徒と向き合うと言った姿勢は、それが生徒の反発を呼ぼうと大切なことである。反発もまたコミュニケーションであるのだから。
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