「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

遠野旧事記から

2009-12-24 12:53:48 | 歴史関連コラム?

 「遠野旧事記」・・・

 江戸時代の遠野の事を遠野南部家臣である宇夫方広隆によって著された本ということになります。

 書かれた年代は宝暦12年(1762)とも13年ともいわれますが、八戸から遠野南部氏が遠野へ移って来たのが寛永4年(1627)、それから約130年余後のこととなります。

 うれしい事に、素人ではなかなか読み下すことも難しく、さらにそうは簡単に目に触れるような書物ではなかった遠野旧事記を遠野在の小原六郎先生が「やさしい遠野旧事記」を口語訳として2005年に発刊されまして、江戸時代当時の遠野の様子が手に取るような感覚で我々も知ることができております。

 

 その中で寛永4年、八戸から八戸氏(遠野南部家)が遠野へ入部した際に遠野に居た阿曽沼氏旧臣含みの武家達の屋敷を八戸氏家臣等がとりあえず宛がわれた内容が記されておりますが、疑問点や所伝で語られる武家の名とかがわからないといった場面も感じられ、その事について若干記したいと思います。

 

 

遠野旧事記には・・・・

 場所(屋敷)・石高・家士名・備考・・・の順で記されてますが、当方で順序や内容を若干簡略させております。

 原文では例えば「南館 800石 大原新右衛門・・・」とありますが、これは元南館に居た大原新右衛門、800石取りの屋敷であった・・・と解されます。

 続いて、中館与四郎屋敷300石、細越与三郎とありますが、こちらも中館与四郎の屋敷は元300石取りの細越与三郎の屋敷・・・という意味ですので、あえて上記の表を並べ変えしております。

 なお、石高等は太守である盛岡南部氏の南部利直から賜った内容だと理解している。

 

 さて、まずは南館に居た浜田彦兵衛500石とは何者であったのか?

 遠野南部家臣の浜田氏は確認できない、それでは盛岡南部家に仕えて寛永4年以降に南部藩士となって遠野を去った武家なのか?こちらも不明である。

 浜田とくれば気仙郡地方に居た千葉氏系の一族か・・・と一番に思い浮かびますが、遠野地方では松崎町光興寺地区に浜田姓のお宅が多くみられる。

 気仙郡との関わりがあったかどうかは調べてませんのでなんともいえませんが、ひとつ妄想含みで気になる点が・・・・。

 阿曽沼旧臣で後に遠野南部氏、附馬牛八戸氏に仕えた末崎氏との関連性が高いのでは・・・・・。

 末崎氏は阿曽沼広長時代、阿曽沼氏の重臣であったと伝えられ、八戸直義(直栄)によって新規に召しかかえられた阿曽沼旧臣であったと伝えられている。

 気仙郡内、現大船渡市に末崎町という地名がありますが、この辺りに居た一族で故あって遠野に来住、以前は千葉氏系で浜田氏を名乗っていたのではないのか?・・・これは妄想ですよ・・・汗・・・根拠とする資料もありませんので・・・・。

 それと「奥南落穂集」にみえる阿曽沼旧臣名にない武家の存在、こちらも気になるところ・・・・沼荒次郎とは、金新助とは?中沢外記はどうなったのか?宮沢十三郎とは菊池成景(青笹臼館)の末裔なのか?他にも五日市又五郎は五日市に居たといわれる立花 縫の系譜なのか?

 いずれ盛岡南部家に仕え遠野を離れた武家も多数存在し、遠野南部家に仕えた武家も確認できますが、まだまだわからない武家もあって、以前から疑問に感じてましたのであえて記述してみました。

 

 まずは南部藩参考諸家系図で調べてみなくては・・・数年前、5巻揃いで確か3万5千円でネット古書で売っていたような?その後、倍の7万円で古書があったことも確認してましたが、どうしても手が出せず・・・今は単品でバラバラに売られており、すべてそろえるには時間と費用がものすごくかかるといった雰囲気、あの時、少し無理していれば・・・と少し後悔している。

 とにかく市立図書館に全巻揃ってあるので普段は支障がないのですが、長期休館でかなり難儀しているところです。

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40 コメント

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参考諸家系図 (稲用)
2009-12-24 18:45:12
私はたしか6年くらい前、まだ裕福だった頃、5巻セット3万9千円で買いました。
それ以来かなり愛読していますが、個人的には「南部藩参考ショック家系図」と呼んでいます。
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あの時 (とらねこ)
2009-12-24 19:05:52
稲用さん
3万9千円とはお買い得でしたね。
小生、3万5千円の時に手にいれておけばと後悔しきりです。
当時は図書館に全巻揃いであったものですから別にいいや、という思いが強いのも正直なところですが、家に居ながら調べることができる、これに勝るものはありません。
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挨拶・・・。 (螺髪)
2010-01-22 18:17:55
お館さま、大夫のご無沙汰でした。
図書館もオープンしましたでしょうか。
挨拶も遅くなりましたが、今年も宜しくお願いします。

たまに覗いてはおりましたが、あまり得意な分野でもなく、コメント出来ずに失礼するだけでした。
そんな中で、このコーナーをクリックして興味のある分野が登場して、慌ててコメント申し上げます。

『それと「奥南落穂集」にみえる阿曽沼旧臣名にない武家の存在、こちらも気になるところ・・・・沼荒次郎とは、金新助とは?中沢外記はどうなったのか?』
この部分ですが、この中の「金新助」という人物です。
私が以前に調べた人物と同一人であれば、この人は「金」姓でお馴染みのように気仙郡に根を張る金一族の末裔で、葛西氏に仕えていましたが、葛西氏滅亡後、その金氏の庶流かも知れませんが横田邑に出て来て、直栄に仕えることになり、「金新助」の「金」を改め「○○新助」を称した人物かと思われます。



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追伸 (螺髪)
2010-01-22 18:23:23
何度も申し訳御座いません。

私のブログの書庫「古文書」に載せた、『柳剛流目録』。
この「柳剛流」という兵法について…遠野南部家に伝わる武芸で聞いたことはないでしょうか?
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今年もよろしく (とらねこ)
2010-01-23 20:08:43
螺髪さん
図書館はオープンしております。
利用できないと思うと不便に感じ、再開したらしたで、それほど出向かない・・・そんなもんですが、今年もいつもどおり利用したいと思います。
金氏に関してありがとうございます。
新助さんを探して確認したいと思ってます・・・笑

遠野の武芸に関しては折をみて調べたいと思います。

重ねて本年も色々とご教授いただければ思います。
よろしくお願いします。
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こんばんは^^。 (ビナヤカ)
2010-06-19 19:00:36

お館さま、ご無沙汰しております♪

まだ、調べもしていないことですが、せっこぎして…(笑)

ご存じの事が御座いましたら、ご教授願います♪

http://blogs.yahoo.co.jp/syory159sp/25733970.html
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むむむ (とらねこ)
2010-06-19 19:33:52
ビナヤカさん
少しご無沙汰でした。
リンクされている記事の件、了解ですがちょっと見当もつきません・・・汗
機会がありましたら調べてみます程度でご勘弁願います・・・謝。
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砲術古文書? (ドンキホーテ)
2010-06-20 22:22:31
ここを覗いていたらビナヤカさんの謎めいたコメントをみて興味を持ち少しコメント。

 彼の古文書ですけど。
 一火流砲術と読むのが正しそうで、この砲術は武田家臣で作られた甲府に行く街道を守るために作られた八王子千人同心が用いた砲術法では無いでしょうか。
 ですから火縄銃のもの。天保七年では西洋銃のミゲール銃などの知識は南部では無理ですしね。
 題目「一火流鉄砲間積」は多分

「一火流の鉄砲距離間照準のまとめ」では

5間(約10Mの)星(的でしょう、大きさは1.5センチの○で3センチの四角に入っているのは○の下の半分(半月)を狙う。これは先にお教えした(口でお伝えした)とうり。
7間はお分かりのように、これもさきにお教えした。
10間は的○より5分(1,5センチ)ほど下を狙う。
(距離が短い時は、弾が、少しポップアップするので的より少し下に照準する。)

**こんな感じで的の距離が遠くなるにつれ照準の位置を上に持っていく。(どうも25間位で○を狙い、その後は弾の威力が無くなっていくので、丸の上を狙っていくようですね。多分)
 ですから江川とは何ら関係なさそう・

これらはすべて憶測。

とらねこさん。ビナヤカさんにコメントするのも良いかなと思いましたが、突然、彼にコメントしたらまずいかなと。
 ブログは良く見てますよ。乾杯は懐かしくてニ回も聞いてしまいました。笑い。




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了解 (とらねこ)
2010-06-21 06:51:24
ドンキホーテさん
仔細は了解です。
ビナヤカさんには当方から、コメントしときましたので、こちらで返信がくるのではと思います。

幕末辺りとか、その辺の時代も実は興味があって南部藩関連も少しは調べたつもりでしたが、今回のは手をつける気がおきませんてした・・・というよりほとんどわかりません、何の資料から紐解くべきか?ちょっと忙しいのもあるし面倒なのは最近どうも・・・そんな感じでしたからありがたいです・・・謝
今後少しでも以前のように歴史関係も本気になれたら・・・そんな気がして参りました。
この度は、すばらしい解説痛み入ります。
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返信 (ビナヤカ)
2010-06-26 21:23:26
おばんでございます^^♪

しばらく、PCを離れていました、遅くなりました…・
先ずは、お館さま、ありがとうございました、行き違いになりましたが、ドンキホーテさんの仰有ることで正しいかったです♪

実は、今日、お館さまと攻城時に山でにお会いしたという方と偶然お会いしました…(笑)
(また、明日も会うことになりますが…(笑))
そのうち、遠野に行かなければと思っています♪

(先週、仏事で行ったばかりです、お館さまの後輩が受け付けしていました^^、おっと不謹慎な^^はなかってですね…)
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