まずは、タイトルの内容に関しましては、その記述はほとんど根拠が薄く、参考図書、資料を見ての内容ではなく、ほとんど小生の推測によるものであることを予めお含みおき願います。
さて、天気予報ではお昼頃から雨との予報、今にも泣き出しそうな空模様ながら、どうしても探訪したい館跡があり、午前中勝負ということで釜石市橋野を目指して自宅を出発しました。
今回は最短距離の笛吹峠越え・・・・
やはり立丸峠同様、真冬の峠越えは危険、積雪前にということですが・・・・
そういえば小生がかなり若い頃、職場の先輩が雪道の笛吹峠から谷底に車ごと転落したことをいつも通る度に思い出す・・・・。
常人なら絶対助からない程の高さ、しかしその先輩は身体中骨折しながらも急斜面を這い上がって来て、軌跡の生還を果たしたタフガイであったこと、そして今もなお、谷底に車がそのまま残っていること・・・必ず思いだしてしまう・・・汗
ということで、今回の目的地は橋野の「橋野館跡」・・・・
その昔、大槌氏の家臣、橋野氏が居たという館跡ですが・・・・まずは麓の林宗寺の駐車場で長靴を履いてヘルメット装着、お寺さんの画像を撮って、いよいよ裏山へ入ろうとすると、大粒の雨が降ってきた・・・・汗
林宗寺・・・釜石市橋野町中村
これでは探訪にならない、即決断して館跡探訪は中止とする。
隣接山野に義経北行伝説の地、中村判官堂があって、二度程訪れたことがあった。
その際に隣のお寺さん側山野に館跡らしい地形を確認しており、その後、調べると橋野館跡と判明して、いつかは探訪と思っておりました。
雪が積らなければ今月中に・・・ダメなら来春ですかね。
鶏石山林宗寺(曹洞宗)
以前から知っておりましたが、遠野上郷の曹源寺の末寺である。
慶長2年(1597)曹源寺の旦室俊朔和尚による開基と伝えられる。
当初は現在の地より鵜住居側へ少し行った早栃というところに創建と伝えられる。
現在の地へは著名である牧庵鞭牛和尚により寛延7年(1794)に移されたとある。
ここで、ピンと来たのは、上郷曹源寺は大檀那を板沢館主の板沢氏であること、そういえば釜石には板沢姓の方々が案外多いという印象があって、阿曽沼氏が没落した後、板沢氏の一族や家臣達は釜石の橋野に来たのではないのか?或いは遠野南部家臣にも板沢氏が居たので明治になって釜石へ移ったのか?・・・なんて考えたりしまして、その後、大槌町の図書館に行って何故か釜石市関連の郷土史やら民俗の書籍を調べる・・・と著名な人物では「板沢武雄博士」についての記述を発見・・・国史学者、東京帝国大教授と凄い先生ですが、旧制遠野中学、今の遠野高校卒・・・でも生まれは釜石の中妻、観音寺ということで橋野とは関係ない雰囲気、電話帳でも板沢姓のお宅が橋野にあるかといえば皆無であったので、これはボツ・・・。
ならば板沢氏の本姓は菊池なので、菊池姓関連ということで、境内に僅かではあるが墓地もあって、少しだけ失礼して墓石調べ・・・大汗
なんと菊池姓のお墓もある・・・・そして・・・・。
旧制遠野中学(現遠野高校)の教諭をされた方の碑のようです。
橋野地区には菊池姓の方々が結構いそうな雰囲気・・・・。
そうしますと、上郷から曹源寺縁の林宗寺があるということで、橋野へ移り住んだ上郷関係の菊池一族が居たのか?・・・なんて妄想が湧いたり・・・・でも何やら菊池姓に関しては遠野と無関係ではない雰囲気も感じますので、いずれ機会があったら調べてみたいなあ・・・と思ったりして・・・・。
マストの湯(大槌町)
雨が降ったから湯っこを堪能したというわけではなく、館跡の探訪の後は湯っこで汗を流してサッパリ・・・という予定でもおりました。
少し時間が早まっただけですが、考えてみれば年に5回は来てますね・・・。
マストの湯は天然温泉ではありませんが、小奇麗で設備もまあまあで好きな施設でもあります。
沿岸方面に来た際は外せません・・・笑
そして帰りは釜石経由で・・・・
少し遅い昼食・・・・最近は馬鹿のひとつ覚えで大概同じお店・・・?
ビビンバとハーフ冷麺セット
盛岡冷麺とくれば盛岡や国道4号線沿いがメッカですが、釜石でもそれなりに美味い冷麺が食べれるということで、時折、食べております。
隣の蕎麦と回転寿司のお店も良く行きますが、最近はこちらの方が多いですね。
冷麺通としましては、最高というわけではないので、普通盛りの冷麺ではなくハーフにしてセットをいただいております。
でもまずまずといったところ・・・・本日も満足でした・・・・。
少年時代、遠野の在郷に生まれ育ち、花巻ならマルカンや花巻デパートに志戸平温泉、釜石なら丸光デパートと憧れの地でもありました。
釜石には叔母も住んでおりますし、遠戚もいましたので、来る度に街だなぁ~と思ったものでした。
社会人に成り立ての頃も友人達と用もないのにドライブがてら来ては共栄でボーリングしたり・・・・。
当時、釜石には珍しいマツダの車(コスモ)に乗ってましたので、結構注目されいい気分になったことや、ツッパリ達に追いかけられたりと苦い思い出も蘇ります。
今はひとり史跡めぐりやら湯っこ、年寄り染みた趣味でしか来ることはない、ましてや親父ひとり寂しく昼食をいただく・・・むなしいなあと思いながら、若かった頃を思い出しながら帰って来ました・・・・汗