「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

蘇った30年・青笹小

2007-12-15 21:17:09 | 遠野
 クリスマスケーキ作りご用達の品を求めに盛岡方面へ出かけて参りましたが、この1年に購入した宝くじ40枚程を換金・・・といいますか、末等300円4枚、しめて1千2百円をいただくはずが4千2百円をゲット。
 3千円が当っていたらしい・・・嬉・・・。


 夕方、帰宅すると嫁様宛にメール便が届けられる。
 
 何気なく封筒を見てみると「タイムカプセル」がどうのこうの・・・と書かれており、早速嫁さんにその封筒を渡すと、中を確認して大笑いやら意味深になったり、少し気味が悪い・・・・。


 ブログネタにお願いして障りだけ見せていただきましたが・・・・・。



 小学校を卒業して○○年、卒業を記念して同級生達と20歳になったら取り出そうということで、タイムカプセルを校内に埋めたとか。
 20歳になっても、30歳になっても取り出す雰囲気はなく、いつしか忘れられた存在だったとのこと・・・。

 この夏、小学校時代の同級会が開催され、懐かしい面々と楽しく過したということでありましたが、その際にタイムカプセルの話が持ち上がり、この機会に探してみようということで、記憶を頼りに探したということでしたが、見つけられず・・・後は有志に任せていたということでしたが、この程、探し出したということで、タイムカプセルの中に当時一人ひとりが書いた作文を入れたということで、これを集めた冊子を作成して、皆に配布となったようでもあります。


 旧校舎校門脇のレリーフ


 青笹小学校前を車で通る方々や町内在住の方々は知っていると思いますが、↑画像のレリーフの存在・・・・昭和52年度卒業生一人ひとりが作成した自画像レリーフが埋め込まれている。


 どうやら、この中にタイムカプセルは収められていたようです。








 私は青笹とは縁はほとんどありませんし、先生方の名をみても知らない方々ばかり・・・でも、30年経過して取り出された当時の思い出、嫁さんもそしてその同級生の皆さんも一瞬30年前にタイムトリップといったところではないでしょうか?


 我身に置き換えれば、母校は廃校、校舎は既に取り壊され、小学生当時のことは記憶の中のみ、それも年々薄れていく現状、ちょっとだけうらやましいが本音です。


 ちなみに嫁様の当時の作文は読めなかったです・・・汗
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親父の忘年会考

2007-12-14 13:34:07 | その他
 13日、某団体の忘年会で花巻温泉へ出かけて来た。




 遠野は雪降りの日、花巻も当然のように雪降りながら、小生が花巻温泉に着く頃は雨混じり、それでも積雪は遠野の倍以上はありました。


 今回の宴での幹事長でもあり、早めに会場入り、若干の段取りと打ち合わせをもう一人の幹事と行い、まずは温泉にゆっくりと浸かりのんびり過す、まさに至福の時でもありました。



 さて・・・・大汗


 以下の画像は決して「盗撮」ではありません・・・・汗



 男だけの忘年会、年代も様々、ただ飲んで食べて語っているだけでは芸がないっ。
 おまけにアルコールが回りだすと日頃の鬱憤等も若干噴出したりと、雲行きが危うくなる過去の例もあって、ワンクッションといいますか・・・汗・・・やんわりと導いてくれるレディー達をお願いいたしました・・・笑



 若い世代も親父世代も嬉しい光景、とりとめのない話でも何故か楽しい・・・・汗



 小生が若い頃は、酌婦(失礼)といわれる和服姿の御姐さん方がお世話して下さいました。
 ただビールを注ぐ、水割りを作るだけではなく、踊りやちょっとした芸も出来る、当時は何も感じませんでしたが、今の私と同じ年代だった先輩方は、もの凄く良い顔をしていたことを思い出します・・・笑
 あの先輩があんなことをしている、普段からは想像も出来ない光景が・・・・笑


 今は時代が変わってコンパニオンさんが色を付けてくれますが、コスプレ対応も・・・・汗・・・

 時代は進化してますが、親父心はそれなりに対応できますね・・・笑


 2時間飲み放題プラン、あっという間に時間となり2次会へ・・・レディー達もこれで時間切れとなるのですが、さらに2時間延長・・・・汗


 少し弾けてダンスも飛び出るも、カラオケメインとなるのは今時仕方なし、自分の一回り上、一回り下の年代では、なんとか共有できる曲はあるも、2回りも違う世代では、わけのわからない曲ばかり、つまり付いて行けない、逆に親父達の唄も聞いたことはあると言いつつも乗りが悪い、一人また一人と2次会場から消えていく親父連中、これも時代の流れということなのか、少しだけ不完全燃焼となった方々も居たものと思いますがこれも仕方なしですね・・・涙

 
 やはり親父はこれだっ・・・・大汗





 何度も繰り返しますが、盗撮ではありません・・・・汗

 



 翌朝の花巻温泉


 冷え込みがなく、気温も高めの朝でした。

 
 大きな忘年会は先日のぶれんどと今回で一応自分的には終了。
 後は恒例の遠野郷城館探訪冬の陣で八戸からの藤九郎さんを迎えての宴と近所での宴の予定です。
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ぶれんどりーな宴

2007-12-13 10:55:38 | その他
 11日、遠野ぶれんど大忘年会が盛大に開催され遠野在のブロガー9名のご参加をいただきました。
 参加された皆様、ご苦労様でした。


 まずは「居酒屋やまねこ亭」の冬メニューに追加を・・・笑

牛鍋


ホルモン鍋


ひっつみ汁



 遠野在のブロガー9名の精鋭



 会長殿と顧問殿



 きちんとネクタイ、スーツ姿でご出席された会長殿・・・ご挨拶を考えてきたということでしたが、ご挨拶をいただく場面に至らず・・・笑・・・なんとか宴最後の締めにご挨拶を賜りました・・・笑



 仕事的にはミスの連発、なかなか厳しい2007年でもありましたが、ブログ関連では、充実し飛躍の年だったと振り返っております。

 初の企画である「遠野ブログ画像展」これが一番でもあり、これによって出会いもあったりと遠野ぶれんどとしては、すばらしい1年だったかもしれません。

 是非に来年も画像展含め継続とさらなる飛躍と行きたいものですね。



 宴たけなわの頃、幹事長の音頭で大抽選会・・・・自分が出した景品が誰の手に・・・・これも気になりますが、何が当るか・・・これも楽しみでもありました。

 当初から狙っていた景品が、どんぴしゃり・・・我手に・・・・笑



 座敷親父さん提供の「魔除けの瓢箪」・・・古の歴史を伝え、または曰くつき・・・そんな館跡を探訪調査する我身に心強いアイテムが・・・・ありがとうございました。



 いずれ、来年1月末か2月初めか?・・・遠野通いぶれんどの来遠にあわせて大新年会開催の方向でもあります。
 こちらも楽しみですね。




 おまけ


 あららら・・・・今回も・・・手と手が絡み合って・・・汗・・・男と女の物語・・・笑




 なんか今回は、やらせ風ですが・・・この後、ひとつの手をめぐって争奪戦が・・・・笑・・・・



 求む女性ブロガー・・・遠野ぶれんど宴会幹事長より
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壮観・根岸館

2007-12-11 14:21:13 | 歴史・民俗
 期待度特Aと勝手に自分では盛り上がっておりました附馬牛町の根岸館を探訪して参りました。


 朝早くから家の障子の張替え作業、頃合を見計らって早期に探訪したいと考えていた根岸館を探訪すべく愛車を走らせる。


根岸館のある山野


 火渡館跡との境目の草地から山野進入、少しきつめの尾根を登ると、例の資料に書かれた空掘跡に遭遇する。


東南端の空掘跡


 どうやら一重堀のようだ


 空掘の上部及び南側には斜面に張り付く階段状の帯郭がびっしりと張り付いている。
 頂部は比較的広い平場が北に向っているが、少し進むと空掘で仕切られている。

 東南側が2の郭、北側の平場が主郭といった形状で、ふたつの比較的大きな郭によって構成されている館のようだ。


 2の郭との境、堀切・・・主郭側から



 さらに資料には門跡とわかるふたつの土塁跡があると記述されているが、おそらくこれだろう・・・。

 門跡

 画像では少しわかりずらいが、確かにふたつのこんもりとした土塁跡であり、門跡なのかもしれない。


 主郭は南北約25メートル、東西約20メートル、東側に3段、北側は一重の堀切、さらに峰で続く山野には水路跡とされる溝がはっきりと残されている。

水路跡

 この水路は尾根を伝って隣接の火渡館に繋がっているとか・・・今回は確認せず。


 主郭の背部から流れる空掘は一重であるが北西側は・・・


 空掘のバイパス・・・笑・・・土塁で二つに分かれるも下部でひとつになって西側へ・・・・。


帯郭


 根岸集落がある南西側を正面と見るべきか?・・・大き目の帯郭が整然と8段ほど確認できる。

2の郭、南西側の帯郭




 しっかりとした大き目の帯郭が特徴といった雰囲気で、斜面に整然と配置されている。
 その残存度も極めて良好で、雑木林ということもあって陽が入って明るく歩きやすい。

 正味1時間半程度の探訪でしたが、いつものことながら、この時間内では図面も描けず、今回は大よその形状と雰囲気のみを感じたに過ぎないと思われます。

 北西側の空掘跡を辿って下山すると中腹に・・・・

 根岸稲荷神社


 麓の根岸集落に鳥居が二つ、この社まではほぼ真っ直ぐな登りとなっている。


 
 いずれ、高感度得Aの館跡、もう少し何度か通って調べてみたい館跡の一つでもあります。

 隣接の火渡館が築かれる前の火渡氏の居館とも説かれますが、確かに根岸館の方が古いといった印象でもあります。
 山頂のところどころに見られる穴は何を意味するのか、安倍時代の竪穴式住居ともとれますが、しかし、館の構えは戦国的といった雰囲気も十分でもあり、何よりも遠野においては館域が広く大きい部類の館でもあります。
 館主は、相当力ある一族だった可能性がありますが、例の如く、何一つ伝承されていないこと、隣の火渡館の事績やその存在は地域でも語られるも、火渡館と遜色がない構えの館にも関らず何も語られていない。

 遠野にはこうした館跡があまりにも多いということ、武族の栄枯盛衰に関して口を閉ざす何かがあったのだろうということになりますが、これもまた厄介な懸案ということで、まずは徐々にということになりますね。


 ということで、なかなかの規模、そして遺構の残存度もかなり良好、思っていた以上のすばらしい館跡でありました。




 おまけ・・・・山猫さん、事後承諾ということでお許しください。


 2007、遠野ぶれんど忘年会が開催・・・
 
 妄想親不孝通り



 
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きかねねごっこ

2007-12-10 21:06:12 | 
 まずまずの天気ながら本日は館跡探訪はできず、午後、緊急呼び出しで夕方まで職場で待機・・・・。
 
 
 きかね・・・・は遠野では意地が強いとか、興奮状態といった意味合いになろうか。

 うちのネネ、末娘相手に久しぶり遊んでもらって興奮気味、身体は成猫でツメも牙も立派、加減していると思うも、手は傷だらけになってしまう・・・痛








 猫も家族の中で誰が一番年少なのか知っているのでは?・・・末娘相手だとかなり興奮して反撃に転じる場面がしばしば・・・・。
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蝦夷塚森と伝火渡玄淨の墓

2007-12-08 19:24:44 | 歴史・民俗
 穏やかな一日ながら、またしても仕事上気になることや循環器検診で再検査の通知をいただいたりと、少し気分が沈みがちである。
 こんな日は、山野を廻ってまだ見ぬ館跡に夢中になれば少しは現実逃避になるのか?そんな思いで二つ程館跡探訪として出かけて参りました。

 今回は附馬牛町・・・・



○ 蝦夷塚森



 附馬牛町和野にあるとされる「蝦夷塚森」、例の資料には塚を中心に一大集落が形成されていたのでは・・・との考察と共に蝦夷塚と称される塚があり、遠野市内に存在する塚としては最大とある。(長さ88メートル、高さ16.5メートル)

 上の画像の杉林の中に塚はありますが、山野に挟まれた台地があり、林内は平坦で、一部低い段状の形状がみられ、画像中央の草地は以前は水田であったとのこと、草地の下部一帯も古の集落の跡との見解でもあります。





 平坦な杉林内に忽然と現れる姿、確かに大きい・・・小山にも見えるが、山野に挟まれているとはいえ、明らかに独立した形状である。
 塚の下部は平坦地であり、集落はその下部、南側に展開されていただろうと推測されます。

 いずれ口伝では蝦夷塚のみ、蝦夷時代の遺物なのか、安倍時代のものなのかは不明ではありますが、阿曾沼時代以前のものであるのは確かかもしれません。


○ 伝・火渡玄淨広家の墓

 遠野阿曾沼重臣、その支族ともいわれ、附馬牛を領していた火渡氏、慶長5年(1600)での遠野の政変(阿曾沼主家、阿曾沼広長が気仙へ追放される)で、遠野をほぼ制圧した鱒沢広勝、上野広吉、平清水景頼に異を唱え、恭順に従わず己の館、火渡館に篭城して遠野軍を迎え撃つも、武運つたなく敗れ去った火渡玄淨の墓地があると伝えられている。
(火渡氏、火渡館の攻防戦等に関しては検索サイト等にて火渡館でヒットします)

 蝦夷塚森の入口近くに存在すると資料に記述されておりますが、この墓の存在は結構早くから知っていたものの、場所の特定が出来ずにいたこともありますが、和野方面に行く用事もなくて、いつしか忘れておりました・・・・汗・・・今回、例の資料で確認したということ、蝦夷塚森至近ということもあって、共に訪ねたものです。

?


 画像の墓所、実はどれが火渡玄淨の墓石なのかは不明です。
 道を挟んでそれぞれ3箇所に墓石群があり、さらに林道の上方にも墓石が確認できます。
 ほとんどは江戸時代の年号が刻まれておりますし、一部読めないものもございますが、雰囲気からして江戸期後半のものと思われます。

 至近のお宅を訪ねましたが留守でもあり、また穏やかな日ではありましたが地域に誰の姿も見えず・・・・誰か墓石の位置等ご存知の方がおられましたら、ご教授願います。
 無論、後日に再訪して聴取する予定ではありますが・・・・おそらく・・。



 辛い山野徘徊といった場面とならなかった蝦夷塚森探訪、火渡氏絡みで、同町の根岸集落の上方の山野にあるという根岸館跡も探訪と考えていたが、その進入口を探るべく旧県道跡から眺め、よしっ、行くぞと気合を入れてヘルメットを被り、歩き出すと、長男からメールが・・・・「迎えに来て・・」・・・どうやら学校に課外授業で登校していたらしい・・・しかも床屋にも連れて行ってくれとのこと・・・涙・・・・ということで、根岸館跡の探訪は後日となりました。


根岸館跡があるという山野


 火渡館以前に火渡氏が居たと考察されている根岸館(仮称)・・・図面でみる限り、さらに調査された郷土史家の先生のコメントでは、結構遺構が原型のまま残され、しかも規模も火渡館と遜色はないという感想、これは是非に早期に探訪しなければと思うところです。
 期待度特Aといったところですね。
 




 おまけ1

 附馬牛に来たら、ついでではありますが安居台の猿ヶ石川にいる白鳥をみなければならない・・・・笑・・・。

 まだ数は揃っていないという雰囲気ながらも鴨、白鳥共に十数羽位か・・・・。

 動きのある絵は撮れなかったけど一応、3枚程・・・・。







 どうも白鳥をみると「志村けん」を思い出すんですよ・・・・笑



 おまけ2

 息子を床屋に連れて行っての帰り・・・・




 おまけ3


 ネネの下半身





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平泉研修

2007-12-06 19:34:45 | ファイヤー
 「エントリー最後にお知らせがあります。」見落とし無きよう・・・・ 


中尊寺金色堂


 今朝の遠野は雪交じり、奥州市江刺区まではそれなりに積雪もあったり・・・しかし、だんだん空に青空が広がり出し、奥州市水沢区辺りから良いお天気、しかも前沢区からは雪は皆無・・・・平泉中尊寺金色堂の雪景色を期待していたが、画像のとおり・・・・。


 さて、某団体の研修視察に参加、研修場所は平泉の中尊寺、奥州区江刺区の藤原の郷の2箇所、観光目的と思われる方々も多いと思いますが、れっきとした研修視察であります。

 チャーターした市内某バスでいざ出発・・・総勢21名


 今回の研修、某団体の会員である菩提寺でどうしても日程的都合がつかず、不参加を表明していたが、東北が誇る大寺院である中尊寺の防火管理体制の研修、菩提寺でもたいへん興味があったのは確か、それと某団体の会員ではありますが、ここ数年、事業等への参加が出来なくて心苦しく思っていたのも確かなようです。

 某団体の研修視察としては、どうしても防火管理体制がしっかりしていて、施設や設備が整っている工場や事業所が対象となるのですが、寺院の防火管理体制を視察するというのは、割と珍しいことでもあり、私も何度か都合を調整して参加してはどうかと促していたのも事実でもありました。

 しかし、これはなんともならず、そこで檀家から代表で参加というのはどうかという提案があり、白羽の矢は小生に・・・・・。

 この某団体は、我職場で事務局をしておりまして、若い頃、小生も3年程担当していたこともありますが、今の小生にとっては、内部では担当外、しかし端からみれば同じ仲間内とみられるのは当然、どっちつかずの立場ながらも菩提寺からすればこの分野で指導的立場の小生が見聞きし伝えるということは、菩提寺にとっては良い事という考えでもあり、それと個人的ながらついでに歴史的なこと等も同時に学ぶことができる絶好の機会ということで、ひとつ返事でお受けした次第です。

 遠野では大寺院である我菩提寺、国宝やら重要文化財を多数所有する中尊寺とでは歴史的にも、そして全体からみる価値は全く違うものと思いますが、しかし、檀家、信徒、そして地域にすればその価値観の差は当てはまらないと思ってますし、その思いは同等であると信じてますので、これらを火災から守る、火災を出さない、この一念でもあります・・・・いや、そうありたいです。


 本堂の鐘楼


 今年も大晦日、正月恒例番組「行く年来る年」でテレビ放映されるとのこと。

 
 菩提寺にも鐘楼がありますが、観光客が興味本位で時折、鐘を衝くことがございます。
 菩提寺、福泉寺では朝6時に時の鐘として衝いており、後は除夜の鐘と例大祭時の大祈祷会開始を告げる意味合いで鐘を衝いております。

 中尊寺でも同じですが、やはり観光客が鐘を衝く場面に出会い、係員に厳しく注意を受けておりました。
 寺域面積が広い寺院で、決まった時間外に鐘が鳴るということは、何かの大事が発生したことを告げる意味でもあり、皆さん、お気をつけください。


 先代の鐘楼


 中に収められている鐘は鎌倉時代に造られたとのこと。

 平泉といえば奥州藤原氏、この時代も大いに興味がありますが、私とすればそれ以前の安倍時代が気になるところですが、源頼朝によって滅ぼされた奥州藤原氏、奥州一円を影響下に置き、栄華4代に渡る黄金文化を築いたことはあまりにも有名な史実、その軍事力も強大で、西の平家、関東の源氏、そして奥州の平泉と三国時代の様相も呈していたこと、奥州17万騎とも18万騎ともいわれた軍事力侮り難し・・・・鎌倉もそうは簡単に手出し出来ずにいたが、いよいよ鎌倉軍が奥州に攻め入ると迎撃したのは2万騎余りとか、あっという間に防御線は突破され、平泉は陥落、この時、中尊寺の大伽藍をはじめ兵火によって焼き尽くされたとも伝えられますが、実は、この戦いで焼かれてはいないとのこと。

 鎌倉期に鋳造された梵鐘には鎌倉時代での野火が延焼して中尊寺が灰と化したことが刻まれているそうです。

 金色堂がかつて入っていた覆堂


 白山神社能楽堂

 神仏分離で白山神社となる。

 天台宗中尊寺と白山信仰の深い関りが伺われます。


 

 研修的な画像・・・・。

 中尊寺自衛消防の拠点 


 犬小屋?・・・砂置場?



 ジャジャ~ン



 放水銃格納庫・・・・。

 世界遺産の登録を目指す平泉、その中心は中尊寺となりますが、赤色の消火栓、茶系のホース収納ボックス等・・・・景観上あまり好ましくないとのご意見もあったとか、そこで色々考えて小屋風に徐々に改修中とか・・・。


 いずれ、世界遺産登録もそうですが、国宝や重要文化財を火災から守ること、消防設備、施設は最高レベル、それを扱う人間も訓練等を通じて士気が旺盛であること、見習う点は多数あったこと、これが素直な感想です。



 平泉の後は「江刺歴史公園藤原の郷」の研修兼見学


 復元政庁(多賀国府)



 気になったもの・・・汗


 最初、少し離れたところから見ていたら、本当に人が監視といいますか、いると思ってました・・・・笑

 館跡探訪をしている身ですから、中世遠野でもこんな櫓が館に造られていたのだな・・・・と思わず本気になって考えておりました。



 そして一番は・・・・






 要所要所の施設で解説くださった係員の方々。
 皆さん、ほんとに綺麗で可愛くて目と心が癒されました。

 
 各見所を見学しながら消防設備等の説明を受けて、現地15時過ぎに帰途につき、遠野は16時30分に無事到着となりました。

 参加された皆さん、ご苦労様でした。
 ご案内いただきました関係者の皆さん、ありがとうございました。



 おまけ

 平安貴族の食事とか?


 結構良いものを食べていたことが伺われますが、気になるものがございませんか?・・・なんだろう・・・?




 これだっ・・・





 まさか・・・汗





  おまけ2・・・・お知らせ


 12月11日(火)午後6時から、上組町の全国展開居酒屋チェーン○○の瀧で遠野ぶれんど大忘年会を行います。
 今年はぶれんど仲間もさらに増え、なんといってもブログ画像展の開催等、遠野ぶれんどとしては動きのあった1年だったのではないでしょうか。

 平日ということ、また忘年会シーズン真っ只中、師走のご多忙の時節柄ではありますが、今年の反省も含めて、大いに親睦を図りたいと思っております。

 遠野ぶれんどの皆さん、そして遠野でブログを開設されている皆さん、どうぞ万障繰り合わせの上、ご参加くださるようお願いします。


 大幹事は宝飯爺氏と座敷親父氏なっております。
 よろしくお願いします。 

 会費は掛かった分を割勘、女性はさらにお安くすると思います。


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臼館と菊池成景(菊池一族)

2007-12-05 20:41:44 | 歴史・民俗
 本日も館跡探訪に出遅れてしまった。
 しかも、雪模様でどうしようかと迷ったが、お昼過ぎに時折陽も差す雰囲気もあって2時間勝負として青笹町中妻の臼館(丑館)の再訪をいたしました。

 今回で3度目の探訪、今回は縄張図をなんとしても描きたいと考え、普段よりは重装備で望み、地形図にトレーシングペーパーを止めた版、レーザー距離測定器、コンパス、そしてなんといっても買ったばかりのヘルメット・・・笑・・・カメラは脇差的ではありますがコンデジとして、寒いので厚着をして準備万全で出かけて参りました。


臼館跡がある山野



 山野に突入すると雪と風が激しくなってきた。
 図面を描くも雪で濡れてペーパーが破けそうになる、ペンも湿気で走らない、しかも館跡を見る目が肥えたのか、以前より遺構が大きく立派に見える、あれは、これは・・・・方々を見ているうちに地形含み複雑に見えてくるから不思議である。

 結局、図面は半分も描けず、山野を駆け回っているが身体も全く温まらず、かなり身体も冷えて本日の探訪調査は断念となりました。

 空掘跡


 例の資料によるともう一本の空掘が存在するようだっ、確認は次回となりそうです。


 帯郭

 東側の杉林斜面の帯郭・・・上からのぞく限りは3段程確認できる。
 前回見落とした遺構のひとつ・・・。


 例の資料には、塚の存在が記述されている。
 過去2度の探訪調査で、中央部分のこんもりとした平場をひとつの郭としてみていたが、どうやらそのこんもりとした平場が塚のようだっ・・・。

 塚跡?



 いずれ、今回の探訪で臼館は遠野でも結構大きい部類の館跡で、しかも防御施設としての館としてはよく吟味された造りであると改めて感じたところです。
 また、遺構のひとつひとつもよく残され、見易い館跡でもあります。
 一部、鉄塔等が立てられ山野が削られたり、破壊された部分も確認できますが、それでも全体としては良好でもあり、じっくり探訪して調べてみたい館跡でもあります。



 さて、臼館の館主は菊池成景と伝えられている。
 活躍した時代は阿曾沼時代ということになりそうですが、その詳細は不明でもあります。

 遠野市史には臼館は松崎の横田城、綾織の谷地館と相呼応し、気仙方面への通路である浜峠を監視する重要拠点の館であり、菊池成景が館主となった頃は、その権威が増し、上郷方面の開拓、開発の進展と共に板沢方面へ勢力浸透を図ったかの見解が示されている。

 しかし、臼館ほどの館が存在するにも関らず、菊池成景含み館の興亡史は皆無に近い状況である。

 私は同じ青笹町に存在する花館を探訪調査しておりますが、この花館と臼館に関る伝承に注目しております。

 遠野物語拾遺には両館の戦いが記載されていたり、地域の伝承にも少ないながらも、その争い等が語られている。

 両者に青笹糠前辺りの争奪戦があったのではないのか、妄想的ながらもそんな思いが継続中でもあります。


 5年前になりますか、当時小学生だった長男の冬休み研究で遠野の菊池姓調べなるものを実施したことがあります。
 息子は電話帳(旧宮守村含)で私は住宅地図等で調べましたが、ほぼ二者の数値は合致しておりました。
 遠野市の菊池姓のお宅、約2千件弱と記憶しているが、上郷町、青笹町、小友町が世帯の割合から菊池姓が断然多く、上郷町では板沢、平倉、青笹町は糠前(善応寺、沢田)が多いという結果でもありました。

 また土淵町も多いのでは思ってましたが、これが案外少なくて、菊池姓が多い地域は飯豊地区であったこと、松崎町においては、白岩地区は人口、世帯共に多い地域でかつ近年に他地域から移り住んだ方々が多いという理由で除外すると、駒木地区が多く中でも海上集落が割合からして多い地域でもありました。

 これは何を意味するものなのか、無論明治の新姓にて菊池姓を何かの要因でこぞって名乗ったとも考えられますし、宗教的か何かの民俗的な理由もチラホラ・・・

 ここで歴史的なことで説明すると・・・
 上郷町は板沢氏、平倉氏 切掛氏、平野原氏、内城氏が本姓を菊池と称し、阿曾沼時代にその名を留めている。

 駒木では駒木氏(駒木豊前広道)が本姓を菊池と称し、海上の八幡館に居たこと。

 小友では平清水氏、新谷氏、奥友氏が菊池姓である。

 これは何を物語っているのか?上記の館主達の多くは南部家統治の江戸時代に遠野を去っているが、今もなお、その痕跡を示すような事柄ではないでしょうか?


 青笹の糠前や土淵の飯豊については、花館との関わりが強かったのではないのか、花館の館主もまた菊池氏縁の一族ではなかったのか、一説には花館の主は宮沢左近とも伝えられ、記憶が曖昧ながら菊池成景の直系子孫は後に宮沢姓を名乗ったとか・・・・どちらが先かは分らないが、花館と臼館は実は同族であったものか、これもまた妄想的発想で確かな根拠はないのですが、いずれ菊池一族と何かしら関わりがありそうな・・・・?

 ちなみに遠野への菊池一族の流入は、葛西領江刺氏の内訌、豊臣秀吉の奥州仕置による葛西氏等の没落での天正年間末期という考えが一番強いものでもありますが、いきなり江刺や気仙からの流れてきた菊池一族が上郷や小友に阿曾沼主家によって統治を任されたというのもどこか納得がいかない場面でもあり、以前から何かしらその土地や人物と関わりがあったからこそ、或いは産金、産鉄に関ることなのか・・・・いずれこんなことを考えております。

 もう5年以上も取り組んでいる菊池姓研究、全く以って進展しておりませんが、これもまたひとつの懸案事項として今後も取り組んで行きたい思っております。
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まずは形から・・・汗

2007-12-03 17:37:24 | その他
 生憎の空模様、気温も冷え込んでおり、夕方には雨も雪に変わり、まとまった積雪となりそうな雰囲気、こんな日は、この時期恒例の館跡探訪も出来ない、二日続けての休養日といたしましたが、嫁様も休みということで、野暮用で花巻方面へ出掛けて参りました。



 いつもながら何を買うでもなく、ただ商品を眺めたり、手にとって溜息ついたり、欲しいと思うものは手が届かないものばかり、結局、生活必需品と、とりあえず準備したい物があったので、それらを買い込んで帰宅しました。

 そういえば花巻には来春、大型ショッピングセンターといいますか、モールがオープン予定とか、遠野もコンビ二が一気に増え、バイパス沿いのスーパーも激戦区模様、さらに生活用品を扱う大型店の移設工事も目立って目に付く状況、こんな中で花巻市内に来春オープンのショッピングモールとかセンターが出来れば、さらに遠野からも買物客が流出、地元の商業界には厳しい時代が続きそうです。


 さて、結局買おうとしていたもの、気にいった品がなくて遠野の系列店で買いました。

 それは・・・・

 ヘルメット


 城館跡探訪には、ある程度の危険が伴うもの、特に今まで探訪調査を実施していて経験したことでは、落石、木枝の跳ね返り、転倒・・・・幸いに大きな怪我といったことは無いのですが、最低限頭部は守りたい、そんなことからヘルメットを今回購入いたしました。

 ヘルメットは職務上でも必需品、扱いといいますか普段から慣れ親しんでいるので、違和感はないが、山歩き等が主でもありますから、軽いもの、そしてなんとなく林業関係とか工事関係といった雰囲気が遠くから見られても感ずる程度、無論怪しまれることも考えられますが、「ほっかむり(頬被り)」にゴム長よりはましだろう・・・・笑

 さらにアスクルに図面用のトレーシングペーパー、自在曲線定規を発注、明日来るのはずだが、注文してから3日目に到着・・・・笑・・・(金曜日に注文、ですから月曜日着かな?)・・・いずれ我手に入ったことにより大いに使いたいと思っております。


 
 ここに来て、形ができつつあり、まずは形から入ってさらに館跡探訪に励みたいと思います。




 おまけ

 昼食は久しぶりにマルカンデパートも考えましたが、どこか気になる全国展開中のラーメン店へ・・・・。

 今時、中華ソバ一杯が290円、税込み305円とか、どの程度なのか食べてみようということで・・・・・



 む・・むむむ・・ちょっと美味い・・私の中での懐かしいラーメンとの位置付けではないが、確かに美味い・・・ついでに7個で180円という餃子もいただいた。
 これもまあまあ・・・私達が店を出る頃はそれなりに待っている客も居たりして、昭和29年創業の看板は伊達ではなさそうだが、自分的にはナルトが入っていれば桶でしたがね。

 ラーメンと餃子食べてもワンコイン、これも魅力かもしれない。


 おまけ2

 本日のネネ

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休養日

2007-12-02 19:36:27 | 遠野
 朝は青空も広がり、本日もいいお天気か?・・・しかし午後には曇り空になり雨がポツリポツリ、でも気温が高めですごしやすかった。

 
 さて、先日の上郷町瓜ヶ森館跡で左足の指を負傷したこと、午前中の好天に出遅れて外出出来なかったこと、さらに午後ちょっと野暮用があったことなどで、本日の館跡探訪はお休みとして、資料整理や図面描き等で過しました。

 足の指は腫れもだいぶひき、山野徘徊には支障ないと思いましたが、休養日と決めたことで、まずは心身ともに休みといたしました。


宮代館跡(館)




 まだ途中ですが、縄張図的に描けばこんな感じの館跡です。


 最近入手した館跡関連の資料・・・・コピーで対応しましたので、300枚近くの量となりました・・・汗
 
 町毎にファイルいたしました。




 この強力な助っ人である資料、これを眺めているだけでも勉強になりますが、やはりこれを基に山野へ出かけて実際に確かめる、探訪するが効果的でもあり、今後も館跡探訪調査は実施していくつもりです。


 初積雪以来、遠野は小春日和が続き積雪は皆無。

 11月28日の画像(たかむろ水光園)


 久しぶりに天候が崩れましたが、冬型といった雰囲気ではない、もうしばらく館跡探訪ができそうな感じ、いずれ本日は休養日となりました。
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