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「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

お留守番

2005-08-08 20:15:18 | 
 何年かぶりに家族と嫁さんのご実家の家族の皆さんと温泉に一泊して来た。
 場所は画像の処・・・・赤レンガ風の建物、忘年会には結構使っていた温泉ホテルではありましたが、普通に泊まると結構高い、しかし、今回はネット予約にてかなり安いプランを発見、夕食も少し貧弱と思いきや、見るのと食べるのとでは大違い、かなり苦しかった、というより食べ切れなかったがホントのところ、一人当たりの料金を考えればそれなりに満足といったところでもあります。
 画像の場所、遠野からすれば第一位は花巻温泉郷、その次の第二位といったところですかね・・?
 
 ところでお留守番は、母親と猫一匹・・・少々心配したが、なんとか粗相もなく、元気にしておりました。
 猫へのお土産はドラゴンボール・・・早速手元に引き寄せてジャレておりました。
 飼猫は日中はほとんど一匹でお留守番をしておりまして、可愛そうなところはございますがいたし方ございません。

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夏の夜話・第三話 「シルマシ」

2005-08-05 17:22:36 | 遠野
 「シルマシ」とは「知らせ」とある・・・遠野物語

 私が小学3年生の初夏の頃かと記憶している。当時はこの時季、駒木小、附馬牛小、東禅寺小の3校で市内小学校野球大会の地区予選を行っていました。この予選を勝ち抜くと決勝大会に進出できるのですが(途中からソフトボール大会に変更)この予選会を勝ち抜くために先輩達は放課後練習に明け暮れておりました。
 私は3年生でしたので、野球には「かでで」(加えて)もらえず、年上の幼馴染達の練習をみたり、年下の子供たちと校庭の端っこでテニスボールで野球の真似事などを毎日しておりました。
 練習期間中の放課後、ほぼ毎日、一端家に帰ると直ぐに自転車でまた学校へ来る、それは野球の練習に加わっている同じの上級生達が居て、彼らとはいわば幼馴染、練習が終わった後、彼らと遊びたいがための行動でもありました。
 練習は午後5時半にはいつも終わり、この時季は陽が長いこともあって、夕方7時頃まではいつも遊んでいました。この日も7時近くまで遊んでましたが、晴れているのに日暮れが早いのか、少しいつもより暗くなるのが早いと感じておりました。暗くなりだしますと、誰ともいわず「今日は、けえっぺ」「んだな」ということで家路を急ぎました。
 自転車は小屋に入れておくのですが、自転車で小屋に入ってきた時には、かなり暗くなりだしており、小屋の中には耕運機とトレーラーが置いてあるのですが、耕運機のタイヤは中央のホイールが真っ白で多少暗くても白く浮かび上がって見えてました。
 自転車を押して小屋に入ると、誰かに見られている、そんな感覚でもありましたが、何故かなかなか自転車のスタンドが立てれない、そのうちに少し恐怖心みたいなものも湧き上がってきて、このまま自転車を倒して家に入ろうと考えはじめた矢先、耕運機のタイヤ、白く見えるはずが、人がうずくまって顔だけこちらを見ている姿に見えたのです。しばらくは動けませんでした・・というより時間的な感覚はわかりません、とにかく自転車はそのまま放り投げた形で、走って家の中に入りました。
台所には母親が夕飯の支度をしておりましたが「小屋さ誰がいだっ~」母「誰いだってよ」私「誰がしゃがんでら」母「どりゃ」・・こんな会話の後、母親の後を付いて小屋に行ってみましたが誰もいません、耕運機のホイールは白く浮かび上がっているだけでした。
 私「ほんとにいだった、おっかねがった」母「なんだったべな」・・・・
 翌日、いつものように学校に登校しましたが、お昼近く、職員室に母親から電話がありました。すぐ私は先生から綾織のおばあさんが亡くなったそうですから、すぐ家に帰ってくださいと言われ、帰宅しました。
 家に帰ると母親が着替え等を準備してましたが、開口一番、「おめ小屋でみだもの、ばっちゃんだったんだ、知らせに来たんだ・・・」母方の祖母は長らく病床にあったのですが、私に会いに来たものかはわかりませんが、小屋で体験した翌日、午前中に帰らぬ人となりました。最後に私が見舞ったといいますか、会ったときは身体が半分になったのではないかと思うくらい小さくなっていた記憶があります。それでも私に漢字などを教えてくれたのでした。
53歳という若さでした。
コメント (6)
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暑い・・・

2005-08-04 10:48:37 | その他
 先月末から何かとちょっと忙しかった。特に山関連四連戦、この後半戦は地籍調査にての山仕事・・・来るはずの方々が来ない、一緒に行動するはずが二班に分かれてしまい結局予定の行動が取れないとか、我先に自分の持山へ単独行こうとする地権者等、山歩きと相まってすごく疲労感があった後半戦でもありました。
 こういった調査の場合、予想されることは、地権者同士の境目争いといいますか、論争があるものと思っていた。ですから前もって境を接する方々とは事前に山に入り、あらかじめ境目について確認をし、目印などを設けていたが、若干、別な地権者同士がいよいよ境目に杭打ちをしながら進みましょうと段階にて、境目に関しての論争がはじまる一幕もありました。皆さんのご意見なども加わり、なんとか双方歩み寄りが成って事なきを得ましたが、まさに東北人、お互い心に秘めることはあると思いますが、無事に解決、しかし、こういった場合、都会人相手ではどうなるのだろう・・筋道を通し、言うことは言う、こういった人間ばかりだとはもちろん思いませんが、図面や買ったときの契約内容を持ち出して、紛糾することは多々あるのではないか・・と地元の方々同士の会話がありました。
 このことが良い悪いは別として、少し相手側に自分の境が食い込んだな・・と思ったら皆さん共通して、次の杭付き場所は自分の方だと思っている方に若干入り込むよう設定する・・こういった思いやりみたいなものもあり、結構紳士的だな・・なんて感じたりもしました。
いずれにしても人生において持山含み周囲の山林に入ってじっくり見るということはそうはないことでもあり、疲れましたが良い経験をさせていただいたというのが率直な感想でもあります。

 別話題・・
 昨日、同級生から(ほいどさんか?HP掲示板では笛吹童子さん)遠野の寺社のほとんどを網羅した冊子をいただいた。
 160余りの大小の神社、祠が掲載されていたが、不明箇所についてはなんとか調べて埋めてくれとのこと・・・しかし、なかなか難しそうである。よって私は松崎町の神社、祠を調べたいと思います。以前から計画はしておりましたが、なかなか踏み切れずにいた経緯もあって、この機に踏み切ろうと考えております。無論、冊子に掲載されていないものまで揚げるつもりです。(秋以降になります。本サイトにて取り上げる予定)

 画像は夏らしい暑い日々がつづいておりますが、少し涼しい画像ということで、先日の大沢不動宵宮にて沢水で冷やしている飲物・・酒類含む・・です。
コメント (4)
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大沢不動宵宮2005

2005-08-02 21:43:07 | 遠野
8月1日(月)・気温は30度を超えている、しかし、例年の真夏と比べればウダルような物凄い暑さではないっ、そんな中、松崎町駒木妻の神の最深部、昔は倶利伽羅峠とよばれ、川井村を経て宮古や大槌といった海岸方面へ通じる道が存在した辺りに大沢不動があって、その大沢不動の宵宮が催された。
午後3時、福泉寺住職、副住職、隣の食堂のご主人、私の長男、地区内に住む長男の友達、そして私の6名が先発隊となって大沢不動へ出発した。
車で20分程度か、牧道を進み鳥居がある場所から山登り、約300メートル、一年ぶりにお堂が開け放たれ、焚き火係りとお堂の掃除係りと分担して作業を行い、宵宮に備える。
後発隊は例年は午後6時前には到着、着いたらすぐ宵宮でのお経が始まるが、今年は少し到着が遅れている、しかし、定刻の午後6時、先発隊より少し後に到着の別当さんとで先に済ませてしまう・・・。
その後、後発隊も到着、地域の方々も三々五々到着するも今年は15名程、少し人数的には寂しい・・・。
最近は、駒木菊池家の宵宮みたいで、福泉寺関係者以外は全部菊池姓、別当家は駒木菊池家の総本家の家柄、考えてみれば別家となった菊池家等・・菊池一族の大沢不動ということかもしれません。
しかし、古より駒木地区の生活用水、灌漑用水として地域の人々が生きていくうえでの糧、大沢川を一番に崇拝といいますか、大切に考えてきた経緯もあって、宵宮は別当さんとその関係者、翌日は地域の各家々がほとんど参加の大沢不動の祭礼というべき御神酒あげが行われているので、やはり地域全体が関わっているといっても過言ではないっ。
昭和初期までは現川井村小国や土淵の栃内からも宵宮には峠道をいくつも越えて、参拝したといわれております。今は当時のことを語る方々は皆無ながら雰囲気は当時の信仰等を偲ばせる雰囲気は十分ございます。

画像は先発隊、別当さんのみで宵宮がはじまっている風景です。

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大沢不動尊宵宮

2005-08-01 12:42:54 | 遠野
山稼ぎ四連戦がスタート、初日は夕立に出くわしてずぶ濡れとなって山から帰還、本日は妻の神の最深部、耳切山の頂上近く、東側に藪をこぎ、峰々を少し越えれば土淵町西内集落にたどり着く位置関係である大沢不動尊にての宵宮である。
いつものことながら私は先発隊となりますが、この宵宮の模様は後日、お伝えしたいと思います。

画像は昨年の様子、ここ最近では珍しい参拝の方々の数でしたが、今年はどうなることやら・・・いずれ数十年前は地元の高校生、中学生達も野外炊事やキャンプ気分で泊り込みで宵宮を楽しんだのですが、今の時代、皆無に近い内容でもあります。
地域の伝承行事ながら、少し遊び心や探検気分といった少年達の気持ちをくすぐる楽しさもあると思いますが、最近はどうも私達の少年時代の感覚とは違うようでもあります。
ということで、行って参ります。

大沢不動とはその名のとおり「不動明王」をお祀りしている場所でもあり、歴代の福泉寺住職の修行の場、さらにそれ以前も全国行脚の山伏や修験者の修行、鍛錬の場であったといわれている。
コメント (4)
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