本日の夕日
「遠野まつり」も終わって早一週間、田んぼでは稲刈りが盛んかと思えば、雨降り等が続いて、あまり進捗具合は芳しくないようでもある。
また、祭りが終わった途端に一気に気温が下がって、つい2週間前までの真夏日が嘘のような思いがするのですが、既に我家ではFF式ファンヒーターを稼働させております・・・汗
いずれ秋も一気に深まりという遠野となっております。
さて、遠野町方の郷土芸能といえば「南部ばやし」・・・遠野まつりでの華といっても過言ではないと私は思っております。
当然、カメラ撮りでは絶対に外せない被写体でもあって、今年も数多くの南部ばやしを短時間に撮っております。
画像は一日市南部ばやし
一番前のお二人の綺麗な女性は、「金棒引き」・・・ですよね?
ここ一日市と穀町に金棒引きのお嬢さん方がおられますが、記憶が確かなら杖のような棒を持って先頭にいたような・・・?(数年前までは確かに棒を持っていた)
南部ばやしに関わっておりませんし、詳しくも調べておりませんので、なんともいえませんがね・・・。
それにしても一日市は美人さんを前面に出してきますねぇ・・・。
(他団体が美人さんではないとは言ってません・・・謝)
続いて舞い子・・・一日市
上組町
仲町
舞い子は女の子の役どころ、聴くところによると中学を卒業すると舞い子も卒業となるとか?
男性は小鼓(掌で鼓を打つ)、大鼓(皮で鼓を打つ)で主に成人男性とされる。
上組町
他に笛、三味線となるが三味線は女性、笛は主に男性だったようですが近年は性別は関係ないようです。
仲町
正規ということではないと思いますが、資料(遠野市史4巻)には・・・
金棒引き・舞い子・三味線、笛、太鼓・小鼓、太鼓の多勢とある。
(近年は金棒引きは省略の団体も有)
遠野南部初代、八戸直義(直栄)公が、寛文初年(寛文元年は1661)に松崎の宮代から現在地に八幡宮を遷した際に遠野郷八幡宮に奉納する為に遊芸師に命じて京都の祇園囃子を模し、遠野風にアレンジを加えて作りだされた芸能と伝えられる。
おそらく江戸時代から踊られてはいたと思われますが、遠野古事記、旧事記(宝暦年間著1751-1762)の古書には、「南部ばやし・遠野ばやし」と呼称される芸能の事は記されてはいないが、「児踊り」として笠、扇子、花を持って小唄、笛、小鼓、大鼓を囃子ながら踊ることが流行っていたとのこと。
いずれ遠野のみならず盛岡でも囃子が流行っていたようで、その後廃れるも南部太守、南部利雄公の時(盛岡南部第8代・宝暦2年家督)に囃子等が再び流行るようになったともいわれる。
この辺りに遠野の南部ばやしの原点がありそうな雰囲気ですが、さらなる調べが必要となりそうですね。
明治維新後の明治、大正期に断絶しそうになりながらも、なんとか断続的に継続するも昭和に入るとほとんど休止状態となった。
本格的に復活は昭和41年(1966)と記され以後絶えることなく継承されている。(仲町、一日市、上組町、穀町・・・)
衣装は艶やかで優雅、平和で静かな山里の街を象徴するような歌舞音曲であると結ばれている・・・まさしくそのとおりだと思います。
穀町の舞い子
画像は2010年9月19日(日)
日本のふるさと遠野まつり・・・にて撮影