少年時代から郷社八幡宮のお祭りは、雨に祟られるとか聞かされておりましたが、今年は爽やかな秋晴れとなり、まさにお祭日和となりました。
本殿での神事の場面や郷土芸能団体の本殿への奉納という無くてはならない場面があったにも関わらず、今年は流鏑馬撮影にウエイトを置くばかりに早くから馬場で待機。
結局、1時間半近くも馬場で、撮影陣地を守っておりました・・・。
撮影結果は惨敗・・・残りの流鏑馬画像
枠の中央で捉えきれず、ピントお馬さんに・・・大汗
よって八幡宮の風景、様子は撮ってませんので、いきなり馬場めぐりでの郷土芸能奉納へ・・・汗
元祖駒木鹿子踊
小学校、中学校の協力により、子供達の参加は最多となった駒木鹿子
踊ですが大人のしし頭が3頭と少し寂しい。
得意演目は「柱掛り」
昨年は栄誉の大トリとなるも、辺りは少し暗くなりだし、観衆のほとんども帰ってしまって、寂しい中での奉納でもあった。
今年は一番目の登場となり、観客が一番多い中での踊りとなりました。
遠野郷しし踊りでの元祖と伝えられる駒木鹿子踊、幕には遠州掛川と元祖角助の文字、中央には丸に九曜紋が染め抜かれている。
遠州掛川とは今の静岡県掛川市、駒木村海上の角助が掛川で習い覚えた社踊りを遠野郷しし踊りにアレンジを加え、現在のしし踊りの基礎を作ったものとの見解が示されている。
数年前の静岡国体では掛川市から招待され掛川城をバックに踊りを披露している。
八幡宮での奉納は年に一度の大舞台、駒木鹿子踊にしか伝えられていない「案山子踊」や滅多に披露しない「紅葉四つ掛り」という奥義をご披露してもらいたいと思うのですが、いかんせん主要な踊り手が揃わないということで、残念至極というところです。
早池峰しし踊、張山しし踊り
遠野物語の著者、柳田國男が101年前の8月、遠野に来た際に観たという天神の森でのお祭りで踊られていた「しし踊り」は張山しし踊りであるといわれている。
幕には早池峰神社の紋と遠野郷八幡宮の紋の2種類が染められている。
板沢しし踊
板沢しし踊りの登場で境内は俄かにどよめき出し、「四つ掛り」の演目が始まると大いに盛り上がり、歓声に包まれる。
テンポよく、しかも躍動感あふれる踊り・・・。
青笹や上郷のしし踊りの特徴でもありますが、特に板沢しし踊りに関しては、躍動感は真骨頂といえよう・・・。
駒木鹿子踊を師匠とするともいわれますが、全くテンポや踊り方が違って素人目には共通点は見出せない・・・。
そして今年の大トリは、一方での元祖ともいわれる小友長野しし踊。
こちらも「柱掛り」を披露
遠野郷八幡宮の「役しし」でもある長野しし踊
激しい踊りが続き、まさに渾身の舞といったところ・・・。
観客は若干少なくなったけど、その足をとどめるに値する渾身の舞で大きな歓声を得ておりました。
まさしく大トリに相応しいすばらしい踊りでもありました・・・
平日開催にも関わらず昨年より観客が増えたと肌で感じるお祭りでありました。
特に外国人の団体さんも目立っており、真の神事としての日本のお祭りを観られたことに大きな意義があるのではと思った。
自分も大きな声では言えないが、相変わらずのご年配のカメラマン多数、マナーが決して良いというわけでもありませんが、口々に緑の境内、木立の中でのお祭は絵になり、本来の姿なのだろうと口々に皆さん仰せでした。
街中でのコンクリートやアスファルト、さらに乱立する電柱、電線が容赦なく写り込むこと、仕方ないとわかってはいても閉口してしまうとのこと・・・。
日本のふるさと遠野まつり・・・遠野郷最大のお祭りという位置付け、18日、19日と行われますが、18日は当直勤務・・・残念・・・19日はカメラぶら下げて取材しながら御贔屓の郷土芸能団体の演目を楽しむつもりです。
・・・・・・・・・・・・・・・おまけ・・・・・・・・・・・・・・・
間もなく夏休みも終わり、来週はじめに前橋に帰る長男の身の回り品の買い出しに長男と嫁さんの3人で出掛けました。
その帰り、遅ればせながら・・・話題のお店へ・・・。
濃厚で深い味わい・・・美味い・・・。
さらにプリンもお土産に買ってしまった・・・。
☆お祭打ち上げ&迎撃ぶれんど☆
19日(日) 17時30分~
い※い