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「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

境内は薄雪化粧

2010-12-10 18:09:38 | 思いで

  今時期の降雪は別に珍しいわけでもないですが、まだ本格的な雪化粧もほとんどないに等しい気候で、少し面食らっているというか、何処かで安心しているというか、とにかく変な気候が続いていて、何をするにも色々と考えてから・・・そんな昨今となっている。

 

 そんな朝は勤務地で迎えましたが積雪が3センチ程、太陽も顔をのぞかせていたので、帰宅する頃は雪も融けだすか?と思いながら、家路を急いで帰宅するや菩提寺へ・・・・。

 

逆光を抑えつつ、陽に光る雪がついた木枝を狙うも、イマイチ・・・汗

 

屋根の雪が融ける前に・・・と思うもやはりダメでした。

 

陽が遅く当る場所では・・・

 

薄化粧といったところ・・・。

 

 本日は妻の叔父(厳密には妻の叔母の旦那さん)が荼毘に伏される日、午後からの案内を受けておりましたが、薄化粧した菩提寺境内を軽く散策しながら、己の汚れを落とすかのように・・・汗・・・・。

 小生の亡父は、地元鹿子踊りや神楽舞の大夫を長年しておりました。

 また妻の叔父も芸達者な御仁で地域の神楽舞の大夫(太鼓)の師匠でもありました。

 私の親父が亡くなった日は、今日のような雪で薄化粧した日でもあり、また妻の叔父が荼毘に伏される日もまた同じような日でもあって、何かの因果といいますか、共通する何かがあるのだと勝手に思ったりもしております。

 妻の叔父の遺影は半纏姿で神楽の太鼓を叩いている最後の雄姿とか?地元で喧嘩したままの二つの神社の権現様を仲直りさせた日に最後となる大夫の姿を見せた写真だったと聞くと、なおさら目頭が熱くなるのを覚えました。

 地域の宝がまたひとつ消えた瞬間でもありますが、残された方々で地域の郷土芸能を盛り上げて行かれることをご期待しております。

 

 

 

 

  故人の娘さんと嫁さんは従姉妹同士、その娘さんの旦那が小生と高校時代の同級生で4月に福島の高速SAで偶然に再会しておりますが、本日は空き時間に夏に開催された高校同窓会の模様やら同級生の知っている限りの近況などを教えたりして、懐かしく昔なんかも語ったりもした。(彼は同窓会は欠席)

 正月2日は帰省する予定とかで地元同級生達によるプチ同窓会にお誘いしましたので、同級生の皆さま、よろしくお願いします。

 中学は柔道部、高校はバレーボール部、早瀬町出身・・・北上市在

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オヤジの「ですこ」黄金時代

2010-05-29 19:07:18 | 思いで

 毎年のことであるが、田植え前後の季節は少し肌寒い日がありますが、それでも今年は少しいつもより寒いような・・・朝晩はストーブやコタツの復活となっている。

 心配されるのは冷害、凶作であろう・・・なんとか天候の持ち直し、自然の恵みが秋の収穫期にありますように・・・と祈るのみである。

 

 ということで、まずは昨日の花っこ画像の続き・・・汗

 

 

 

 

 

 青春時代、1970年代後半から80年代前半に流行ったディスコソング、ちょっとダンス感覚が鈍かったので踊りは得意ではなかったが、聴く分にはたいへん楽しませていただき、当時の愛車マツダコスモのカーコンポからは「アラベスク」「ボニーM」「アースウインドファイヤー」「ビージーズ」「シック」・・・等の有名処がいつも流れていた・・・汗

 懐かしさもあってか、今も時折、「アバ」や「アラベスク」・・・のベストアルバムCDは常に愛車の中でスタンバイしております。

 別に英語の歌詞を理解していたわけでもなく、口ずさんでも適当で発音とか全く無関係でしたが、気分だけでも高揚でき、ひとつの青春の思い出ということになりますね・・・・。

 

 

70's - 80's Disco music 51 mix

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思い出の愛車

2010-01-31 18:30:26 | 思いで

ついこの間、正月を迎えたと思ったら、1月も31日・・・

早いものである・・・と年々時の速さを感じながら・・・・

ちょっと探し物があって、色々と部屋の中を物色していると・・・・

 

目に止ったちょっと古いアルバムを発見・・・。

 

 社会人となり、さらに結婚して何年かの写真の中に歴代の愛車をみつけて、懐かしさに浸っておりました。

 

1980年

 

マツダコスモ(中央)

 県立遠野病院が新穀町(現とぴあ)から松崎町白岩に移転したての頃で、遠野バイパスが新張(JA生活センター)から遠野病院までの僅か100数十メートルのみ開通していた頃・・・・幼馴染の同級生3人とゴールデンウイークに再会して記念撮影をしたものと思われる。

 左はトヨタコロナ2ドアハードトップ2000GT(T100型)

 右は日産ブルーバードU2ドアハードトップ1800(SSS)

 そして中央は我愛車でマツダコスモAP2ドアクーペ2000カスタム(レシプロ)

 

1982

マツダコスモ(3代目) 

2ドアHT2000XGS(レシプロ)

 当時、付き合っていた彼女に振られ・・・涙

 気を紛らわすべく衝動買いしたコスモ2ドアハードトップ・・・汗

 前愛車のカーローンが残1年程、下取り分がそのローン残金へと消え、まるまる諸費用含めで全額借金、まさに車地獄、車沼・・・大汗・・・。

 でも、後半部分は少しは貯金もできていたような・・・・天下の農協から年末払いの3年払いで借金、親父が組合員でもあったので、少し農業収入等でも助けられたのも事実であった。

 リトラクタブルヘッドライト(ヘッドライトは普段は格納)の採用とメーター類は液晶デジタルで自分的にはカッコ良いと思ってました。

 

 画像は「たかむろ水光園」にて・・・。

当時から風呂好きであったことがうかがわれる・・・笑

 

 

1985

日産セドリック4HT2800ディーゼルSGL(430型)

 憧れであったセドリック・グロリア・・・人気の430型で白色のセドリックがあるという情報で某販売店へ・・・2800ディーゼルで力も強く、ガソリンに比べれば軽油は安価で経済的のふれ込みで気持ちがグラッと・・・汗

 後日、茶色を白に塗装した車と判明するも、相場よりは安くするということで中古で購入・・・・。

 当時でいうハイオーナーカーの仲間入りで気分はウキウキ・・・が・・・手元に来て3日でタイミングベルトが切れ、電気系統の故障が相次ぎ、修理費が嵩んで金食い虫状態・・・。

 買って半年後くらいに嫁さんと知り合い色々とドライブ等に行くも、いつ車がイカレルかと心配しながらのドライブであったことを思い出す。

 

画像は嫁さんの実家にて・・・汗

 

 

1987

日産セドリック4ドアHT2800ディーゼル エクセレンス(Y30型)

 結婚して半年後についに前車を手放すことに・・・・。

 まだまだ人気の430系ということで、茶色を白色に変わっていること、トラブル続きにも関わらず、案外良い値で引き取っていただいた記憶があります。

 新婚当初から車のローンを抱え、しかも実家から出てアパート暮らしも始めてましたので、生活は苦しかったが正直なところ・・・汗

 Y30系のセドリック・・・今でも時折、車で走っている夢のシーンに出てくる愛車でもあります・・・笑

 

 

 別に車で見栄を張らなくても良いのにと今は思いますが、当時は何故か車がひとつのステータスみたいな考えがあって、つい無理をしていました。

 社会人となり、さらに結婚して数年・・・連続10年くらいは車の借金払いが収入の大半を占めていたといっても過言ではありません。

 もちろん今はそんな余裕もなく、間もなく10年となる車を、まだまだ乗り続けるつもりでもあります。

 若い時の思い出、苦しかったけど実は楽しかったも本音で、色々と思いだされた一日でもありました。

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ふりかけ最高 (・ω・)bグッ

2009-05-27 19:00:01 | 思いで
 夕方に自宅周りの草刈作業を行う、大した面積ではないが久し振りということで、たいへん疲れた・・・・。
 一番風呂に入って汗を流し、普段はしない晩酌ながら本日は350缶を1本いただくも、どうも食欲がイマイチ・・・。

 こんな時は、これに限る・・・・




 ふりかけである。
 特に「のりたま」は少年の頃から食べ親しんだ変わらぬ味、熱いご飯にタップリと・・・・食欲のない朝、おかずがちょっと・・・という時はこれに限る・・・。


 丸美屋の「のりたま」
 1960年(昭和35年)発売・・・なんか誰かさんと同じ年輪を重ねているような・・・汗
 「のりたま」は商標登録されているれっきとした名称、他社は同じような商品でも「のりたま」の使用はできないという。
 「のりたまご」とか「たまご」という類似名で対抗しているようですが、やはり「のりたま」の名は不滅でもあるようです。
 親父になった今でも美味しいと思ってますから・・・・笑


 さらに画像では「味道楽」・・・こちらも丸美屋のふりかけ・・・これもなかなか美味い、できればもうひとつ「すきやき」というふりかけがあるが、これも揃えておきたいところです・・・笑
 
 子供の頃、おかずがなくてもふりかけで美味しく食べた記憶、親父になっても忘れられぬ味で今も大好きである。


 しかし何かおかずが欲しいということで、ワラビの煮付け・・・。
 これも最近ほぼ毎日食べている・・・






 そういえば昔、ふりかけにエイトマンのおまけシールが付いておりました。
 家を建て替える前まで10数枚あったような・・・はて・・・?・・・何処に仕舞ったのだろう・・・・

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網張へ

2009-05-25 19:50:54 | 思いで
 本日も藩都、不来方の藩立養療所へ・・・・。

 用向きが終わると、何を思ったか車を雫石方面へと走らせていたが、若き頃の思い出多き、雫石町の網張にでもドライブと久しぶりに洒落こみました(お洒落な内容ではないのですが・・・汗)


かつての小岩井有料道路料金所があったところ(第一の料金所)



 小岩井農場を過ぎ、しばらく走ると第二の料金所がありましたが・・・その場所




 小岩井農場から網張温泉スキー場までの間に料金所は確か3箇所あったと記憶してますが、第3の料金所は昔の岩手高原スキー場(ペンション村入口)付近にあったと思う、しかし料金を支払うのは最初の2箇所だけだったような・・・・。


 ということで、網張スキー場は当時、岩手山麓国民休暇村と呼ばれた宿泊施設でしたが、現在は休暇村岩手網張温泉というらしい。
 この施設に幼馴染で同級生が就職しており、この同級生を訪ねて時折、網張に遊びに行っておりました。
 また、やはり小生と遠戚で松崎町駒木出身で一つ上の女性も勤務していて行きやすい環境ではあったのです。
 他に遠野出身の方々が数名居りました。

 実は当初はスキーではなく、冬以外の季節に遊びに行っていたのですが、間もなくスキーにハマって毎冬通うことになります。

 小岩井有料道路利用は往復の料金がかかるのですが、小岩井農場と雫石スキー場との間に一般道路があって、こちらを利用すればお金がかからずも、スキー場があるという環境で大雪地帯、当時FR車の愛車では行き着けずという事態もあって、行きは有料道路、帰りは一般道としておりました。

 その後、いつ頃からですかね、1980年代後半?には有料道路が廃止になりました。



御神坂駐車場


 同級生を訪ねて網張へ行く際、少し時間的に早いという場面もあって、その際は途中の御神坂駐車場で昼寝をしたり、カーラジオを聴いて時間調整をしておりました。・・・冬は駐車場が雪で埋まって入れず・・・。

 また、今の職業での初任教育で長期研修中に矢巾町の南昌山と岩手山登山がカリキュラムに組まれており、岩手山は滝沢村の馬返しから登り、下山は此処御神坂口へと下りて来て、何度か昼寝をしていた場所と判ると何故か妙に恥ずかしくなったりして・・・笑

 その思い出のひとつも、今から3年程前(平成18年夏)に岩手山からもの凄い土石流が発生、駐車場はもちろん、道路を寸断、さらに下方へも甚大な被害に見舞われた。




 さて、高原道路といいますか、爽やかな風や新緑の景色に触れながら進むと・・・・



 岩手高原スキー場

 以前はもう少し先に岩手高原スキー場があったのですが、以前のスキー場は今はコースに木々が生い茂り、僅かに廃れて錆びたリフト等の残骸が草の中に埋もれている状態でもありました。(画像なし)

 岩手山は半分雲に隠れてましたが、徐々にその姿を現しはじめておりました。



休暇村、網張温泉館(別館)



 当初の建物で小生が通っていた頃は別館と呼ばれていた。
 古い建物ながらも趣があって特に温泉は昔ながらの雰囲気で最高であった。
 白濁色で強い硫黄の匂いが、なんとも効きそうな温泉という思いにさせたのが此処の湯っこでもありました。

 増改築等がなされたみたいで外観上は当時の雰囲気とは違っておりました。



 こちらは本館



 こちらも何やら遊歩道みたいなものが作られておりました。
 なんでも山中の露天風呂等に行く道とか・・・。



休暇村網張温泉本館


 

網張スキー場




 岩手山登山用のリフトの稼働点検中か?こちらからのコースが一番手強い岩手山ルートだったはず・・・?



上部のスキーコース


 向って左端のコースがスラロームパーン・・最大斜度37度、スキーに夢中だった頃は、不整地でなかなか厄介なコースでした。

 隣2つは白樺スロープ、最大斜度28度、適宜な斜度があって、よく滑ったコースでもありました。

 今は怖くて滑れないものと思われます。



休暇村本館とスキーハウス


 手前のスキーハウスは木造の山小屋風でした。


網張からは秋田駒?が間近にみえる。



 折角来たのだから温泉を堪能したいところですが、やはりサウナ付という小生自身のスタイルがあって、止めにしました。
 また同級生は未だに此処の施設の職員として頑張っていたはず、しかし数年前もそうでしたが、彼の休みは月曜日だったと記憶しており、また仕事中にお邪魔しても迷惑だろうと判断して帰途に着きました。

 途中に網張温泉ありね山荘という施設がありましたが、こちらもパス・・・しかし帰宅してから調べますとサウナもあるとか…失敗しました・・・汗・・・次回の候補としたいと思います。




 
 本日のランチ・・・。

 スキー場通い往復の道路沿いながら一度も入店したことがありませんでしたが、意を決して本日入店。




 盛岡市内の支店には一度入ったことがありましたが、支店の味が小生好みでなかなかでしたので期待大といったところ・・・。







 やはり美味い・・・
 小生好みのスープ、そして辛味のキムチ・・・これもクセになりそうな盛岡冷麺・・・美味い。 




 小岩井界隈といえば・・・・

 誰が呼んだか、名付けたか?・・・・笑

 
 ひとよんで・・・○づくり村・・・大汗




 白い恋人達も炎の如く・・・・



 最後の締めがこれでは・・・・

 秀峰岩手山も許してくださるはず・・・ようやくその全貌が見えました。




 雫石町長山辺りから・・・。
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釣りキチ三平の郷

2009-05-09 19:11:45 | 思いで
 本日も晴天也・・・世間一般でいうゴールデンウィークは終わりましたが、当直を終えて帰宅しますと嫁さんが休みというこで、連休期間中は何処へも行けなかったこともあり、急遽、何処かへ出かけてみるか?ということで、数日前に何かのテレビ番組でチラッと観た記憶を元に西の方角へ一路車を走らせました。


カマーと共に・・・。






 さらに西へ・・・・
 奥羽山脈を越えて陸奥国から出羽国へ・・・・。




 でっ、目的地到着・・・。




 
 此処です・・・笑




 秋田県横手市にある「まんが美術館」






 入場料、大人一人1千円前後を覚悟するも、なんと入場無料・・・・驚・・・今時、凄いことだと感心せずにはいられませんでした・・・喜






 さて、横手市増田(旧平鹿郡増田町)は、漫画家 矢口高雄先生の故郷ということで、矢口先生の代表作「釣りキチ三平」がメイン的なイメージキャラとなっているようです。

 釣りキチ三平は少年時代の矢口先生が釣り好きだったそうで云わばモデルといっても過言ではないキャラですが、そういった意味では「釣りキチ三平」すなわち主人公の三平三平(みひらさんぺい)少年の故郷ということになります。

 1973~1983までの10年間、「週刊少年マガジン」「月刊少年マガジン」で連載され、人気漫画のひとつになり、後にテレビアニメ化されたり近年は実写版の映画にもなり、未だに根強い人気を誇っている。


 小生は漫画そのものを購読してはおりませんでしたが、床屋(理容店)さんに行くと週刊少年○○○といった雑誌が必ず置いてあって、まとめて読んておりましたし、この釣りキチ三平だけは単行本で10冊程買って持っておりました。
 少年の頃、渓流釣りが大好きで釣りキチ三平がひとつの釣り参考書みたいな存在であったこと、今も忘れておりません。
 
 小生が高校生の頃の話しでもあります・・・汗





 まんが美術館そのものはこじんまりとしたコーナーといった感じですが、地元のご出身、矢口高雄先生のコーナーを皮切りに、国内漫画家の先生達・・・手塚治虫、千葉てつや、水木しげる・・・等・・・巨匠の方々を含む先生方の紹介と一部作品が展示されております。

 結構見応えがあり、各作品の単行本も置かれ、静かに読むこともできるようです。

 いずれ漫画ファンにはたまらない施設かと思います。






 施設内で見つけた遠野・・・・笑





 ただ固いだけの遠野物語発刊100周年を知らせるポスターでは味気ないと思ってましたが、水木しげる先生の漫画が入ったポスターもあったとは・・・遠野市の担当もなかなかやりますな・・・笑



 折角秋田県横手に来たということで、昼食は・・・横手名物「横手やきそば」をいただく・・・。

 どのお店が美味しいとか、事前調べは未実施ながらも街中の食堂の方がいい味だしているのではないのか?・・・と考え、駐車スペースがあるとあるお店へ入店してみました。








 名物だけあって確かに遠野辺りで食べる焼きそばよりはなかなかいい味でもありました。
 ソースが違うのかな?・・・まずまずな内容ということで、少し満足といったところです。



 帰りは、湯田の峠山?・・・いつも秋田道を走行する際は立ち寄る「錦秋湖SA」でしばし休憩・・・。
 小生一人のみ、温泉を堪能する・・・汗




 出羽国横手(秋田県横手市)といっても高速道を使えば遠野から2時間弱で到着いたしますし、近くには温泉もあって、まんが美術館でも観て、やきそば食べて、温泉に入って・・・こんな一日を過ごすのもよいかもしれませんよ。

 秋田ふるさと村もありますし、歴史好きには「横手城」や「後三年の役」関連史跡もありますしね・・・・。
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館跡めぐりと熊公

2008-05-10 20:20:16 | 思いで
 結局、この春の季節の館跡めぐりは再訪も含めて4箇所に留まりました。
 例年より1週間~10日は早い新緑の季節、山野の下草が伸びる時期を一応の目安にこの季節の館跡探訪は終了と決めているので、不本意ながらも晩秋、初冬の頃の再開まで休止となります。

 2月の厳冬時期、比較的温暖な住田町の上有住城の探訪を皮切りに、幾らか沿岸地域の城館の探訪も予定しておりこの方面での数も少しは伸びるかなと考えておりましたが、結局実施に至らず。

 3月には雪融けも進み、天候も安定していたにも関らず結局探訪は未実施。
 ようやく4月となって附馬牛町の火渡館の再訪をきっかけに本格始動といった現状でもありました。


火渡館の遺構





 そして、数年前からの懸案であった上郷町の内城館とは何処であったのか?この謎解きが再燃し、本姓を菊池氏と伝えられ内城氏関連として菊池一族の小友町新谷館の探訪を実施。

新谷館跡




 4月となってからまずまずの内容でありましたが、内城館跡として全く確信がなかったのですが、細越の糠森館跡が怪しいのではないのか、そんな思いから未踏でありましたが、なんとか糠森館跡を探し当て、探訪いたしました。

糠森館


 さて、ここからが本題なのですが、この糠森館跡探しでは山野を間違えてかなり難儀いたしましたが、背丈以上の笹竹が茂る場所では、獣が通っただろう跡を随所に見、さらに獣臭いのなんの・・・汗。

 落ちていた毛では、おそらく鹿の類ではありましたが、何処か熊の雰囲気も感じられ、内心はビクビクでもありました。
 その翌日、私が探訪した山野を同じにする反対側の麓の集落、岩崎地区に熊が出没との情報、やはり私が徘徊していた近くに熊はいたのだと思うと、安堵したのと同時に血の気がひく思いでもありました。
 よって、この糠森館跡探訪から地元の城館探訪は全くしておらず、八戸の藤九郎さんと住田の上有住城を連休中に訪ねただけで今季は終了となったことになります。


 
 
 2003年11月末

 本格的に館跡探訪を始めた年、まだ10箇所程度の探訪経験しかなかった当時、地元も地元、身近な館跡の調べで某所を訪れました。
 
 県道が館跡のある山野の下を走っており、入りやすい山野でもありました。



 小路を進んでいると、前方左手に背丈程の笹薮が密集しているところがありましたが、突然、笹竹が「ガサガサ・・」という音と共に奥の方へ順に倒れていく・・・汗・・・脳裏には熊公に違いないと浮かぶも、そこで足がすくんでしまい身体が固まったような状態、普通ならここで奇声のひとつも出そうなところであるが、実は声も出なかった・・・汗。

 数秒後、前方に黒い塊が「ドサッ」と落ちるように現れた。
 そのまま、こちらを見るでもなく、一目散に奥の斜面を丸くなって駆け上がっていく・・・遠野では慌てふためいて逃げる様を表す際に「丸くなって・・・」という場合がありますが、まさにこの言葉通り、この時点でも動くことは叶わず・・・汗。

 大きさは犬・・・犬といっても色んな種類もありますから、表現のしようがありませんが、中型犬くらいですかね、大きいとは思いませんでしたが、その黒い塊が見えなくなった頃に身体が元に戻り・・・不本意ながら「ギャー」だか「あ゛~」だか忘れましたが、奇声を発しながら着た道を走ってました・・・笑

 


 この日の夕方、やはりこの山野の下、小烏瀬川を挟んだ小学校近くに熊が出没したとの情報が流れてました。

 この時は、向うから逃げてくれたので助かったものなのか?運が良かったかもしれませんが、この後の館跡探訪、複数回の探訪も含めて山野徘徊は150回近くになっておりますが、熊公との遭遇は無い。

 私の場合は単独での探訪が主でもあり、今後はさらに熊対策もしっかりとしなければならないと思っているところです。
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兄弟

2008-03-08 17:28:24 | 思いで
 春めいた雰囲気はあるのですが、どうもスカッとしない一日、それでもなんとか青空を求めて彷徨うと土淵辺りで青空を捕まえることができた・・・汗



 
 さて、小生は二人兄弟、学年で二つ下の弟がおります。
 弟は20歳の時に、付き合っていた彼女の家に婿養子となり、弟の娘(姪)が昨年結婚し、2月に子供が生まれたので、弟に孫が出来たことになります。
 いや~、年月の経過は早いもんですね・・・。

 
 ニ十数年前、弟の結婚披露宴前夜、同じ部屋に床を敷いて、色々と昔話なんかをしながら語り合った記憶が・・・・ちょっと姉や妹が嫁いでいくこととは違うとは思いますが、それでも明日からこの家に居ないと思うと寂しいような・・・弟との思い出が良きも悪きも走馬灯にように確かに私の中では回っておりました。

 そんな弟もおじいちゃん・・・・ホントかよが正直な気持ちではあるんですがね・・・笑



 では、ご覧下さい・・・汗
 40数年前の写真・・・汗








 我家には犬も猫も私が高校生の頃までは居りました。

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駅前周辺

2008-02-28 17:21:45 | 思いで
 遠野駅



 駅舎は私が子供の頃とは変らず、強いていえば2階部分が改装されホテルになった程度、しかし、駅前のロータリー含み、駅に面した部分は、かなり変ってしまった。


 かつての溜り場


 建物がさらに新しく建替えられましたが、宅配関連の支店が入っている場所には、私の同級生の家で経営している菓子店の駅前店があった。

 高校の帰り、このお店でバスを待ち、或いは友と語らい、卒業してからも相変わらず通い、盆正月が近くなると帰省した同級生やら友人が必ず立ち寄った為、このお店で再会、さらに会えずとも帰省中の情報が直ぐに届けられるいわば我々の情報発信基地みたいな存在でもありました。

 社会人となって3年もすると首都圏に就職していた同級生も、ポツポツとUターンする者もいて、これに盛岡等岩手県内に就職した友人も加わり休日には、まずは此処に一端集まる、店番の同級生の妹かお母さんに託をお願いすれば、何処に居ても同級生と会えるという仕組み、ありがたい存在でもありました。

 後にお店は隣の現在喫茶店が入ってるところに移りますが、とぴあ店が開店したことにより、そちらへ移ってしまい、その役目を終えたという印象でもあります。


 市民センター方向



 昭和通り


 オレンジの看板・・・ラボア

 社会人に成りたての頃、諸先輩方に連れて行かれたバー・・・(婆)・・・お綺麗な熟女のホステスさんが多数居られて、年上の女性に憧れた時期が・・・汗・・・その後、結構通いましたが、割と繁盛しておりましたよ。


 反対側・・・とぴあの裏通り



 続き


 五右衛門の有名店・・・○楽があった場所
 現在は土淵町(谷地)に移転営業中

 
 さらに・・・


 高校時代、上記の喜○と共に人気を二分していた中華料理店・北○亭があったところ。

 元気なおばさんとお爺さんが居ましたな、セルフサービスというものを此処で憶えました・・・笑・・・時には器も洗ったりして・・・汗

 夕方同級生達と大盛の五右衛門やら炒ソバを食べ、家に帰ってからも普通に晩飯食べてましたからね、それでも私は当時50kgしかありませんでした。



 食物屋ついでに・・・・・

 社会人となり数年が経過、Uターンした友人達も増え、休日には例の菓子店に集まって何しようかと相談、昼近くの場合はよくこちらへ通ってました。



 此処のカレーライスが凄く好きでよく食べておりました。
 甘口系のカレーだったですね、遺憾ながら地元に住んで居るのに、店の前を何度も通っているのに・・・20年近く食べに行っていない・・・汗
 私的には昼のカレー処


 夜のカレー処は・・・


 中央のビル2階のお店。

 友人達と飲んだ後は、此処のカレーライスで〆る、或いは穀町まで行ってユッケビビンパを・・・そんな毎日でもありました。


 給料も安く車のローンを抱えていたのに、よく出来たものだと感心している。




 ついでに・・・・仲町

 某菓子店・・・こちらも同級生の家であるが・・(早瀬が本店で駅前支店とは別のお店)

 実は最近知らされたことがあって、少し気になっており、そのうち機会を設けて調べてみたい事項が・・・・・。




 遠野に楽団があったことをご存知だろうか、昭和20年代後半から30年代辺りまで・・・・。
 
 その名を「福田楽団」というらしい・・・。

 画像の某菓子店の先代も楽団に所属していたとのことで、他にも数人名前を聞いている。

 何故、私が気になっているかといえば、亡き親父がこの楽団に少しだけ関係していたとの情報を聞くに及び、音楽には疎いながらも気になったもので・・・。

 私の親父が楽器とかを演奏するといったことは聞いたこともないし、もちろんみた事もない、強いていえば、神楽やしし踊りでの太鼓くらいなものであるが、どうやらボーカルとして関係していたようだっ。

 しかし、楽団員ということではなかったらしい、また楽団といわれるがバンドといってもよいかもしれません。

 何かこの福田楽団について知っていることがありましたら、お寄せください。
 無論、今現在知らされているかつてのメンバーの方々には折をみて聞いてみたいと思っております。
 





 おまけ・・・・

 街中の画像取材を徒歩で敢行するも、寒いのなんの・・・そこで上記でご紹介した甘口カレーを20年ぶりに食べてみようと訪れたのですが、どうやら休みのようでして、空振・・・・。

 冷えた身体を一時的に暖め様と遠野駅に移動、そこでみたお雛様。




 2月29日から3月4日まで「遠野町家のひなまつり」開催。
  
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再会弐・遠中

2008-02-25 16:49:33 | 思いで
 前回の続き・・・再会の弐としていますが、再会を目指しての内容となります。


遠野市立遠野中学校



第2体育館


 私が中学生の頃は、柔道部、剣道部、卓球部が主に使用していた。


旧体育館


 遠野バイパス沿いに立派な体育館が出来てからは、こちらは旧体育館と呼ばれているらしい・・・。

 昼休み、学年そして男女の区別なく、体育館でバスケット・・・バスケットボールが10個以上、100名以上の生徒がひしめきあって遊んでいた。
 それでもよく、自分のチームや相手チーム、そして別グループのボールを間違えずにプレイしていたものだと感心している・・・笑




 社会人となり数年に一度は仕事関連で訪れていた。
 中学生当時とあまり変らない雰囲気が色濃く残され、懐かしく感じていたが、その後、子供達も入学、通信簿貰いやらPTA等で年に数回訪ねることができ、その都度、微かな中学時代の思い出に若干浸ることもありました。



 とあるサイトで、同級生かも?と思う人物に思い切ってメールを送付してみた。 返ってきた返事はやはり同級生らしい、しかも小生の事をよく知っている人物らしい、しかし、その人物のことがわからない、向うもしばらくは私が当てるのを楽しんでいる雰囲気が感じられるも、日々のメールのやり取りで少しずつ、そのベールが剥がれてきた。
 
 それでもまだ自信がなくて「笛吹童子氏」にも探っていただき、ようやく確信といったところで、彼と再会となれば高校卒業以来30年ぶり、しかも中学時代は3年間同じクラスでしたが、高校時代はクラスも違うということで、その思い出の記憶が皆無、憶えているのは中学時代のこと、そうなると33年ぶりということになる。

 懐かしく、日々のメールのやり取りが楽しみで仕方ないが、近いうちに東京で、それとも遠野で・・・どちらが先になるかはわからないがここ半年の内には是非に再会を果して昔話に花を咲かせたい、そんな思いが募る毎日です。


 3年5組・・・体育館脇にて・・・おそらく文化祭かと思います。


 33年前の写真、皆幼い顔をしているなぁ~・・・笑


 いずれ彼が帰省の際はかつての同級生でも集めてブチクラス会でもしてみたいですね。

 インターネット等が普及する現代だから繋がったかつての縁、悪いこと以上に楽しいこと、嬉しいこと、こちらが勝るということ、あらためて実感しているところです。




 おまけ・・・・殲滅


 宮守町達曽部・・・よ○たや




 久しぶりに行って来ました・・・笑


 評判のラーメン(中華そば)



 シンプルながらもチャーシューが2枚、正統派醤油味といったところで、スッキリとしたスープがいい味出してます。


 ついでにジンギスカンも食べました・・・。




 殲滅!
コメント (16)
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