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「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

再会壱・駅舎

2008-02-24 17:26:54 | 思いで
遠野駅


 駅、その町の玄関といったイメージながらも、自分にとって一番の思いは、高校を卒業して、多くの同級生を見送った場所、そして帰省してくる友と再会した場所との印象が強く残っている。







 間もなく高校も卒業式を迎える。
 今年も卒業生達の多くが遠野から旅立つ光景がみられるものと思いますが、高校を卒業して地元に残った我身、進学やら就職で遠野を離れる多くの同級生、男、女さらにクラス、学校の別なく駅のホームで見送った。
 
 あれから30年、早いものである。
 
 遠野駅は、若干の駅舎の雰囲気、周囲の変化も見られますが、それでも当時の面影を多く残している。
 
 きっと遠野へ帰って来る遠野人に「よぐ、けえってきたな」と温かく微笑むに違いない。





再会弐へつづく・・・明日
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再会・27年

2007-07-21 15:52:08 | 思いで
 19日夕方、新花巻、水沢江刺、一関、仙台、大宮、上野の各駅に停車、東京行きの「はやて」にて上京。

 上京の際にいつも利用のやまびこ号ですと、仙台までの各駅、福島、郡山、宇都宮、大宮、上野と停車して東京へ3時間以上かかってしまいますが、はやて号ですと2時間45分で東京へ・・・・帰りも逆のパターンのはやてで帰って参りました。


 はやて・・・新花巻駅


 2ヶ月に3度の上京、私的な理由での内容ですが、今回は、疲れ気味ながらも重い何かが立ち込めるということではなく、気分もまあまあ、新花巻駅で一本、車内販売で2本、仙台駅で停車の際に、急いで購入して一本、計4本をやりながらの新幹線の旅、東京駅についた際は、ほろ酔い気分でした・・・・汗



 
 さて、翌日の用向きも予定通りなんとか終了、本来はネットでの歴史仲間との懇親の宴も考えていたが、時間配分やら少し見当もつかなかったことから、今回は無し、それでも考えていた時間内に用向きが済んだということで、ここ最近、上京の度に気になっていたある場所に思い切って行って見ることにしました。



 小平市「喜楽寿司」

 5月に亡くなられた親戚の葬儀の場、高校時代の同級生のお母さんと久しぶりに会う、その際に、同級生である息子さんの近況について話され、私も懐かしく拝聴いたしましたが、上京の用向きがあるときは、是非に立ち寄ってくださいといわれましたので、丁度良い機会が3度も・・・・2度は時間的なことで訪ねることは叶いませんでしたが、今回、その機会を得た思いで訪ねました。


 思いきりっよく店の戸を開けて暖簾をくぐると・・・・「らっしゃい」と威勢の良い掛声。
 
 店のカウンターの中に当時の面影が若干残るベテラン板前さんに声をかけていただく・・。

 「おっ・・・」「おっぉぉぉ・・・かつ○し・・・か?」
 「よっ、久しぶり・・・・」

 直ぐ私とわかったようだ、うれしい・・・・・。

 

 土淵町出身の菊池K氏

 実に27年ぶりの再会、彼とは高校時代の同級生、3年間同じクラスで、特に1年生の最初の期末考査中に鶴田という友達と3人でテスト期間中に小烏瀬川で釣りをして、担任の先生や他の先生も釣りをしていて、偶然川で鉢合わせ、「お前ら成績が良いように見えないが、余裕があるな、帰って勉強しろ」と注意されたことがあった。


 ほとんどの魚介類がダメな自分、寿司店に居るという矛盾、しかし、その旨を告げると私が食べれそうなものを出してくれた・・・・美味い・・ホント美味かった。


 27年ぶりの再会、同級生の中では一番最初に結婚、20歳になった辺りか、その前か、とにかく男、女関係なく岩手に残った同級生達と披露宴の実行委員会を結成して、市民センター中ホールで結婚披露宴を催し、それから一度も顔を見ていなかった。

 結婚と同時に寿司店で修行していたことは知っていたが、あれから27年、寿司職人としてのオーラが板に付いているというか・・・板前さんですから・・・笑

 懐かしく昔の話や近況報告、お孫さんもいて、小学生だという・・・驚・・・まさに板前さんとしては大ベテラン、その腕も熟練に達し、円満で幸せな家庭を築きあげている雰囲気も十分伝わる・・・・。思わず懐かしさも手伝って涙腺が潤み始める自分、その反面、自分は今まで何をしてきたのだろう・・・仕事面もまだまだ、適当に歳ばかり重ねてきて・・・・そんな思いも交差する・・・・。

 しかし、元気な同級生の活躍を目にすると、自分ももう一丁やってみるかという気分になり、さらに元気をいただいて、正味1時間程度でしたが、同級生との再会を楽しむことができました。

 またの再会を・・・・・。




 東京都小平市「喜楽鮨」

 HPも開設・・・・こちら
 




遠野ブログ画像展・・・開催についてはこちら
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納豆

2007-03-04 21:07:23 | 思いで
 昨日の勤務は朝から大忙し、結局翌朝まで・・・・体力的なことも去ることながら精神的な過労も伴い、家へ帰ってからは何処へも行く気が起こらず、昼食を食べるとそのまま寝入ってしまって、目が覚めたのは夕方5時過ぎ、起きた途端、翌朝だと思い、今日も仕事へ行かなくてはと思いながらも、まだ早朝5時か?後1時間は寝ていられるか・・・なんて夢みたいな話・・・されど部屋には誰も居ないと気付くと、まだ4日の夕方と気付く愚かしさ・・・・汗


 さて、納豆・・・・

 一頃はあんなに置いてあったスーパーの納豆、全部売り切れ状態が数日続いたことを思い出す。
 別に納豆が大好物ということではないが、冷蔵庫に何個か入っていないと気がすまない、そんな食品かもしれない。

 スーパーに無いとなると、やはり気になる、必死になって探したわけでもないが、あらためてテレビ等のメディアの影響は大だと思い知る。

 画像は、昔からあった大粒の納豆。
 某ブログでもいつぞや話題となったが、遠野では売っていないと思うが、北上の某スーパーで見つけて、思わず買ってしまった。

 大粒で昔懐かしい味、藁ツトに入った納豆も懐かしいけど、こちらも懐かしい・・・しかし、普段から小粒の納豆に慣れ親しんだ為か、どこか食べ辛い、小さなご飯茶碗に大粒の納豆、これかもしれない・・・少年時代はどんぶり飯にお替りしてまで食べた納豆、この違いなのか?

 
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雪の日

2007-02-14 21:30:03 | 思いで
 久しぶりの積雪、遠野では湿った雪ながらまとまった雪が降る中、野暮用で盛岡へ・・・・。

 盛岡は、さらにシンシンと降り積もるといった感じ、盛岡を出て家路に着く夕方には20センチ程積もり、スニーカーでは「あるげだすかげでながったす」

 大迫からは雨、雪もほとんど無し、遠野も雨、雪は融けたのか盛岡の3分の1ですかね。

盛岡駅西口から


 さて、盛岡西口のアイーナ内の運転免許センターに用向きがあったのですが(当方は運転手)、1階の免許センター、コンピューター化が進み、しかも対応する職員、事務をとる職員のほとんどは女性の皆さんで親切で丁寧、私が普通自動車免許を取ったうん十年前とは偉い変貌ぶり・・・・びっくりいたしました。


マリオス


 高校3年の冬休み、雪の早朝、バイクで転倒しそうになりながら遠野駅へ・・・駅で同級生と落ち合い、朝一番の釜石線上りで盛岡へ・・・途中、市内他校の同級生数人も運転免許学科試験ということで、列車内で合流、午前8時前に盛岡駅に降り立つ。

 遠野のじぇご太郎ゆえ、タクシー乗場でのマナーも知らず、タクシー待ちの列があるのも気が付かず、来たタクシーに乗り込もうとすると大人達の罵声を受ける・・・汗・・・なんとか列の後尾に促され、ようやくタクシーに乗り玉山の一本木試験場へ・・・・受付終了時間5分前に到着、速攻で受付に滑り込むとカーテンを閉められる・・・涙・・・小窓をノックして開けてもらうと中年の男性係官「何時だと思ってるんだ、皆、遠いところから来ている人達は泊まっているんだ、今頃来て・・・」タラタラと文句を言われたが、なんとか皆手続き完了、頭にきたというより怖かったが印象でした。

 試験は無事合格しました。


 そして中年の仲間入りをし、大型普通自動車免許の交付、沿岸の運転免許センターへ・・・・。
 対応したのは定年間近か?男性職員、大型免許特有の適正検査、目の焦点が合わない、「おいっ、お前目が悪いんじゃねえか、よく教習所修了出来たな」ときたもんだ。
 「いやっ、そんなはずはないっす」「だって全然ダメじゃねえか、釜石の町へ行って眼鏡買って出直して来い」・・・これには少し切れた「なんだあんた、その言い方は、あんたらいつもこんな感じで此処に来る人達にそんな言い方してんのか」と言ってやりましたよ。
 
 適正検査のやり直しでなんとか合格いたしました。


 昔、こんな対応を受けていたことを思わず思い出してしまいましたが、今はこんなことは皆無であろうと思います。
 皆さん、親切な女性がほとんどでしたから・・・・・。


おまけ・・・

 本日は聖バレンタインデー

 家族以外からいただくことは皆無、寂しい人生ながら我家の女性達に手作りチョコをいただきました。

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白い冬

2006-11-11 17:45:24 | 思いで
白い冬     作詞 工藤忠幸  作曲 山木康世


一人で想う 秋はもう深く
過ぎ去れば 空しく消えた日々
あなたに逢えた 秋はもう遠く
迎えつつあるは 悲しい白い冬

一人で暮らす 冬は早や涙
想い出せば 空しく消えた日々
あなたを愛した 秋はもう去って
感じるものは 悲しい白い冬

もう忘れた 全て あなたの事は
秋の枯れ葉の中に捨てた






 フォークディオ「ふきのとう」のデビュー曲「白い冬」
 
 中学生だった私には、詩の意味がよく理解できなかったが、どこかもの悲しくもあり切ない・・・・という雰囲気は少しだけ感じていたのだろうと思ってます。

 この曲との再会は社会人となってから何かのラジオ番組で聴いたと記憶している。
 その時、「もう忘れた 全て あなたの事は秋の枯れ葉の中に捨てた」

 このフレーズがやけに当時の自分の気持ちを代弁しているかのようで、好きになった曲のひとつでもありました。

 ふきのとう・・・バッケのことですが、北国出身のフォークディオらしいネーミング、他に代表曲は「春雷」「風来坊」・・・等

 画像は枯葉のシーズン、まさに全て枯葉の中に捨てれば見つからない・・かな・・・?
 
 遠野も間もなく、ほんと白い冬が訪れます。


 おまけ・・・



 飼猫のネネが8日の早朝、散歩に出かけたようですが、その日の夜もそして翌日も帰宅せず・・・・。
 夕方には帰ってくるのか・・・と思いきや、全くその兆しも見えないことから、懐中電灯持参で末娘と探し歩く・・・が見つからず・・・最悪の事態も考えてしまう・・・娘と早朝早く起きてもう一度探しに行くことにしてましたが、暗いうちから目が覚めて寝た気がしない・・・空も白みはじめた頃、微かに泣き声が・・・山の神さんが先に飛び起きて玄関を開けると元気な姿が・・・・涙

 48時間ぶりのご帰還・・・今は家猫に徹して寝ております。


さらにおまけもうひとつ・・・

遠野ぶれんどの集い・・・11月7日エントリー記事参照のこと
講師先生、私も含んで今のところ12名となっております。(11月11日現在)
 

会場のあえりあ遠野

 
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トイレ

2006-10-29 20:00:46 | 思いで
 昔のトイレ


 たかむろ水光園、屋外トイレ内に展示の昔便所

 
 おしょすはなすこっだどもよ、おらえもむがす、こったな便所だったす。
  
 めすどぎなすたず、ほんでばっつはなすっこもまじゃってらども、もうさげながんすちゃ・・・。

(お恥ずかしい話ですが、我家も昔、こんな感じのトイレでした。
 お食事時な皆さん、さらに汚いお話しも混じっておりますが、申し訳ございません。)

 私が小学4年生の頃まで、我家では外便所でして、画像に近い造りでした。
 板木を三本渡しだけ、流石に木箆や縄といった内容ではありませんでしたが、古雑誌だったり、新聞紙だったり・・・・ちり紙の灰色のものだったり・・・
 さらに親父や弟と並んで用を足す・・・なんてことも日常茶飯事でもありました。

 外便所ということで夜間は怖くてひとりでは行けない(電気は無かった)、冬は寒い・・・
 とにかく、今考えるとよくこんなトイレを使用していたものだと、夢でもたまもに思い出したりいたします、というか悪夢として・・・・。

 当時新しい家とか、裕福な家では焼物の便器なんかがあったりして、我家のような形式なお宅は少ない方でもありました。
 その後、家の中にトイレを増築したときはもの凄くうれしかった、これ正直な気持ちでした。



 画像は水光園ですが、手前の水車小屋ではなく、木の横の建物です。

 いずれ、気分を害するような内容、お食事時に読まれた方、まことにすみませんでした。

 
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桃缶

2006-10-14 19:00:28 | 思いで
 無性に桃の缶詰が食べたくなった。
 白桃でも黄桃でもどちらでも構わない、そこで家の中を探し回ると、これまたあるんですよね、山の神さんがケーキ作りを趣味としているので、割と簡単に見つかった・・・笑




 桃の缶詰といえば、子供の頃はなかなか口に出来ない代物で、唯一食べることが出来たのは風邪をひいて寝込んでいる時くらい、ですから自分にとっては当時はかなりの高級食品といったイメージがあります。 

 そういえばバナナもなかなか食べれなかった。身の回りにある果物といえばリンゴ、良くて梨があるくらい・・・・子供の頃のことを考えれば、今の食生活は贅沢になっているんだな・・・なんて少し自己反省。

 余談ですが親父の葬儀の後、供えられた盛篭多数の中の缶詰の数々、膨大な量でこれは5年かかっても消費は無理かな、と思った。
 無論、親戚やご近所へもお配りしたが、それでもまともな量ではない、しかし2年を待たずして食べ尽くしてしまった・・・汗

 桃の缶詰は私ひとりでほとんど食べたことになります・・というか食べたとのこと。
 桃缶は現在の自分にとってもまだまだ贅沢な高級食品といった位置づけかもしれません。



おまけ・・・

10月14日・朝の最低気温2.4度・・・この秋一番の冷え込み、というものの日に日に最低気温がマークされていく季節柄、日中との寒暖の差が激しいので体調管理には十分注意しましょう。


我職場敷地の一角




 そう気象観測「アメダス」・・・そう此処は遠野地域の気象観測の拠点なんです。
 地方気象台に気象データは自動的にリアルタイムで送信されております。

 こちらでも余談・・・
 10年も前になりますが、放水訓練を実施、間違って雨量データ観測機に多量の水が・・・・即、気象台から問い合わせ、遠野地方は大雨が降っているのですか・・・汗・・・県内よく晴れた日でした・・・・。
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灯り

2006-10-08 19:35:40 | 思いで
 強風に雨、遠野地方には気象警報は発令されなかったものの、災害警戒本部が設置され、しかも一部地域では被害も発生、停電もあったとかで、昨日7日はたいへんな一日となりました。

 
 さて、本日のエントリーは灯り・・・
 
 中高と自転車通学、今時期からは陽も短く、帰宅する頃は辺りは真っ暗、そんな中安心するのは、所々に設置している街灯、俗にいわれる防犯灯ってやつですね。 概ね100メートルに一基という間隔ながらも、もちろん場所によっては何百メートルもないところもある、近くに集落やら家がなければ防犯灯もないといった感じ、私は男ですからまだ良いのですが、女子生徒にとってはどれだけ心強いものなのか・・・と思います。


我家向かいの防犯灯

 そしてある程度安心できたのが、商店や個人で設置の自動販売機、これが結構明るい、昔は電気も販売機もない時代、しかも懐中電灯もない時代、夜は怖かっただろうと想像されます。



 
 ちなみに松崎町駒木に電気が灯ったのは大正10年といわれております。
 まだ電気を目にして百年経ってないんですが、松崎から電線をひいてきて、電柱は駒木、海上、矢崎の各地区から供出とのことで、電気工夫三名が泊り込みで作業にあたったそうですが、供出された電柱用の木は栗木、人々も色々と情報を仕入れて腐食し辛く、丈夫だと理由で栗木としたとのことですが、工夫は栗の木はダメと受け付けてくれなかったそうです。
 
 理由は杉木の方が工事が楽だったからといわれますが、電気工夫達は巡査(警察官)の次に我々は偉いんだという態度が見られ、好かれなかったそうですが、それでも当時は先端技術者で、重宝されたそうです。
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白い夏の詩・・遠中

2006-07-27 13:37:15 | 思いで
「白い夏の詩」・・・とんぼちゃん
   
    作詞・竜 真知子/川本 明  作曲・市川 善光

 テニスコートのボールの音が 私の心を弾ませる
   駆けてくる駆けてくる あなたは息を弾ませて
 長い髪が光にこぼれて あなたは白く透き通るよ
   まぶしくてまぶしくて 近づくことがこわいほど
 そんなあなたみるだけで 何故か胸が痛いのは
   いつの間にか感じてた 愛のせいと気づいたよ


遠野中学校グランド テニスコート
 
 ようやく夏空が戻ってまいりました・・・。
 
 白い夏の詩・・・
 私が中3の頃に流行った歌、淡い恋心をいただいていた一つ年下の女子生徒への切ない思い、とんぼちゃんのこの曲が妙にマッチしていたというか、忘れられない一曲のひとつでもある。


遠野中ソフトボール部、部活の様子。

 四半世紀前?、何故か同じクラス、隣のクラスの同級生達と男子ソフト部を結成しようと女子ソフト部に間借して共にクラブ活動をしていた経緯がある・・・が、ほとんど遊びで女子の皆様の邪魔をしていたが正解かもしれない。
 
 そんな中、好きになった一つ年下の女子生徒がソフト部におりましたが、純情だったあの頃、声もかけれない、たまに会話が成立してもオドオドして話しにならない・・・それでも何処か自分に気があるのではないのかと勝手思ったり、とにかく毎日ドキドキ、ワクワク・・・そんな日々でありました。







 私が中学生の頃は、屋上が健在でありましたし、校舎の外壁の色もピンク、今は旧体育館と呼ぶそうですが、3枚目の画像の体育館、新体育館もありますが、こちらもまだまだ現役なようです。

 好きな女の子とどうこうしたいとか考えたことはなかったし、考えもつかなかった。
 映画を一緒に観たい、鍋倉公園でも歩きたい、いやっ、列車に乗って花巻か釜石へ・・・当時考えられる交際の仕方、私は全く考えもつかなかった。
 ただ、彼女が自分のことが好きなのか、好きであってほしい・・・それだけを想い、心をときめかせていた時代・・・・遠野中学校の生徒だった時代である。

 おまけ・・・
 バレンタインディーに彼女は同級生にチョコをあげたという噂が入る、涙は出なかったが、凄く侘しかった・・・涙


 
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じぇんごクラブ?

2005-09-13 12:09:40 | 思いで
 このほど、全国の田舎者が集う「田舎者サミット」が遠野、たか○ろ水○園で開催されました。

 主催は開催地である遠野ということで、この私が務めさせていただきました・・・・・というのは、夢といいますか、ぼが(うそ)でして、来月市村合併により、職場での配置換えやら異動もあって、さらに東京に半年間、勉強に行く同僚もいたりして、この半年間、同じ釜の飯を食べ、寝起きを共にしたチーム(当番部)の離散会兼激励会を行いました。
 本来は職場名が「歓迎・・・・ご一行様」となるところですが、宮守、土淵、上郷・・・遠野郷出身の職員が集うということで、「じぇんごクラブ」として申し込みした次第です。
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