見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

古くて新しい智慧/評価と贈与の経済学(内田樹、岡田斗司夫FREEex)

2013-06-09 23:53:22 | 読んだもの(書籍)
○内田樹、岡田斗司夫FREEex『評価と贈与の経済学』(徳間ポケット) 徳間書房 2013.2

 岡田斗司夫(FREEex代表)と内田樹のおじさん対談と書こうとして、著者紹介を見たら、内田樹氏のほうが八歳年長だった。年下から見た八歳差はかなり大きい。岡田斗司夫氏は「まえがき」で、この本は内田樹ファンの岡田斗司夫が」「大はしゃぎでいろんなことを聞く」という内容だと述べている。確かにそんな趣きはある。

 逆に年上から見た八歳差は意外と小さいので(→個人的な実感)、内田樹氏の「あとがき」は、この対談が「ポスト・グローバル社会における『新しい共同体』のありかたと、そこにおける財貨・サービス・知識・情報の『新しい交易』のかたちをめぐって展開している」ことを淡々と述べる。この温度差が、ちょっと微笑ましい。

 二人の共通点は、社会を評論するだけでなく、「新しい共同体」の実験的な実践にかかわっていることにある。内田氏は「凱風館」という学塾をつくり、岡田斗司夫氏は「FREEex」という会社(ただし、仕事をしたい人が自らお金を払って、仕事をする権利を買う会社)を運営している。それらは「拡大家族」であり、不安定な21世紀を生き延びていくために必要な「共同体」の実験だと説明されている。

 結局、一番頼りになるのは「人柄の良さ」だとか、仲間がいなくても一人で快適に生きていけた時代は終わったとか、かいつまんで言えば「情けは人の為ならず」という古いことわざに帰着するような話だ。「家族」に擬せられるほど濃い人間関係は、私は、今のところ御免蒙りたい。でも「故郷に錦を飾る」的な、自力である程度成功した人たちが、獲得した社会資源を退蔵せず、次の世代のために「ルート」をつくってあげるくらいのことは、できる範囲でしていきたいと思う。「甲斐性がある人がたくさんの人を食わせるべきなんです」って、今では見向きもされなくなった道徳だけど、ほんとにそう思う。

 効率とか競争とか、聞こえばかりはカッコ良いグローバル人材なんていう方向に行ったら、日本の若者の閉塞感はどんどん進むばかりだ。どうか本書を読んで、人類の古い智慧を見直す人が増えますように。
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意外と真面目/へんな仏像(本田不二雄)

2013-06-05 23:25:14 | 読んだもの(書籍)
○本田不二雄『へんな仏像』 学研パブリッシング 2012.9

 表紙は黄金の天狗のような異形の顔面。これ、仏像じゃないだろ、と思ったが、「由来も形も不思議な神仏たちの大図鑑!」とあって、タイトルの「へんな仏像」は「へんな仏像・神像」を短縮させたものらしい。表紙(カバー)の裏から表まで、マントラのごとく埋め尽くす煽り文句の数々。

 本編の文章は、全て黒地に白の活字。そして「オールカラー総天然色」の言葉どおり、カラー写真満載。またその写真が、陰影を強調した、おどろおどろしい編集なのだ。これ、絶対本物を見たら、こんな印象じゃないだろう、というのが(経験的に)分かる。表紙の大杉大明神(茨城県稲敷市)でさえ、本編で見ると、もう少しフツーの木彫面である。

 アートディレクションは場末の歓楽街ふうにキッチュだが、よく読むと、仏像・神像の選択は意外に手堅く、解説も淡々としている。藤里毘沙門天(岩手県)や成島毘沙門天(岩手県)など、正統派に評価の高い仏像も載っており、岡本太郎が絶賛した万治の石仏も。先日、千葉市美術館の『仏像半島』展で見た真野寺の覆面観音が掲載されているのを見て、私は本書の購入を決めた。

 ほかに収載の神像・仏像で、私が見たことがあるのは、上野大仏(台東区)、獏王像(目黒区・五百羅漢寺)、千手千足観音(長浜市・正妙寺)。田光り観音(足立区・西光寺)は『足立の仏像』展で見たかな。お寺の名前を見ると「行ったことがある」のだが、仏像・神像に記憶がないものも多かった。鎌倉・光触寺の愛敬稲荷、青梅市・塩船観音寺のおしらさま、奈良・朝護孫子寺の二十八使者など。

 逆に自信をもって「未見」で、これは見たい!と思ったのは、加古川・教信寺の教信像。頭部のみが、瑞雲たなびく蓮華座に載っているという異形像である。悪夢にうなされそうだが見たい。あと、智恵光院の六臂地蔵、矢田寺の矢田地蔵(見てるだろうか?)、来迎院の勝軍地蔵。以上、全て京都市内である。地蔵菩薩って、基本がシンプルな優等生の造形だけに、異形風味が加わるとぞくぞくする。

 東京都内の珍しい仏像・神像もずいぶん紹介されていて、目を見張った。豊島区妙行寺の於岩稲荷の愛らしいこと(四谷のお岩稲荷とは別)。板橋区・安養院の摩訶迦羅天、見てみたい。品川区・安養院の紅頗梨色阿弥陀如来(ぐはりじきあみだにょらい)も。こんな美しい仏像が都内にあるとは知らなかった。いや、少し写真にだまされているかも。

 約60件のうち、1件だけ北海道の仏像があったのだが、今も髪が伸び続ける植髪鬼子母神って、これは怖すぎて見に行けない。
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社会学的討論/おどろきの中国(橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司)

2013-06-03 00:35:30 | 読んだもの(書籍)
○橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司『おどろきの中国』(講談社現代新書) 講談社 2013.2

 刊行当初から気になる本だった。中国について著作の多い橋爪大三郎(1948-)氏はともかく、なぜ大澤真幸(1958-)と宮台真司(1959-)が?とフシギに思っていたら、あれよあれよで15万部を突破したそうなので、そんなに売れているなら読んでみることにした。

 鼎談に先立つ2011年9月、大澤、宮台両氏は、橋爪大三郎氏とその奥様の張静華氏の案内で、上海、長沙、北京、天津等々を旅行し、名所旧跡に加えて、庶民の生活の場を訪ね、中国の学者と討論し、「何年も中国に滞在していたとしても、ここまで多くを見たり、いろいろな人に会ったりはしないだろう」というディープな旅を体験したという。それゆえ、本書には、中国問題の専門家だけに閉じた構えもないし、実態をかけ離れた無知な発言もない。大澤、宮台両氏が、体験や観察を踏まえて発する鋭い疑問に対し、主に橋爪氏が応答し、さらに社会学の理論に鑑みて、問題を一般化していく手法が取られている。どの議論もオープンで、新鮮な「おどろき」に満ちている。

 何しろ、最初の宮台真司氏の問題提起が「そもそも中国は国家なのか?」である。いいなあ、この素朴で核心を突いた疑問。われわれは、ふつう国家といえば19世紀に誕生した国民国家を思い浮かべる。ところが「中国」というアイデンティティは、二千年以上前に作られた。最近の考古学的調査によれば四千年以上前の「夏王朝」で遡るとも言われている。ここで橋爪さんが、中国はEUみたいなもの(文中の表現は逆)という、また目からうウロコの落ちるような説明を返してくれる。なぜ中国はそんなに昔に中国になったかという質問は、なぜEUはこんなに遅くEUになったかという質問と裏腹である、と。おお~そんなこと考えたことがなかった。たぶん中国史を、中国あるいはアジアの中だけで考えている学者にはない発想だと思う。

 中国人と日本人の行動原理について。中国人は「政治的リーダーは有能でなければならない」という第一公理を持っている。これは中国人が集団の安全保障を重視することと深い関係がある。日本人は「リーダーは有能でなくてよい(自分ががんばるからいい)」と考える。これはムラの論理、農民の論理で、安全保障は武士に預けてしまう。戦後日本は武士(軍隊)がいなくなったので、武士の役割をアメリカに外注した。とすれば、いまの日本を「普通の国」にするために急務なのは、軍隊を取り戻すことではなくて、有能な政治的リーダーを育てることではないかしら。

 「日中戦争とは何だったのか」という分析も興味深かった。大澤真幸氏は、日中戦争とは「壮大な『意図せざる結果』のように思います」と発言している。もともと、それほどの喧嘩をするつもりがなかった相手と、めちゃめちゃな喧嘩をしてしまったようなものではないか。今日なお、日本の「謝罪」が伝わらず、何度も歴史問題が再燃するのは、日本人自身が何のために中国と戦争をしたのか、よく理解していないためではないか。中国側は呆れるかもしれないが、当たっている感じがする。ここではちょっと脇道にずれて、日本社会論が展開しており、この段階の日本はまだ近代国家ではなく、ルソーのいう「一般意志」が存在しなかったのではないか、という指摘も興味深い。国家が集団の「空気」に飲み込まれているのだ。

 最後の章は「中国のいま・これから」を語る。文化大革命が旧体制の価値観を打破した結果、資本主義が可能になった、という説は、どこかで読んだと思ったら、大澤真幸氏が著書『「正義」を考える』に、スラヴォイ・ジジェクの説として紹介していた。だとすれば、社会主義市場経済は毛沢東と小平の合作ということになるだろう。ただし、橋爪氏は、改革開放政策はアメリカの支持と承認があってはじめてできたことを強調する。

 20世紀の覇権国家はアメリカだった。今後、アメリカは下り坂になるが、EU、ロシアなどのキリスト教国はアメリカを支え続けるだろう。したがって、中国がアメリカに代わる覇権国家になることは難しい。そこで、日本はアメリカにくっつきながら、対中関係を考えていかなければならない。この予測を踏まえ、アメリカが、台湾、北朝鮮、尖閣問題について、何を望んでいるかという解説がある。これらを日本の外務官僚は理解しているが、多くの日本人および政治家は理解していないだろうという。ああ、溜息が出るなあ。国民はともかく、日本の政治的リーダーは、正確な情報に基づき、国家の長期戦略を立ててほしい。いや、政権がこんなに短期的にぐらぐらする状態では無理か。
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昭和の少年の面影/場末の文体論(小田嶋隆)

2013-06-02 19:54:00 | 読んだもの(書籍)
○小田嶋隆『場末の文体論』 日経BP社 2013.4

 日経ビジネスオンラインに連載中のコラム「小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句~世間に転がる意味不明」から、2012年中に掲載された、比較的最近の記事を集めたもの。いま日経ビジネスオンラインを見にいったら、いちばん古い記事は2008年の日付があった。私は、もう少しあと、2009年の民主党「事業仕分け」の報道を探していくうちに、このコラムに行き当たり、何者とも知れない、著者の名前を覚えたことを思い出す。

 その後もウェブサイト上の無料コラムを、ときどき読んでいた。最近、著者のツイートを読む機会がたびたびあって(私がフォローしている人たちからリツイートされてくる)それが面白かったので、とうとう本人をフォローしてしまった。そして本書にたどりついたわけで、こういう「本」との出合い方は、私にとって、あまりなかった経験なので(今後は増えてくるかも)、ここに掲げておく。

 さて、本書の内容は、最近の時評ネタが中心となっているように見えて、本人が「はじめに」で述べているように「看板として掲げた話題は、その週の新聞見出しと同じものでも、その出来事を語る時制が、現在形ではなくて、過去形になっている」。たとえば、北杜夫、立川談志の訃報に接し、どくとるマンボウや談志を崇拝していた少年時代を物語る。その描写は、著者という個人の記憶を超え、一定の普遍的な共感を呼ぶものになっている。

 「頑張る」ことよりも「怠ける」「競争から降りる」ことに価値を見出し始めた中学生時代。あるいは「生意気」にあこがれた小学生時代。著者と一緒に談志ファンクラブを組織した友人が二人いたが、二人とも早世してしまった。三人の中では、比較的「普通寄り」だった著者だけが残った。「男の子が100人いれば、そのうち2人か3人は、どうやっても社会にうまく適応することができない。それは、システムとか、心構えとか、教育の問題ではない。言わば、社会的な歩留まりの問題で、どうしようもない話だ」というのは、本書の中で、いちばん私の胸に痛く突き刺さった「警句」である。なお、女子にもこういう不適応者はいるけれど、その出現率は男子よりかなり小さい気がする。

 あと、高等教育を受けなかった父親が、著者のために本だけは惜しみなく買ってくれたこと、勉強しろとは一度も言わなかったけれど、本を買い揃えることで「大学に進んでほしいと思っていることはいやでも伝わってきた」というエピソードも胸に落ちた。昭和の日本には、こういう家族の風景が普通だったのだ。

 そうして進んだ大学で、著者は、ほとんど何も学ぶことなく、何も成果を上げられなかった、という。でも「大学の魅力は、役に立たない生き方が許容されているところにある」。昭和のおじさんの戯言に、平成の若者は呆れるかしら。平成の政治家や産業界の人々は怒るだろうが、私は正論だと思う。

 「いま」を論じた時評記事では、大阪問題。橋下市長誕生の直後に書かれた記事らしい。「大阪でこれから起こることの一部始終を、私たちはよく見ておこうではないか」と結論する。かつて、ムッソリーニという英雄的リーダーに国家を委ねて懲りたイタリア国民が、このたび「愉快な遊び人」ベルルスコーニ首相を退場させ、地味な実務派のモンティ氏を後任に選んだことを引き合いに出しつつ。

 同じく橋下市長関連では、佐野眞一氏の記事をめぐる週刊朝日問題にも触れている。著者は、佐野氏と橋下市長のどちらが悪いか正しいかを論ずるのでなく、佐野氏の原稿が、出版社の校閲を通っていない可能性を問題視している。校閲は、誤字脱字はもちろん、前段と後段の論理矛盾や事実関係の間違いなどを洗い出し、雑誌のクオリティを支える役割をしていた。が、もはや「滅びつつある職種」である。「突き詰めて考えれば、このたびの事態の背景には、週刊誌というメディア自体の衰退が色濃く影響している」という指摘に、私は深く共感した。ネットの真似をして、移り気な空気に乗って、スピード重視で扇情的な記事を書きまくることが、週刊誌の生き残る道ではないと思うのだが、もう戻れないのかな…。

 最後に、津田大介氏との「東京都北区」対談を収録。これ、ニコニコ動画で実際に見ていて、大笑いした。東京人でないと「文京区」「足立区」「世田谷区」などに固有のカルチャー(イメージ)ギャップが、分からないかもしれないが。
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札幌・植物園のライラック

2013-06-02 16:48:26 | 北海道生活
札幌暮らし2ヶ月経過。いろいろ不便に思うこともあるが、この季節のさわやかさは宝物!

こんなに日差しが強いのに、風がひんやりしている理由が、関東育ちの私には分からない。

今年のライラックの開花は少し遅めでした。


密集した蕾は、濃い紫色で、


花が開くと、薄紫になる。


花房に顔を近づけると、上品な芳香。藤の花を連想するけれど、特に近縁種ではないみたい。

だいぶ生活は落ち着いたが、四月以来の疲れが出て、読書や展覧会記録を書こうと思いつつ、寝落ちしてしまう日々。怠け癖が…。
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