〇金剛山勝長寿院大御堂 浄楽寺(横須賀市芦名)収蔵庫改修記念『運慶仏お戻り開帳』(2018年3月1日~3月5日)
三浦半島の浄楽寺には、何度か行ったことがある。私は2001-2002年度は逗子に住んでいたので、たぶんその頃だ。いまブログの検索をかけたら、2009年に鎌倉国宝館で浄楽寺の阿弥陀三尊像を見たことと、2011年に金沢文庫で毘沙門天像、不動明王像を見た記録しかなかった。お寺を訪ねたのは、もう15年以上も前になることに愕然とした。
昨年、浄楽寺にはニュースが2つあった。1つは、東京国立博物館で開催された『運慶』展に5体の運慶仏が出陳されたこと。毘沙門天像、不動明王像は通期で、私はこの2体を拝見したが、阿弥陀三尊像は見ることができなかった。もう1つは、運慶展の期間中から2018年2月まで、仏様がお出ましになっている間に収蔵庫の免震・補修工事を計画し、その費用をクラウドファンディングで募ったことだ(※「重要文化財の運慶仏を未来へ伝えたい! 浄楽寺・収蔵庫改修プロジェクト」)。結果は、583人の支援者を得て、目標額の600万円を見事クリアした。実は私も些少ながら寄附をさせていただいたので、お寺への愛着も増して、うきうきしながら出かけた。
かつての地元だった、懐かしい逗子駅からバスに乗車。のたりのたりの春の海を眺めながら、浄楽寺に到着する。バス停からお寺までの短い参道には、オレンジ色の幟が並んで、御開帳ムードを盛り上げていた。
浄楽寺の本堂では、ここに墓所のある前島密を紹介するパネル展が行われていた。明治維新の功労者の一人だと思うが、貴顕の別荘の多い逗子や葉山を避けて、芦名に隠棲したというのを聞いて、面白い人だと思った。本堂の左の社務所で御朱印を受け付けていたが、書いていただくには1時間半待ち(!)と聞いて、書かれたものを買うことにした。お坊さんを含め、3、4人の方が黙々と御朱印を書いていた。お疲れ様です。
本堂の裏手、小高い丘の中腹に立つのが収蔵庫である。15年前に来たときもこの収蔵庫だったと思う。
中には5体の運慶仏。お客さんは、入れ代わり立ち代わりしていたが、それほど混んでいなくてゆっくり拝観できた。照明は自然光に近い白色光(今回の改修でLEDに交換)で、全体が普通に明るい。このところ、博物館・美術館の凝ったライティングの下で仏像を見る機会が多かったので、自然な明るさが、逆に新鮮に感じられた。別にことさら陰影を強調しなくても、魅力的な仏像は十分魅力的なのだ。特に毘沙門天像の気品ある猛々しさに惚れ惚れした。これは東国武士の心をつかむだろうな。足もとで縮こまっている邪鬼もかわいい。
なお、浄楽寺が「勝長寿院」を名乗るのは、源頼朝が父・義朝の菩提を弔うために創建した鎌倉の「勝長寿院」が、台風で崩壊したのち、北条政子と和田義盛が本尊の阿弥陀三尊像を移したためと伝えられている。かつて勝長寿院跡を探しに行ったときの記事はこちら。
収蔵庫改修プロジェクトのクラウドファンディングで私が選んだコースには「お戻り開帳期間のみ収蔵庫にお名前を掲載」というリターンがついていた。当日、半紙に墨書して私の名前を貼り出して下さっているのを確認した。ありがとうございます。運慶の仏様と結縁できたようでうれしい。今後も末永くおつきあいしたい。
三浦半島の浄楽寺には、何度か行ったことがある。私は2001-2002年度は逗子に住んでいたので、たぶんその頃だ。いまブログの検索をかけたら、2009年に鎌倉国宝館で浄楽寺の阿弥陀三尊像を見たことと、2011年に金沢文庫で毘沙門天像、不動明王像を見た記録しかなかった。お寺を訪ねたのは、もう15年以上も前になることに愕然とした。
昨年、浄楽寺にはニュースが2つあった。1つは、東京国立博物館で開催された『運慶』展に5体の運慶仏が出陳されたこと。毘沙門天像、不動明王像は通期で、私はこの2体を拝見したが、阿弥陀三尊像は見ることができなかった。もう1つは、運慶展の期間中から2018年2月まで、仏様がお出ましになっている間に収蔵庫の免震・補修工事を計画し、その費用をクラウドファンディングで募ったことだ(※「重要文化財の運慶仏を未来へ伝えたい! 浄楽寺・収蔵庫改修プロジェクト」)。結果は、583人の支援者を得て、目標額の600万円を見事クリアした。実は私も些少ながら寄附をさせていただいたので、お寺への愛着も増して、うきうきしながら出かけた。
かつての地元だった、懐かしい逗子駅からバスに乗車。のたりのたりの春の海を眺めながら、浄楽寺に到着する。バス停からお寺までの短い参道には、オレンジ色の幟が並んで、御開帳ムードを盛り上げていた。
浄楽寺の本堂では、ここに墓所のある前島密を紹介するパネル展が行われていた。明治維新の功労者の一人だと思うが、貴顕の別荘の多い逗子や葉山を避けて、芦名に隠棲したというのを聞いて、面白い人だと思った。本堂の左の社務所で御朱印を受け付けていたが、書いていただくには1時間半待ち(!)と聞いて、書かれたものを買うことにした。お坊さんを含め、3、4人の方が黙々と御朱印を書いていた。お疲れ様です。
本堂の裏手、小高い丘の中腹に立つのが収蔵庫である。15年前に来たときもこの収蔵庫だったと思う。
中には5体の運慶仏。お客さんは、入れ代わり立ち代わりしていたが、それほど混んでいなくてゆっくり拝観できた。照明は自然光に近い白色光(今回の改修でLEDに交換)で、全体が普通に明るい。このところ、博物館・美術館の凝ったライティングの下で仏像を見る機会が多かったので、自然な明るさが、逆に新鮮に感じられた。別にことさら陰影を強調しなくても、魅力的な仏像は十分魅力的なのだ。特に毘沙門天像の気品ある猛々しさに惚れ惚れした。これは東国武士の心をつかむだろうな。足もとで縮こまっている邪鬼もかわいい。
なお、浄楽寺が「勝長寿院」を名乗るのは、源頼朝が父・義朝の菩提を弔うために創建した鎌倉の「勝長寿院」が、台風で崩壊したのち、北条政子と和田義盛が本尊の阿弥陀三尊像を移したためと伝えられている。かつて勝長寿院跡を探しに行ったときの記事はこちら。
収蔵庫改修プロジェクトのクラウドファンディングで私が選んだコースには「お戻り開帳期間のみ収蔵庫にお名前を掲載」というリターンがついていた。当日、半紙に墨書して私の名前を貼り出して下さっているのを確認した。ありがとうございます。運慶の仏様と結縁できたようでうれしい。今後も末永くおつきあいしたい。