先週、思い立って鎌倉へアジサイを見に行った。海蔵寺から、久しぶりに亀ヶ谷坂の切り通しを抜け、巨福呂坂を下って、鶴岡八幡宮に出た。このとき、巨福呂坂洞門(落石防止のトンネル)の壁に並んだ円筒形の照明設備に、星と三日月のマークが付いているのが目に入った。このトンネルは何度も通っているはずなのに、どうして、この日に限って「発見」したのか、不思議である。
すぐに思い出したのは、鎌倉国宝館の扉のステンドグラスの図と同じだということ。
これは何か謂われがあるのだろう…と思って、調べてみたら、旧・鎌倉町(明治27/1897年-昭和14/1939年)の町章だった。ちなみに、現在の鎌倉市の市章は、源頼朝の家紋にちなむササリンドウである(※鎌倉市のページ)。
なぜ星と月かというと、鎌倉には「星月夜」という地名があり、現在も「星月夜の井」(または「星の井」「星月の井」とも)という鎌倉十井の一の名前に名残をとどめている。『永久百首』にも「われひとり鎌倉山をこえゆけば 星月夜こそうれしかりけれ」という古歌が見えるそうだ。
実は、鎌倉国宝館のステンドグラスは長年の疑問だったのである。これでスッキリした。
なお、「鎌倉の極楽寺から西ヶ谷の月影地蔵堂に歩いていく途中」と「鎌倉宮そば」の2箇所に、月星印のマンホールの蓋が残っているらしい。今度、探してみよう!
すぐに思い出したのは、鎌倉国宝館の扉のステンドグラスの図と同じだということ。
これは何か謂われがあるのだろう…と思って、調べてみたら、旧・鎌倉町(明治27/1897年-昭和14/1939年)の町章だった。ちなみに、現在の鎌倉市の市章は、源頼朝の家紋にちなむササリンドウである(※鎌倉市のページ)。
なぜ星と月かというと、鎌倉には「星月夜」という地名があり、現在も「星月夜の井」(または「星の井」「星月の井」とも)という鎌倉十井の一の名前に名残をとどめている。『永久百首』にも「われひとり鎌倉山をこえゆけば 星月夜こそうれしかりけれ」という古歌が見えるそうだ。
実は、鎌倉国宝館のステンドグラスは長年の疑問だったのである。これでスッキリした。
なお、「鎌倉の極楽寺から西ヶ谷の月影地蔵堂に歩いていく途中」と「鎌倉宮そば」の2箇所に、月星印のマンホールの蓋が残っているらしい。今度、探してみよう!
早めに訪問しないと,極楽寺の方の蓋もなくなるかもしれませんね。