○小熊英二『日本社会のしくみ:雇用・教育・福祉の歴史社会学』(講談社現代新書) 講談社 2019.7
「日本社会のしくみ」の重要な構成要素として「学歴重視」と「勤続年数重視」がある。そもそもどんな経緯でこういうしくみが出来上がったのか。本書は、日本社会を規定している「しくみ」(=慣習の束)を歴史的に解き明かしていく。
第1章は、日本社会での生き方に「大企業型」「地元型」「残余型」の3類型があることを確認する。日本型雇用のコア部分である「大企業型」(正社員として定年まで勤める)は有業者の3割弱で、この数字は昭和の時代からほとんど変わっていない。非正規雇用は増えているが正社員はさほど減少しておらず、非正規雇用の増加分は「地元型」に多い自営業の減少によるところが大きいという。
第2章・第3章では、英米仏独など他国の働き方がどのような歴史的経緯で出来上がってきたかを概観する。欧米企業には、上級職員・下級職員・現場労働者の三層構造があり、企業横断的に採用や昇進が行われる。同じ職務なのに大きな賃金格差があれば労働者は他企業に移動してしまうから、あまり差はつけられない。だから職務による賃金差はあっても、企業規模による格差は意識されない。こうした慣行は中世の職種別組合に始まるという解釈もあるが、むしろ近代の労働運動、公民権運動、専門職団体の存在などの中で育ったという分析は新鮮だった。
第4章以降は、いよいよ日本に焦点を絞る。明治期の官庁には「高等官」「判任官」「等外」の三層構造があり、高等教育を受けた者が任用される高等官(特に奏任官)の制度が日本型雇用の起源となった。当時の考え方として、官吏は国家に対して終生のコミットメントを誓うことで終身保障を約束されたこと、官吏の俸給は職務の対価ではなく身分給(威厳ある生活を保つためのもの)だったこと、「無定量勤務」が原則で勤務時間がなかったこと(勤務時間は極めて短かった)など非常に面白かった。
明治期の日本では、欧米に比べて高等教育を受けた人材が不足していたことから、新卒一括採用、定期人事異動、年功昇進、「課」や「室」を単位とした大部屋主義など、日本独特の慣例が生まれた。一番面白かったのは、企業が大学に期待していたのが、一般的な知的能力や「人物」をスクリーニングする役割だったこと。確かに試験と面接だけで選抜するのはコストがかかるので、賢明な選択と言えなくもない。
さて戦後である。戦争による一体感の高まりと戦後の生活苦による平準化から、戦後は「社員の平等」化が進み、年齢と家族数に応じた生活給のルールが確立された。戦後すぐの生活給は勤続年数とは連動していなかったが、さまざまな理由で、勤続年数(経験年数)を能力評価に含めた年功賃金ができあがっていく。経営側にとって長期雇用と年功賃金の広がりは重荷だったので、「同一労働同一賃金」の職務給が提唱されたこともあったという。しかし労働者はこれを支持しなかった。また経営者も、企業横断的な賃金基準ができることで、経営権が制約されることを嫌った。
高度成長期に入ると、高等教育の大衆化が進み、大卒者が急増して、企業は上級職員・下級職員・現場労働者の三層構造を維持できなくなった。代わりに導入されたのが「職能資格制度」で、職務ではなく「どんな職務に配置されても適応できる潜在能力」によって社内の等級を与える制度だった。現場労働者までを含む、すべての従業員が一元的な資格等級で序列化される(ただし企業間の互換性はない)制度が完成したわけである。なるほどね。私の働き方を決めてきた制度は、こうしてできたものだったかと初めて納得した。しかし、この制度を裏で支えたのが、女性従業員の早期退職制だったということは忘れないでおきたい。わずか数十年前のことなのだ。
その後も企業は「日本型雇用」の重荷に苦しみ、出向・非正規・女性など「社員の平等」の外部を作り出していく。外国人労働者もその延長上にあるのだろう。年功で右肩上がりに賃金が上がる者を正社員と呼ぶなら、竹中平蔵の「正社員をなくせば非正規社員の待遇は上がる」という発言には一面の理があるのかもしれないとも思った。正しい(あるいは、少なくともよりよい)社会のしくみはどうあるべきか。雇用問題を雇用だけで考えるのではなく、社会保障との政策パッケージで考えるべき、という著者の提言はひとつの方向性を示している。